【第4回】奇跡の一本松を巡る「復興のリーダーシップ」

2017/6/25
地域再生には、「よそ者、若者、ばか者」が必要とよく言われるがそれは本当なのだろうか。修羅場のリーダーシップとはどのようなものなのだろうか。35歳で縁もゆかりもない陸前高田市の副市長を務め、現在、立命館大学公共政策大学院で教鞭をとる久保田崇教授が、陸前高田でのリアルな体験を振り返りながら、「よそ者のリーダーシップ」の真髄について考える。

奇跡の一本松に「文春砲」炸裂!?

陸前高田市を有名にしたのは、その被災状況の甚大さとともに、たった1本だけ生き残った松の木、いわゆる「奇跡の一本松」です。国の名勝に指定されていた公称7万本の松林から、たった1本だけ津波に耐えた松のことです。
しかし、その奇跡の松も、根腐れには勝てず、被災から1年が経過した2012年の5月には、枯死が確認されました。
奇跡の一本松
このことから、この松を保存すべきかどうかが大きな議論となりました。
陸前高田市は、いちはやく保存の意思表示を示し、保存にかかる費用を募るため、募金の呼びかけを始めました。これに対し、反対の声が上がったのです。
特に問題となったのが、目標募金額として掲げた1億5千万円にのぼる保存費用です。「死んだ松に大金をかけるのか」とその保存費用の大きさが問題視されました。
また、2012年当時は住宅再建もほとんど進んでいなかったため、「被災者の生活より松を優先させるのか」といった声が被災住民からも上がりました。
「週刊文春」は「一億五千万円!奇跡の一本松より復興住宅を」、「週刊新潮」は「奇跡の一本松 涙の復元は美談か茶番か!」との見出しで、陸前高田市の決定に批判的な記事を掲載しました。
週刊新潮3/21号(2013)22-23p。
あらかじめ述べておきますが、批判自体はよいことだと思っています。被災地の事情は尊重されるべきですが、いつなんどきでも被災地が正義ではないのですから、一定の批判があるほうが健全と言えます。
一方で、当初は美談ばかり探すのに躍起になっていたマスコミが、ここにきて芸能人や政治家のスキャンダル同様、被災地のスキャンダルを探しているのではとも思いました(復興予算の流用問題から、潮目が変わったのかもしれません)。

「奇跡の一本松」保存を決めた理由

そもそも、「奇跡の一本松」は陸前高田市の所有物ではなく、その近隣に崩れた建物が残る日本ユースホステル協会のものですから、陸前高田市とすれば、わざわざ批判を浴びてまで本件に関わる必要はありません(「民間の問題ですから、市役所は関知しません」と知らん顔することも可能)。
しかしながら、一本松が非常に大きな注目を集めていたこと、さらには、巨木である一本松がもし倒れたら、最悪の場合、観光客が巻き込まれて二次災害が生じるリスクがあったことから、同協会と相談のうえ、対応策を取ることを決めたのです。
この件では、私は明確に保存すべきという意見を持っていました。これまでの連載で伝えてきた「内と外をつなぐ」象徴だったから、ということもありますが、何より、奇跡の一本松に対する、国内外からの「熱」の高さを実感していたからです。
報道の過熱や松への観光客の多さに加え、(これは市役所にいたからこそわかることではありますが)当時は毎週のように、奇跡の一本松をモチーフにした絵や詩、歌などの作品が市役所に届き、その総数は約300点にも達しました。
職員が大きな荷物の荷ほどきをして作品を目にあれやこれや感想を述べ合っている場面に何度も遭遇し、「また届いたの?」と会話を交わしたものです。
特に「一本松作品を募集します」などと募ってもいないにも関わらず、次々届く作品を目にして、奇跡の一本松の持つ力に驚きました。
一本松に思いを寄せてくださる方はプロアマ問わずたくさんいらっしゃいましたが、そうした作品の中には、「アンパンマン」の作者やなせたかしさんの作品や、影絵作家の藤城清治さんの作品もあったのです。
写真:やなせたかしさんが制作したハンカチ。(C)やなせスタジオ
正直に言えば「被災した住民自身への関心より、なぜこんなに松に共感が集まるのだろう」と感じましたが、これも現実です。
これだけ関心の高い松は、そのまま朽ち果てさせるより、原型を保って保存することにより、陸前高田市の新たな観光資源となるのではないか。そう考えたのです。

