現代のラグジュアリーブランドに「倫理観」が重要な理由

2017/6/28
現代的な「ラグジュアリー」とは、単なる高級品の追求ではなく、自分にとって価値ある“モノ”や“体験”を愉しむことに移り変わりつつある。そんな時代が求めるラグジュアリーブランドとは? 

2016年に日本進出を果たした「ラグジュアリーカード」の提供にて、元トヨタ自動車でレクサスブランドマネジメント部長を務めた高田敦史氏と、ジュエリーブランドHASUNA代表の白木夏子氏による、新しい「ラグジュアリーの価値観」を考える対談を届けする。

“大衆化”し飽和したラグジュアリー

──社会の価値観が劇的に変化していくなかで、「ラグジュアリー」という感性はどのように変化してきたのでしょうか?
高田:現代は“ラグジュアリーの大衆化”が進んだ結果として、価値観自体が大きな変曲点にきている段階だと感じています。
歴史をたどれば、本来的な意味での「ラグジュアリーブランド」は、もともと社会のごく一部の富裕層の間だけで愛好され、消費されてきました。しかし、日本においては1980年代後半のバブル景気きっかけに、急激に大衆化したのです。
私はバブルが始まる少し前の1985年入社で、トヨタ自動車の東京宣伝部にいました。業界自体が派手なこともありましたが、当時を振り返ると、まるで何かに憑かれたように「消費をしないと、時代についていけない」と感じていましたね。
しかし、バブルがはじける直前にもなると、今度は“見せびらかしのラグジュアリー感”に違和感を覚えるようになりました。たとえば、ルイ・ヴィトンは今、日本国民の2000万人が所有するブランドです。これこそが“大衆化”を端的に表していますよね。
──一方、白木さんはバブル崩壊後の“失われた20年”の世代ですね。
白木:私は高校から20歳まで名古屋の学校に通っていたのですが、名古屋はきらびやかなもの=贅沢という土地柄なんですね。短大時代はいわゆる“名古屋嬢”がはやっていた頃で、私も髪の毛を縦ロールにしていました(笑)。
ただ、ロンドン大学に留学する直前に9.11の同時多発テロが起きたんです。ニュースの映像を見た時にまず感じたのが、お金に対する虚無感、信頼の揺らぎでした。
その影響を受けて、ロンドンではモノを買わない、持たない生活にシフトしました。また、アフリカ、南米、インドなどを旅しているうちに、物質的ではない心や頭に蓄積される形のないものに価値を置くようになりました。

ブランドに求められる“社会貢献的価値”

──しかし、白木さんは帰国して投資ファンドで働かれます。
白木:リーマン・ショック前の2006年入社でした。フェラーリに乗ったり、銀座で豪遊したりする金融業界の方々は、私の目にはギラギラして映りました。
そのときに考えていたのは、「お金をたくさん使って高級品を買う富裕層の資産を、どうやったら世の中に再分配できるだろうか?」ということでした。
ロンドン留学中に、周囲の友人たちの間でよく「ビジネスは悪だ、お金は悪だ」という議論がされたのですが、私は「世の中を良くするのも、悪くするのもビジネスだ」とずっと考えていたのです。
この世はお金なしには回らない以上、お金をうまく使って世の中をポジティブに変化させていくことが必要ですよね。HASUNAは、その志が根付いたブランドです。
学生時代にインドの鉱山に赴いたとき、現地で宝石や鉱物を採掘する労働者のおかれた環境は過酷でした。美しいジュエリーの裏側に何があるのか、という現実を見た思いでした。
大切な人への贈り物や愛の象徴となるものの裏側に、そういった悲しい事実があることは、ものの価値そのものもおとしめます。
そこで問われるのが、エシカル(※編注:倫理、あるいは倫理的活動のこと。近年は環境保全や社会貢献といった意味合いで使われることが多い)という概念です。
──一昔前のラグジュアリーブランドに、エシカルというのはなかった発想です。
高田:そうですね。もともとラグジュアリーには、「社会的価値」と「審美的価値」と「財産的価値」という3つの価値が定義されていましたが、そこに、エシカルの要素である「社会貢献的価値」が加わったのは、近年のことだと思います。
白木さんは、初めからエシカルを組み込んでビジネスモデルを作り、ブランドを作り上げた。そこが本当に素晴らしい。
白木:私はギリギリ“ミレニアル世代”ですが、ミレニアル世代の消費理由に「そのブランドがいかに世界に貢献しているか」というのがあります。
ヨーロッパのラグジュアリーファッションのコレクション会場に行くと、「その服はどこで作られているのか? エシカルなのか?」と必ず聞かれます。エシカルという概念が、ラグジュアリーのなかに無くてはならない要素になりつつあります。
──HASUNAは今、どんな方に支持されているのですか?
白木:ジュエリーの存在理由は3つあります。装飾的理由、財産的理由、最後に呪術的理由ですね。何万年もの昔から、神と交信するために人々はジュエリーを身に着けていました。
でもHASUNAを買われる方は、このいずれでもない。私たちのポリシーに共感してくださるから、HASUNAを買う。ブランドの成り立ちに注目してくださる方が、たくさんいらっしゃいます。
高田:企業としてのコンセプト、社会貢献的な美意識そのものがブランド価値になっているわけですね。
白木:モノにあふれる日本の売り場のなかで、どう差別化して、お客様に選んでいただけるのだろうと考えたら、もうそこは美学や心意気しかないと考えています。
もちろんジュエリーの見た目も重要ですが、形にならない、目に見えない価値で勝負していくことが重要なのではないかと思っています。
高田:私が担当していたレクサスでは、たとえば若い映画監督さんなどのアーティストサポートなどを通じて社会還元しています。
私がレクサスについて考えていたのは、「遠い将来にクルマという商品がなくなっても、ラグジュアリーブランドとして残るようなブランドになる」ということです。
車を作る以外の活動は、何が行われているのか。同じ車を買うにしても、その裏側で何が行われているのかを知ってもらい、共感してもらう。
車という商品そのものではなく、その背景こそがブランド価値になる時代だと思います。

