為末大と考える。あなたに必要なのは改善か、革新か

2017/6/29
世界トップレベルの戦いに挑み続けてきたトップアスリートたち。その知見と経験は、企業経営の視点でも大いに役立つはずだ。アスリートならではの視点を持つ為末大氏、オイシックス代表取締役社長の高島宏平氏、予防医学・行動科学の第一人者石川善樹氏が、アスリートと企業のビジョンづくりの可能性について語り合う。
なぜ、ビジョンが必要なのか?
為末:我々アスリートは、ビジョンを掲げ、日々の練習を重ねていて、ある意味、ビジョンづくりのプロと言えると自負しています。企業経営にもビジョンは欠かせないと思いますが、そもそも企業にとってのビジョンとはどういうものですか?
高島:オイシックスは、この秋に有機野菜販売のパイオニアの大地を守る会との経営統合を控え、今、まさに企業理念や経営ビジョンを作成しているところ。先日も、両社の経営メンバー30人ほどで議論を重ねたばかりです。
為末大(ためすえ・だい)/侍CEO
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2017年6月現在)。現在は、スポーツに関する事業を請け負う株式会社侍を経営するほか、一般社団法人アスリートソサエティ代表理事、アスリートの価値を社会に還元していくチーム「アスリートブレーンズ」代表を務める。主な著作に『走る哲学』『諦める力』など。
石川:僕は、今回、「よいビジョンとは何か」について改めてじっくり考えてみました。ビジョンがなぜ必要なのかを考えると、そもそもは「コミュニティへの忠誠心がなくなった」ということに尽きると思います。コミュニティへの忠誠心がないことで、人々は心のよりどころを失い、心細くなってしまうものです。その心細さを支えるものが、ビジョンなのです。
わかりやすい例が、古代ペルシャのゾロアスター教です。狭いムラ社会から都市へ人々が流入した結果、それぞれの視点がそろわなくなってしまった。そこでゾロアスター教は、宗教というビジョンを教祖、経典、教団という3点セットで示し、都市コミュニティをまとめました。ビジョンの原型はゾロアスター教のあり方にあるともいえますね(笑)。
石川善樹(いしかわ・よしき)/予防医学研究者、医学博士
1981年、広島県生まれ。Campus for Hの共同創業者。東京大学医学部健康科学科卒業、米国ハーバード大学公衆衛生大学院修了後、自治医科大学で博士(医学)取得。「人がより良く生きるとは何か」をテーマとして、企業や大学と学際的研究を行う。専門は予防医学、行動科学、計算創造学など。著書に『仕事はうかつに始めるな』『疲れない脳をつくる生活習慣』『ノーリバウンド・ダイエット』などがある。
理屈ではない。ビジョンは体で感じること
為末:企業にとってのビジョンは社員の心のよりどころということですね。では、そのビジョンをどうやって社員に浸透させていくのでしょう?
高島:うちの会社ではミッションやビジョンを社員に伝えるための手段として、言葉よりも体験を重視しています。直接的にそれぞれが体験することで、会社の存在意義が身体にすっと入ってきて、自然と理解しやすくなる。
例えば、全社員が年1回、畑に行き、農家と一緒に農作業を体験します。食事や会話をする中で、作り手の期待を実感することができます。お客様をパネリストとして招き、パネルディスカッションを開催することもあります。社員は、生の声を浴びるように聞くという体験から多くを学びます。だから、社長が言っても変わらなかったことが、翌日には改善されていたりもする。
高島宏平(たかしま・こうへい) オイシックスCEO
1973年、神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、マッキンゼー東京支社に入社。2000年、「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念とし、食品販売・食生活サポートを行うオイシックス株式会社設立。同社代表取締役社長に就任。2017年秋、(株)大地を守る会と経営統合を予定している。
為末:企業理念を言葉で繰り返すより、体感することでそれぞれが理解していくのですね。
高島:もちろん、体験なので、人によって受け止め方に少しずつズレも生じます。しかし、少しくらいズレていても、それぞれが自分自身の言葉にすることで、パワーは確実についてくる。思いが強くなり、実行力が生まれます。
石川:ビジョンは理屈ではなくて、体で感じられるかどうかがポイント。頭に注入するものではないと思います。
為末さんのようなトップアスリートと話していると、これまで感じたことがない、感情を揺さぶられるような質問をされることがよくあります。我々はどうしても頭で考えすぎてしまいますが、そうではないのだと気付かされることが多い。アスリートのように体の内側から考える、ということを教えられます。
アスリートも経営者も、正解のない道を進む
為末:経営者とアスリートには、共通点がいくつかあると思っていますが、どうでしょう?