「死んだ松に大金をかけるのか」

また、多額とされる保存費用については、松一本にかかるお金と考えれば多額に思えますが、一本松は全長27mに及ぶ巨大な松の木です。
この高さは建物で言えば9階建ての建造物に相当するものです。このような巨大な構造物に対して、本体、根、枝に対してそれぞれ異なる保存作業を行いますので(特に本体に関しては幹をくり抜き、中に高強度のカーボン樹脂の軸を入れる)、この対価としては妥当と判断しました。
【奇跡の一本松 保存方針】
1:一本松の各部分は可能な限り残し、屋外展示に耐えうる保存処理を実施する。上部枝・葉部分は型取り後レプリカを作製する。
2:自立構造体とし、主構造体は高強度が期待できる炭素繊維強化樹脂複合材料(CFRP)を使用する。
3:自立構造体のため根部分はコンクリート基礎とし、根は別途保存処理を行い将来に向け保存する。
くり抜き前とくり抜き後の一本松(2012年9-12月)(出典)ともに、陸前高田市ホームページ
また、一部週刊誌の主張のとおり、この保存費用を仮に被災者に配分しても、1世帯あたり数万円にとどまるため、生活再建資金としても大きな金額にはなりません(そうした資金は、国から生活再建支援金や、赤十字等からの義援金の配分が既になされています)。
このほか、防災集団移転により移転した場合の住宅ローンの利子補給(建設費用分で最大457万円)などがある。表は筆者作成。

「被災者の生活より松を優先させるのか」

住宅再建が進まない中で、「被災者の生活より松を優先させるのか」という意見は、行政に関わる者として心苦しいものがありました。
実際、奇跡の一本松保存の議論が行われていた2012年上半期においては、仮設住宅入居戸数は95%以上と、住宅再建がほとんど進んでいなかったからです。
陸前高田市内仮設住宅(2,168戸)入居戸数の推移(いわゆる「目的外使用」除く) 。
しかし実際には、住宅再建の準備は着々と進んでいました。防災集団移転や公営住宅整備に必要な計画策定、予定地の交渉、土地取得、工事契約手続等を進めていたのです。
ただし、こうした事前の作業は住民には見えず、目で見て実感できる「予定地の伐採、造成、着工」にはこの時点では至っていなかったため、「市役所は、住宅再建も進めずに、松の保存にばかり熱心だ」と思われても仕方のない状況でした。
現在は仮設住宅入居戸数も4割以下となりましたが、この成果が出たのも、2011年の震災復興計画策定、それに基づく2012年からの地道な作業が実を結んだからにほかなりません。

「全て募金により」目標額を達成

陸前高田市役所にとって何よりリスクある決断は、この一本松の保存費用を「全て募金により」集めたいと表明したことでした。
根底には、松の保存は住民の生活に直接関係するものではない以上、税収入を投入するわけにはいかない、という判断がありました。
「大丈夫です。これだけ応援団がいれば、募金が集まりますよ」と私も市長に言ったものの、「本当に集まらなかったらどうしようか。市長・副市長はじめ、幹部でカンパを集めようか。それにしても、限度があるよなぁ・・」と不安でいっぱいでした。
これを救ってくれたのは、国内外の応援団の皆様です。予想を上回る反応があったのです。当時、募金の協力をお願いしていた立場からも、改めて、ご協力いただいた皆様に御礼申し上げます。
戸羽太市長の講演会を開催し、復興応援イベントと一本松募金の取り組みを行った大阪府豊中市社会福祉協議会。2012年9月30日同社協の勝部麗子氏撮影。
「奇跡の一本松保存募金」チラシ。2013年7月に目標額1億5千万円が達成された。(出典)陸前高田市ホームページ
なお、いただいた募金は条例で設けた基金に区分経理し、それ以外の目的には使用できない形となっています(事実誤認の報道が多かったため、念のため付記します)。
結果的には、一本松保存募金プロジェクトは成功し、2016年には75,126人が奇跡の一本松を訪問するなど(数値は陸前高田市による)、現在も多くの観光客を集めています。
また、奇跡の一本松所在地を含むエリアは、2011年に策定した震災復興計画で構想した防災メモリアル公園が具体化し、国・岩手県の連携のもと「高田松原津波復興祈念公園」の整備が進められています(この公園構想も感慨深い思い出があるのですが、本稿では省略します)。

