働き方を見直すと人生は刺激的な瞬間の連続になる

2017/6/2
政府がプレミアムフライデーを提案するなど、日本全体で「働き方」が見直されている昨今。誰かに決められるのではなく、自らワークスタイルを規定し、実行してきた“ヒーロー”たちの多様なポリシーに学ぶ。(全4回、毎週金曜日掲載)
「日本の伝統文化の再生屋」と呼ばれ、伝統工芸の職人とのコラボレーションなどを通して、日本文化の魅力を再編集・再定義している丸若屋。
パリに構えたブティック「NAKANIWA」では、日本の伝統工芸品やお茶を販売し、それら日本の優れたものをフランスの生活文化に根付かせるため活動してきた。
そこで代表取締役を務めるのが丸若裕俊氏だ。仕事の場は日本国内にとどまらず、パートナーも伝統工芸の職人、海外のアーティスト、茶の生産農家と幅広い。
丸若氏は「刺激にあふれた人生じゃないと生きていけない。だから今がある」と言う。その真意とは──。
常に刺激を得るためのワークスタイル
──「働き方改革」として国家的に労働時間の削減が叫ばれていますが、丸若さんも意識していますか。
丸若:仕事をしている時間は人生の中で大きな割合を占めます。特に私のようなクリエイティビティが要求される仕事では、「仕事」と「それ以外」を厳密に分けることはとても難しく、「オン」の時間が長くなります。
最近、オン・オフの切り替えをはっきりさせる働き方が注目されているようですが、その働き方は少なくとも私にはなじまないし、日本人にとって適した働き方なのかも疑問ですね。
海外の人たちと仕事をしていると、いつも彼らの体と脳の頑丈さに驚かされるんです。西洋人は、仕事をはじめたらいきなりエンジン全開。逆に、2カ月バカンスをとって完全にオフにすることもできます。
一方、日本人がパフォーマンスを発揮するためには、体と脳を徐々に温めて、仕事を終えるときには徐々に冷ます、という過程が必要です。
その違いを生む要因はいろいろあると思いますが、やはり日本人が農耕民族だったことと関係があるような気がしますね。
農業は「稲を刈ったら休み」ではなく、すぐに次の1年の準備がはじまる。年間を通して、ちょこちょこと細かな作業がいっぱいあって、完全なオフにはならないのです。
──そんな日本人には、どんな働き方が適しているのでしょうか。
仕事をする時間を減らそうとしても、結局、何か別の作業をしてしまう。そういう人は、私以外にもたくさんいるんじゃないでしょうか。だから、国や他人の意見に影響されず、自分の性分を知ったうえで、どう働くかを考えたほうがいい。
たとえば私は、ルーチンワークに陥ると、頭が働かなくなって記憶が飛んでしまうほど極端な人間なんです。そこで、「人生を刺激的な瞬間の連続にしよう」という目標に合わせて、働き方を模索してきました。
刺激的な仕事は、それなりにハードでもあるので、常に高いモチベーションを保つことが必要です。だから私は、いつも「自分」を中心に据え、自分の感覚に素直に従います。
たとえば、徹夜してでも「のっている」今、仕事を進めたほうがいいなら徹夜するし、考えを整理するためにベッドから出ないほうがいいならベッドから出ない。
子どもの頃、ソファに横になっていて、親に「布団で寝なさい」と怒られたことはありませんか。でも、すごく気持ちがいいからそのまま寝て、起きたら筋肉痛になっていた……。私の仕事のやり方は、たとえ翌日筋肉痛になるとわかっていても、気持ちよさによって引き出されるものを重視する、というものです。
だから、人にすすめられるか、というと、ちょっと疑問ですね(苦笑)。
人を理解するために、まずは“現場”へ
──丸若さんが仕事において決めている「ルール」があれば教えてください。
一番は、「現場へ行く」ということですね。
自宅は東京に構えていますが、基本的に私は1カ所にとどまっていることがありません。それは単に刺激を得たいから、というだけでなく、現場の空気を少しでも感じたいからです。
もう10年以上も前、日本国内をふらふらと旅しているときに、人を介して職人さんと出会う機会がありました。今以上に伝統工芸に関する情報が世の中になかった頃です。
そこで衝撃を受けたのは、一般的な“職人”のイメージと、実際の職人の在り方の違いです。
もともと伝統工芸が好きで、興味は持っていましたが、私も職人に対してはありきたりなイメージを抱いていました。すべてを断ち切って、山小屋にこもり、一人黙々と作業を続ける、というような。でも、実際の職人はもっと生々しい“人間”でした。
