タカタ会長、最後まで死者への謝罪はなし 民事再生法の申請で会見も、変わらぬ「消費者不在」
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注目のコメント
ひょっとしたら、車は壊れない機械と思っている人が多いのか?
経営者としての振る舞いの是非は置くとして、社会が自動車や自動車部品に対していかに厳格な安全、品質の確保を求めているかを改めて思い知らされた。
これまでのエアバッグによる死傷者数は200-300人でその中にはエアバッグだけが原因になっていないものも含まれる。一方、対象となった自動車数は1億台規模で、エアバッグによる死傷確率は宝くじの当選確率や一般的な自動車事故の確率よりも低いといわれている。
自動車メーカーとしての蓄積がない新興企業のEV製造や完全自動運転を称賛する人達は、一体何%の死傷確率を容認する準備があるのだろうか?
判定基準が、原発問題、豊洲問題での安全や品質の基準の閾値程度なら、タカタや自動車メーカーには責任がないとすべきかもしれない。
自動車や自動車部品メーカーの品質に対する努力を見てきたものには、自動運転や原発問題、豊洲問題での安全、品質に対する議論は到底理解できない。
追記
アメリカ発の管理手法であるシックスシグマは、「不良」の発生を百万回のうち3回程度に抑えようとするものだ。だから、1億台なら300回程度を許容する。つまり、エアバッグの「不良 」はシックスシグマ内に抑えられていたといえないだろうか。社会はセブンシグマか不良率ゼロを求めているのだろうか?世界シェアの2割を占めていたメーカーの「最期」は、徹頭徹尾、批判の対象でした。当然と言えば、当然だし、人としての態度に疑問がつけられたのもやむを得ないでしょう。それにしても、ひとつの技術に対する判断にこれだけ多くの人が関わり、なかなか結論が得られなかった現実には、同情の余地があると思います。部品メーカーとして完成車メーカーの判断を仰ぎ、合格をもらい、供給し続けてきたわけです。ゆえに、犯罪者のような扱いは、伝える側の方々も控えるべきです。
人の命が奪われ、積年の警告にも対応せず、しかも疑惑が向けられて以降でさえ、対応が遅れに遅れたことは、同社の「罪」なのかもしれません。もしそれを「罪」だとするなら、今の許認可の仕組みそのものを厳格化するしかないでしょう。その過程で、トヨタの時と同じような「冤罪」が起こり得ることを覚悟しつつ、疑わしきは罰するという姿勢で監督を強化するしかありません。結局、どこまでいっても、両者のバランスの問題なのです。今、話題となっている自動運転でもいずれ、このような技術の盲点が問題になってくるのではと感じています。亡くなられた方への弔いはすべきだが、謝罪は死亡との因果関係を認めることになるため、係争中のトップとしてできないのではないかと思われた。非常に難しい。(あくまで大きな事故にあったうえで破裂しているため、事故で亡くなったのか破裂で亡くなったのかがわからないため仮説の域を出ていない。)
エアバッグという人を守る使命をもったプロダクトで世界シェアを広めていったトップが、本当に消費者不在、当事者意識がなかったのかな、と思う。CEOたる職務の重責を感じます。