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平野さんがいうように、オートメーション化はますます進み、人間という不確実性のかたまりが「自由」にできる領域は減っていくのだろう。

人間の運転は危険だから自動運転。人間の診察は判断ミスがあるから、診察のAI化。選択する行為はまだ人間に残されているけれど、それさえも「こちらの方が成功する確率が高いですよ」というAIの予測により、どんどん失われていく。50年後には、生まれた瞬間にいつ死ぬかの予測も出るのかもしれない。

その頃に「昔はよかった」と懐かしむのは、今、無くそうと躍起になっている「人間の不確実さ」なのかもしれない。

"重要なのは、機能的に分化したこの社会の全体が、途切れなく連結し、滑らかに機能し続けることである。人々はそれに漠然と疲労感を覚え、自由であるというより、自由であるかのように振る舞わされていながら、概ね心地よく受け容れている"
疲労の平等という概念は、すごくしっくりくる。今の日本に蔓延している。本当の自由とは何かを考えるきっかけがたくさんある文章。
自分の苦労の分だけ、他人も苦労していないといけない心理。
これが羨むことに繋がるし、ストレスを感じる要因なのかもです。そもそも苦労した分の結果が出るというのがイリュージョンなのですが。結果は運や才能などの要素が絡み合ったものですから。
ますます便利になる社会システムの中にいながら、ふと感じる漠然とした不安が指摘されている。

「オートメーション化」について、それが「何を目的としているのか」という補助線を引くと、前向きなスペースが見えてくるように思う。平野さんは「リスクとコストの最小化」が目的としているが、他にもあるだろう。

補助線を引いても、やはり効率化が有力な目的に思えることがある。その理由のひとつは、テクノロジーが遠くにあるからだろう。ソーシャルメディアにしても、中央集権的なものを使うのと、例えばマストドンのような分散型のものを、場合によっては「作り」ながら使うのでは、見える風景は異なる。

テクノロジーが民主化された社会での「人間の自由」を考えると、少し違った議論になるように思います。
「AI以後の社会」における自由を考える上で、本質的な指摘にあふれています。

後半の「疲労の平等」についての論考はとくに印象的でした。私自身、平野さんの高校のライバル校の出身でしたが、似たようなことがありました。
不確実性が高いからこそ自由に発想して行動できるはずなのに、いつの間にか規制をつくり不自由な環境を自分たちでつくってしまう。

危険、不確定性を排除する構造はテクノロジーが生み出すものではなく、社会・文化の特性なのだと考えています。

不の解消が幸せに繋がるのかは不明。
不を良い塩梅で残すデザインが求められてくると思います。
NPに流れる記事とそこに書かれるコメントのギャップから見ても、あらゆるメディアは何かを達成するためのオートメーション化を試みようとしていることがわかります。

それを自分の脳で考え、どう判断するか、で得られるものは変わりますが、正直途方もない量で毎回意識するのはしんどいのです。だからこそ取捨選択を個人の意志でやっていかないと、ただただ情報の波に打ち寄せられ、飲まれ、そして誰かの意図通りの方向に持っていかれることになりますし、逆に毎回考えすぎてもSNS疲れを起こすだけ。

これだけオートメーション化が進むと、人の均質化も進む気がしています。仕組みをまずは理解して、何をオートメーション化し、何をせず自分でやるのか、大袈裟に言えばこの選択こそが人生を創ることに繋がって行くんだろうな、と感じます。
え?おれ楽しく働いてますけど笑
本当にこの人の視点に学ぶことが多い
この連載について
ウェブ、ソーシャルの波に続く、新たな波が押し寄せている。AIなどのテクノロジーは世界と日本をどう変えるのか。社会、思想を中心に描いたSeason1に続き、Season2では、企業と個人を中心にして、ポストウェブ、ポストソーシャルの世界を有識者とともに考えていく。