1人も不幸になってはいけない

ちょうど同じ2012年頃、陸前高田市内において一本松の保存以上に大きな議論となったのが、津波で被災した陸前高田市役所庁舎を、震災遺構として保存すべきか、それとも解体すべきかという問題でした。
写真:津波で被災した陸前高田市庁舎
保存派は、津波の脅威を後世に伝える意義を重視し、解体派は、遺族感情やまちづくりの支障となることを主張しました(所在地を含む一帯は、盛り土による地盤のかさ上げ工事が予定されている)。
とりわけ、市外者(よそ者)からは、広島の「原爆ドーム」になぞらえ、保存の声が多く寄せられていたのです。
筆者の授業の中でも震災遺構の取り扱いについて取り上げることがある。(資料)筆者作成
しかし、戸羽市長は、少数ながら遺族感情を考慮して、解体すると決断しました。自身がこの庁舎の屋上で一晩過ごすことにより生存し、また家族と自宅を亡くした戸羽市長。
「この庁舎を見たくない」「今後新しいまちに生まれ変わっても、この庁舎がある限り、新しいまちには近づけない」という遺族の声をふまえ、「一人でも不幸になるようなまちづくりは、我々が目指す復興ではない」という言葉で決断の理由を語りました。
同時に、震災遺構として「保存する」場合の判断基準として、以下の2点を挙げました。
・その施設で人命が失われていないこと
・まちづくりの支障とならないこと
この条件に合致する(1)奇跡の一本松(及びその背後にあるユースホステル)(2)気仙中学校(3)道の駅陸前高田(タピック45)及び(4)定住促進住宅(5階建)を震災遺構とすることも決めました。
震災遺構として保存されている気仙中学校。校舎は全壊したが、教職員とともに避難行動を取った生徒は幸いにして全員無事だった。
実際、震災遺構をめぐっては、被災各地においても判断は揺れています。
犠牲の有無や立地条件、保存した場合の費用などを勘案して、所在地の市や町が(場合によっては県が介入して)判断を行っていますが、現在に至るまで判断を先送りにしている遺構もあり、この問題の複雑さが感じられます。
各地で判断が揺れる震災遺構。報道資料等をもとに、筆者作成。
なお、2017年6月9日の陸前高田市議会において、現在のプレハブ仮設庁舎に代わる「新庁舎の建設場所」が決まりました(高田小跡地)。

復興のリーダーシップとは

いま振り返ってみると、戸羽市長と同じ判断は、私にはできなかっただろうと思います。現地に住んで、わかったつもりではいましたが、複雑な遺族感情については、「あの日」を経験していないとわかりません。
戸羽市長自身が遺族だからこそ、できた決断といえますが、必ずしも数の論理によらずに「一人でも不幸になるようなまちづくりは、我々が目指す復興ではない」という判断根拠は、強く心に残っています。
今回は、双方の意見の隔たりが大きく、意見が割れる案件を取り上げました。そんなときに、何を拠り所にして判断すべきか。
様々な意見に惑わされずに「市民の利益」(市民・ファースト)が徹底されるべきですが、少数の遺族とその他の多数市民の意見が対立する場合にどうするかもまた、復興のリーダーシップには必要なのです。
これから夏休みシーズンを迎え、奇跡の一本松を見に行かれる方もいるかと思います。公共交通機関としてはJR大船渡線BRT「奇跡の一本松」駅が最寄です(震災前にはなかったこの駅の新設も、一本松保存の効果ですね)。
「奇跡の一本松」駅前には、2014年に整備された「一本松茶屋」で、飲食・カフェ・土産物の買い物ができるようになっています。ぜひ、足を運んでいただければと思います。