高島:大半の日々が成功なのか、失敗なのかもわからない。ほめられるということが、ほとんどない。でも、そのパフォーマンスの積み重ねで結果につながるところは、非常によく似ている部分だと思います。
為末:確かに、正解が見えない。
高島:自分は今、正解に近づいているのか、それとも遠ざかっているかすら、わからないことが多い。そういう中で、自分がパフォーマンスやモチベーションをどうあげていくか。アスリートと企業経営において、かなり通じる部分じゃないでしょうか。
石川:坂道を下っているのか、上っているのか。もしかしたら、平らな道なのかもしれないという中で、進んでいかなくてはいけない境遇にありますよね。
為末:アスリートの場合、正しい選択をしているはずなのに、一時的にパフォーマンスが落ちたりする。そういうときに、それが失敗なのか、慣れていないからパフォーマンスが上がらないだけなのかが、うまく判断ができないときはありますね。
限界まで「進歩」した後は、「進化」しかない
石川:「進歩」と「進化」というのがあって、この2つは全然違います。目標があり、そこから逆算して前に着実に進む状態が進歩。わかりやすいので、人は進歩しているときは安心できるものなんです。
ところが、経営者になると、わかりやすい進歩というのはなくなり、進化するしかない状況になります。進化の本質は多様性です。わかりやすくいうと、新しいことを学んだり、多様性が広がったりというような引き出しが、どれだけ増えているかだと思います。
トップアスリートも経営者も同じで、進歩の限界まで達すると、それが進歩なのか、後退かわからなくなる。それでも「進化するしかない」という感覚になるのだと思います。
為末:そういうときに、表に出ない変化を自分がいかに感じとって、自らを勇気づけられるかが重要になる。
アスリートの言葉でいうと「積み重ね」と「破壊」という捉え方があります。反復するプロセスと、根本から技術を変えるということですが、繰り返しすぎると変化が生じないし、変えすぎると技術が定着しない。
石川:進歩のように目標から逆算して、次に何をすべきかわかるうちは、のびしろがわかりやすいから、ある意味幸せですよね。限界に到達したということは、これ以上何をしたらいいのか五里霧中の状態。それでも進化するという観点で目標を掲げていると、あるときポーンとそこから進めるのでしょう。限界を乗り越えたトップアスリートは、そういう経験を持つ強みがあると思います。
企業に置き換えると、「改善」と「革新」といえるかもしれません。改善のための目標設定と、革新のためのそれは違います。ビジョンをどうするかという前に、もっと改善すべきことがある会社なのか。それとも改善という雑巾は絞りきったから、次は革新のステップに進むべき会社なのか。
組織は人体のようなもの。異物を入れて多様性を保つ
石川:もうひとつ、アスリートに学ぶべき点として、多様性を高める姿勢があります。トップアスリートになると、学ぶべき存在が同じ業界では見つけにくくなるもの。そうすると、彼らは思ってもみなかった分野に教えを請いに行ったりします。例えば麻雀のプロのもとへ出かけて、集中力や勝負への向き合い方を教わったりしているアスリートもいます。
それは企業経営でも同じです。ほかの分野からさまざまな知見を得て、視点を変えていく姿勢があるべきです。その知見をアスリートから得るというのは、よい選択だと思いますよ。
高島:経営者の感覚でいうと、組織は人体のようなものです。社員500人でできている人の形をしたものを、いかに自分の身体を動かすような感覚で、思った通りに動かせるか。そんなふうにいつも考えています。
石川:高島さんはこれまでひとりで身体を動かしていたのが、これから経営統合で二人三脚になりますね。
高島:最初は二人三脚でも、それをひとつの身体に融合していくことになると思います。
インフルエンザワクチンは、刺激を与えて身体の持つ能力を引き出しますが、今回の経営統合もそういう効果があるはず。社員にも組織にも大きなショック療法ですが、今のところうまくいっています。実際、経営統合が決まってからのオイシックスの社員は非常にパフォーマンスが上がっているし、より能力を引き出しやすくなっていると感じています。
為末:揺さぶりをかけるということですね。
高島:組織を揺さぶることで、組織の力を引き出すということです。
石川:長生きする企業とそうでない企業の違いは、「多様性にあり」という研究があります。組織は効率化を求めて同質化していくものですが、その中でどれだけ異質なものを許容できるかが、組織としての体力になっていく。あえて、インフルエンザの菌を入れるというショック療法も効果的です。
高島:もうひとつ、組織を人の体に例えて考えると、無駄話というのが身体中を巡る血液のようなものだと思っています。実際、社内の部活や飲み会に参加している社員はパフォーマンスが高いし、無駄話が多いほうが組織としても活性化する。