毎日の生活があり、家族との関係性があり、将来についての希望も不安もある。ラジオではやりの音楽を聞きながら仕事をするし、作品からは想像できないようなかわいいキャラクターが大好きな人だっている。でも、そうした作品と直接関係がないような部分が、職人の人柄に大きく影響を与え、実は作品にも反映されている。
伝統工芸自体もあまり注目されていないけど、実際、それを作っている人たちのことはもっと知られていない。この人たちがどうやって日々を過ごし、工芸品を作っているのか。もっと知りたいし、広めたいと思ったのが、この仕事をはじめたきっかけです。
最近は、日本茶のプロジェクトをスタートしました。これからの人生を費やす事業として、畑から生産者と共に取り組むことを選んだのです。それで、茶畑がある佐賀県の嬉野によく足を運びます。
東京と地方というだけでも、いろいろな違いがありますが、ましてや農家となると、時間感覚から何から、まったく違う。
今ではネットがどんどん便利になってきて、現場に足を運ばなくても、キャッチアップできる情報はたくさんあります。でも、一緒の空間で一緒に時間を過ごすことでしかわからないことがある。だから結果的に、あちこちを移動することになるんです。
のびのびと仕事をしてもらうための環境づくり
──伝統工芸の職人や海外のアーティスト、生産農家……と丸若さんの仕事の相手はかなり幅広いですが、どんなことに気をつけていますか。
佐賀の茶畑では無農薬で茶を生産していますが、雑草を駆除するためにヤギに活躍してもらっています。ある意味、彼らはビジネスパートナーなのですが、ヤギに「こうしてくれ」「ああしてくれ」と細かく注文を出すことはできません。それでも、放牧するだけで成果は出る。
職人やアーティストをヤギと一緒にするわけではありませんが、私のスタンスは同じです。彼らは経験と技術があり、感覚も鋭いので、こちらが言った以上のことを察してくれます。
だから、時折コミュニケーションを取っていれば、私が大きな流れを誘導するだけでいいものができあがるんです。
渋谷・宇田川でオープンしたお茶葉屋「幻幻庵(ゲンゲンアン)」では、希少な茶葉が売られている。
──創造性を存分に発揮してもらうためには、過干渉は禁物だということですね。
そうです。もう1つ気をつけているのが、“ファン”にならないということです。
一部の伝統芸能を見るとよくわかりますが、「伝統」と名のつくものの多くはファンが支えています。しかし、ファンのほうだけを見ていることが、新たなファンになり得る人にとって弊害になる。
新しいことに挑戦しないと、新しいお客さんに、新しい価値観を届けることはできないのです。
こんな時代ですから、10年後の世界は、今からは想像できないほど変化していることでしょう。工芸の世界について言えば、このまま進んでよくなることはない。
今、明確に「これが正しい」とは言えませんが、逆に「何をしてもいい」ということだと思って、職人の絶対に変えたくない「コア」の部分以外はいくらでも変えてやろうと思っています。
私がしている作業は、医者の“問診と治療”に近いかもしれません。医者も患者の健康を第一に考えますが、「患者が痛がるのは嫌だな」と遠慮していては治療はできません。痛みを伴うものであれば、なおさら医者と患者の信頼関係が重要になります。だから、現場に行くし、任せる部分は任せる。全部つながっているんです。
伝統的な絵柄と、丸若氏の洒落から生まれた上出長右衛門窯製の湯呑(バカ殿)。
「どう働くか」は、「どう生きるか」
──丸若さんのお話を聞いていると、とても許容範囲が広いですね。それが「刺激的な仕事」をするための条件でしょうか。
自分が心地よくいるためであり、そのほうが結果としてパフォーマンスが上がるからでしょうね。
こういう話をすると、心が広い人間なのだろうと誤解されることがあるんですが、本当は人に合わせることは苦手ですし、許容範囲も狭いんですよ。
会社勤めをしてる人から「楽しそうな仕事でいいですよね」とうらやましがられることがあります。でも、私からすると、会社勤めをして暮らせるなら、そうしたいこともある(笑)。刺激を求めるあまり、一般的な「日常」が送れないから、生きていく術を考えた結果、こうなったんです。
私にとって、どのように仕事をするかということは、どのように生きるかということと直結した問題です。これまでも試行錯誤の連続でしたが、まだはっきりとした答えはありません。固定観念にとらわれることなく、たくさんの人と出会いながら、これからも考えていけたらいいですね。
(取材:大高志帆、構成:唐仁原俊博、撮影:岡村大輔)