ストーリーを価値にプラスする

──今までのラグジュアリー感を象徴する“高級”と“贅沢”は、今後ラグジュアリーではなくなっていくと思いますか?
白木:贅沢の価値は変わってきていると思います。個人的なお話ですが、先日、ロンドンからスコットランドのエジンバラまで、両親と娘を連れて鉄道の旅をしました。
各地で様々な宿に泊まりましたが、一番贅沢を感じたのが、目の前に北海が広がるエジンバラの簡素なアパートメントホテルでした。
沈む夕日を見ながら、スーパーで買った食材で、家族みんなで料理をして、北海を眺めながらテラスでご飯を食べる。
きっとこの体験を両親も娘も私も一生覚えているだろうと思いましたね。
これはアメリカ西海岸で、ヨガがはやっていることにも似ています。高所得の人たちがわざわざ何故ヨガをやるのか。
自分の心と身体に向き合う時間を、とても贅沢に感じているからだと思います。
高田:今までのラグジュアリーは、「破天荒な価値」がどこかにあったと思います。実用性とは無関係に、飛び抜けている存在。
フェラーリのような高級スポーツカーはわかりやすい例ですね。
しかし、破天荒な価値だけではなく、さらに心が豊かになる価値がそこにある。
白木さんが作られるようなジュエリーは、商品の背景にあるストーリーが、宝石としての科学的価値にプラスしたお値段がつくべきだと思います。そういうラグジュアリーが増えるといいですよね。
白木:私が今日、耳に着けているジュエリーは、1994年のルワンダ虐殺後、路上生活をしていた子供たちが成長し、技術を磨いた彼らが作った輪っかと日本のガラス作家さんとのコラボレーションでできました。
この商品を着けるといろいろなことを思い出します。ルワンダの美しい大草原のこととか、「あの子たち、元気にしているかな」とか。
鉱物は無機質ですから、ジュエリーの世界は冷たく感じられるかもしれませんが、もともとは地球の中からできているものですし、人の手作業が加わった温かみのあるものです。
高田:人の温かみが商品のコアというラグジュアリーブランドは、素晴らしいですよね。

誰もが「ノブレス・オブリージュ」

──社会に対する貢献や考え方など、個人がSNSで発信できる時代になったことも影響しているでしょうか。
白木:私がソーシャルを始めた頃は、「(世界に)良いことをしています」という投稿をすると偽善者のように映っていましたが、エシカルの思いがまだ伝わりにくい日本でも、徐々に仕事がしやすくなってきていると思います。
SNSが日常に浸透して、投稿の効果がそうさせているのかもしれませんし、HASUNAと同形態の会社が同時多発的にできたこともあるかと思います。
高田:おっしゃる通りだと思います。元来、ラグジュアリーはヨーロッパから始まっています。ルイ・ヴィトンにしても、エルメスにしてもフランスの貴族的な文化が起源ですから、もともとは一部の富裕層の限られたビジネスだったわけです。
今、ラグジュアリーブランドは、自社が社会還元をしていることを懸命に世に伝えています。
これはマーケティングの意味合いもありますが、根源的に、“ラグジュアリーがやらなくてはいけないこと”だからだと思います。
高貴さは責任を伴う。本来、ラグジュアリーは富の再配分の義務を負うべきでもありますからね。
──ラグジュアリーは一部の富裕層の“富の象徴”から進化し、大衆が参加できる“社会を良くするための投票的消費”に変わっているのかもしれませんね。
高田:消費の一部を社会貢献に回すというのは、すべての消費に当てはまると思います。ですが、富の格差が今後広がっていくなかで、あらゆる階層の方が“買うことで社会貢献”を実践できるかというとなかなか難しいところもあります。
これから力をつけていかれる新しい富裕層の方には、ぜひ買うことでの社会貢献の責任を負っていただきたいですね。
そして社会貢献の場を提供するのが企業ですから、その思いを商品のコアに据えたブランドが、今後大きな期待をされていくのだろうと思います。
(聞き手:呉 琢磨、構成:横山由希路、撮影:岡村大輔)