そのため、意図的に部署を超えた無駄話が生じやすい環境を作って、組織という身体に血を巡らせて全体のコンディションを整えています。そうしないと、部署ごとに手は手だけで動く、足は足だけで動くという、バラバラな身体=組織になってしまう。
「失敗貯金」が成功を導く
高島:アスリートから学んだ言葉に「失敗貯金」というのがあります。プロアスリートはうまくいかないことのほうが多いと思いますが、それをどうしているのかを尋ねたら「失敗を貯金と考える」と言われました。
失敗をすればするほど、それは成功への貯金となり準備が整っていくという考え方です。それを聞いて、早速、社員に「失敗してない人は成功への貯金がたまっていないと思ったほうがいい」と話しました(笑)。
石川:確かに失敗しない人は、成功もしませんよね。
高島:組織にいると、成功、失敗にかかわらず給与はもらえます。失敗をしないということは、成功への貯金がないから、何の変化も起きないということ。日々のパフォーマンスで失敗して、その失敗から成功へのきざしをみつける。アスリートはそういうふうに上手に失敗を重ねている。ビジネスパーソンにとって、その失敗貯金はとても参考になります。
為末:失敗だけでなく、勝利、敗北、目標、スランプ…。そういうビジネスシーンに応用できるような心構えが、アスリートにはありますね。
石川:アスリートは、いろいろな状況の中で、自分のコンディションを客観的に把握する、そういう自己認識ができる人たちです。それは一般人とは大きく違う能力のひとつといえます。
彼らは今日の自分の調子が良いのか悪いのか、それとも普通なのかを、毎日のルーチンから繊細に感じ取っています。例えば、元バレーボール選手の朝日健太郎さんは、毎朝洗濯物を干すときの感覚から自分の好不調を観察して、その日のパフォーマンスを決めているそうです。
為末:アスリートにとって、そういう自分を観察する力は必須条件。特に陸上のような競技では、自分への観察力次第でメダルの数が変わるほど、重要な要素です。そういう視点が、企業経営に生きるシーンというのもあるでしょうね。
ずば抜けた努力でビジョンを達成するアスリート
為末:アスリートのビジョンへのスキルは、経営者にとっても参考にすべきことがたくさんある、というお話ですが、具体的にどのような点が学ぶべきポイントだと思いますか?
高島:オリンピアンのように、ビジョンを実行し成し遂げた人というのは、努力のレベル感がずば抜けている。オリンピックに出たい人がたくさんいても、実際に出場できるのはほんの一握り。同じように会社で売り上げを10倍にしたいと思っている人は多くとも、それが実行できる人はほとんどいません。
だからこそ、それを実現したトップアスリートに学ぶことは非常に大きいと思います。やはり世界で結果を出したトップアスリートというのは、「そこまで考え抜いているのか」という説得力がある存在。そういう人たちに学ぶことで、自分はそこまで事業を考え抜いているだろうか、と自問させられます。
石川:トップアスリートの人たちに対して、「そこまで考えているのか」と感じることが多くあります。「金メダルを獲りたい」「なぜ金メダルを獲りたいのか」「それは自分にとってどんな意味があるのか」。そういうことをとことん考えている。目的が金や名誉だけでは頑張りきれないから、そこまで徹底して考え抜くのでしょう。
そのビジョンは、自分の身体を説得できるか
為末:肉体的な負荷があまりにも高いので、金メダルの目的がぼんやりしていると、自分の身体を説得しきれない。だから、何度も、何度も自問自答しながら、ビジョンを設定していく。
石川:最初に「ビジョンは自分たちの心細さを支えるものだ」と話しましたが、本当に自分の心に刺さるビジョンは、そこまで考え尽くさないとダメなんでしょうね。なので、自分たちは何者で、何のために存在していて、何のためなら頑張れるのか、それによって未来はどう変わっていくのか。
そこまで考えることで、自分の身体を説得できる実行力を伴ったビジョンになっていく。単なる目標設定とは違い、内的動機が必要とされるものです。
個人も法人も、「進歩」から「進化」へのフェーズに入る時に、「目標」ではなく「ビジョン」が必要となる。そしてそのビジョンづくりには、これまでの延長線に答えがないからこそ、「異なる分野からの学び」が重要となる。そして、自分の身体にはない異物を注入することで、新しい視座を得ていく。
そういう意味では、トップアスリートは、限界を突破した経験がある存在であり、限界を突破した人だけが見たことのある風景を知っている存在であるからこそ、ともにディスカッションを重ねながら、ビジョンをつくるパートナーとして最適な人材だと思います。
アスリートブレーンズでは、世界のトップレベルを極めたトップアスリートだからこそ知っている、勝つためのビジョンづくり&コンディションづくりのノウハウを、コンサルタントやクリエーターと共に企業経営に応用するサービスを始めています。
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(取材:久川桃子、構成:工藤千秋、撮影:北山宏一)