経産省の若手の人たちがまとめた資料の「なんとかしないとヤバい感」がすごい
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この感覚は私が外務省に入った1999年のときからもありました。週末に外務省の中野の寮(四畳半一間、エアコン無し、風呂トイレ共同)の部屋や、ラウンジ(?というより玄関の隣においてあるソファ)に集まり、熱い議論を交わしたことを思い出します。
こうしてペーパーにまとまって可視化されたことは良いこと。
ただ、18年を経ても同じ様な危惧を若手官僚が抱いていることに、色々と深刻さを感じる。
追記:朝起きたらlikeが急に増え、その後思うこともあったので追記。今の官僚には、自分たちのできることの限界に忸怩たる思いを抱えている人も少なくないと思います。
かつての単線的な経済成長の時代の仕組みが残りすぎていて、今の時代にあっていない。時代のパラダイムが変わるときの制度変更は、官僚では限界があり、政治的に決断する必要がある。なかには国民に負担を強いたり、これまでの特権的なものが廃止されたりもしかねない。そういうことをせずに、特にポストバブルの時代をきてしまった。官僚が作れる制度をというのは、こういう時代の大きな変化には対応できない。
政治が時代に応じたグランドデザインをして、その下で官僚が自由闊達に動く。そうなれば、官が邪魔者扱いをされずに、むしろ、民間企業が活動しやすい環境が作られる。「坂の上の雲」を読んで外務官僚に憧れて入省する人も少なくありません。あの時代のダイナミズムが国のために働くという気持ちを揺り動かすのは分かります。
時代のパラダイムがかわっているのに、古いパラダイムのなかでやらなければならない、それが若手官僚たちの忸怩たる思いの背景ではないでしょうか。すくなくとも、私はかつての若手官僚として、このように感じていましたし、共感する同僚や同期も少なからずいました。
官僚を辞めてた人の多くの理由は、この点にも通じます。残ってまだ格闘することと、外に出てより自由な環境から変えていくこと。どちらにするか、これはかなり悩みます。日本は役所の外に出たら、また公務に戻ることはとても難しいですから。ただ、外に出て分かったことは、公務の論理を分かった上で活動することの意議。外に知られていないことが多すぎることも、世論と実態の乖離を生んでいると思います。若手官僚の危機意識が高いことがよく分かる。しかも頭のいい人たちだから日本の問題の本質をよく見抜いていて、全く同感する。しかしその彼ら自身も自分たちが40過ぎていくとだんだん危機意識が薄れていく。そして大きな改革ができなくなる。やはり新卒一括採用・年功序列・終身雇用を止めなければ道は開けない。しかしそれを止めるインセンティブは個人にはないし、意志決定者にもない。一つづつクリアしていくとしたら高齢者のセーフティネットの軽減と貧困家庭の支援強化だろうな。特に貧困の連鎖を断ち切ることを最優先にするのは反対する人が少なそう。でもそれは日本の抱える問題の一端に過ぎないんだけど。
私が「好きなことだけで生きて行く」とかで言ってることと同じで、その実践をする場として堀江貴文イノベーション大学校作りました。 http://salon.horiemon.com