応仁の乱から考える。「なぜ同床異夢の組織は崩壊するのか」
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「短期決戦ならビジョンの違いはあまり顕在化しませんが、戦争が長引いてくると、もともとビジョンや利害が一致する身内の人たちと、外部から呼んできた人たちとの軋轢(あつれき)が一気に噴出してくるのです。」
これはどんな組織にも通じる話だと思いました。組織運営の難しさは長期的にみたときに初めて顕在化する気がします。
注目のコメント
短期決戦を志向していたのに、思いの外長期戦になってしまい収集がつかなくなった、というのは本当にあらゆる失敗の元凶のようなものですね。
では、何故そうなったかと言えば、ものすごくザックリいってしまうと、乱の元凶だった足利義政が、将軍を辞める辞めると言っておきながらサッパリ辞めようとしなかったこと。
最初は辞めるから弟に譲ると言っておきながら、子供ができたらそっちに譲ると前言撤回する、まあ、そこまではよくある話なのですが、実際にはその子供にさえ譲らず、ナント本人の在位25年。
実はこれ足利幕府で在位3番目の長期政権だったりします。
今でも後継者云々言いながら、高齢になってもなんだかんだ理屈をつけて後進に道を譲らない経営者とか会社があったりしますが、当時の日本はそんな状態だった訳ですね。
社長と後継者の身柄を抑えたら勝ちだと思ったら、社長は引退しないは、後継者はいまいちリーダーシップが無いわで、ダラダラと多数派工作を進めた結果、お互い引っ込みがつかなくなったみたいな感じでしょうか。
そして、まさか日頃将軍辞める、が口癖だった義政が実は辞めないという事態は誰も想定していなかったので、そもそも戦う理由さえよく分からなくなってしまい、プランBもへったくれもなかったのでしょう。
そういう意味で、応仁の乱は後継者問題が深刻な現代の会社経営にも、ある種の示唆を与えてくれるかもしれませんね。引き際の話で、会社経営においても「撤退ライン」を決めておくことは非常に重要。あらかじめ組織全体でルールが明確化していれば、それぞれの思想や利害は関係なく、意思決定の納得感が高く、実行までスムーズに進むものですね。サイバーエージェントさんはきちんと言語化しています。
https://ameblo.jp/shibuya/entry-11455423878.html
ただ、「もうちょっとやりきれれば、成功する」ということも往々にしてあるので、撤退ラインの設定はけっこー難しいですね。皮肉にも関ヶ原は誰もが長期戦を予想したのにあっさり半日で決着がついてしまいました。この違いは何か。ifはそこにもたくさんあったはずです。突き詰めると全体の意思統一になるんですかね。なんとなくかき集めた兵と自分の意思で集まった兵。家康は小山会議で意思確認をしています。もちろん大げさな演出もありましたしね。