落合、猪瀬、前嶋、3人のプロピッカーが読み解く、映画『メッセージ』の衝撃と感動の正体

2017/5/17
アカデミー賞受賞他主要8部門ノミネート、異色のSF感動作として世界中で絶賛された映画『メッセージ』が5月19日、ついに日本公開となる。
“彼ら”は人類に何を伝えようとしているのか──。断絶と対立の時代を生きる私たち人類一人ひとりに突きつけられた、‟未知なる者”からのメッセージを、メディアアーティスト・落合陽一さん、作家・猪瀬直樹さん、政治学者・前嶋和弘さんの3人のプロピッカーに、ディープラーニング、言語・文化コミュニケーション、国際政治というそれぞれの専門分野で分析してもらった。これから映画を観る読者に向けての、ネタバレなしの“メッセージ”。読んでから映画を観るもよし、映画を観てからじっくり読むもよし。人生観をも変える映画との出会いをより深く味わってほしい。
【落合陽一】もし僕が異星人と対話するなら
僕はこの映画を観ながら、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を思い浮かべていました。
物語は、米ソの宇宙開発競争が熾烈さを増す20世紀後半のある日、巨大な宇宙船が世界各国の首都上空に出現するところからはじまります。「オーヴァーロード(最高君主)」と呼ばれる異星人が人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらすのですが、その後思ってもみない結末が……。
はじまりは『メッセージ』とよく似ていますが、『幼年期の終わり』ではSF的なギミック多用され、「超展開」によって読者を突き放します。一方、極力SF的なギミックを排して、主人公の言語学者・ルイーズの内在的な話に落とし込むことで共感を呼ぶのが『メッセージ』。
「異星人からの侵略に世界が一致団結して立ち向かう」というステレオタイプのSFらしい展開がなく、こんな一大事にも世界がひとつになれないところに、時代が反映されているのかもしれません。
アカデミー賞音響編集賞を受賞しただけあって、独特の音響が映画の緊張感を高めてくれるので、ぜひいい音で聞いてもらいたいと思います。
「面白かった」と断った上で言わせてもらえば、今、地球に異星人がやってきて、僕が「なんとか会話してください」と依頼されたら、きっと、ありったけの言語をディスプレイに映して彼らの反応を見る。さらに、できるだけたくさん言葉を印させて、ディープラーニングもしくは、数が少なければ構文解析で解析しようとするでしょう。
そもそも、ボードに「HUMAN」と書き、自分を指差して見せるルイーズのようなやり方は、言語解析の世界では非常にアナログな手法です。AIがスタンダードになった今、なぜあえてこのやり方をとったのか、彼女とはじっくり話し合う必要がありそうです(笑)。
異星人と対峙し、コミュニケーションをはかるルイーズ。
僕が異星人とのコミュニケーションをここまで「自分ごと」として受け入れられるのは、今まさに我が家で異星人と格闘しているから。わかりやすく言うと、子育ての真っ最中なのです。
生まれたばかりの子どもは、まさに言葉の通じない異星人。なぜ「あー」と言っているのか、なぜお腹いっぱいのはずのこのタイミングで泣くのか。はじまったばかりの言語解析は困難を極め、頭を抱えるルイーズの気持ちがよくわかります。
試行錯誤の末、我が家の異星人は、テクノをかけながらお腹を叩いてやると、スッと泣き止むことが判明しました。急な身体変化を与えられると「お腹が減ったとか眠いとか、それどころじゃない!」と感じるようで、抱っこしたり、体を揺すったりしたときも同じく泣き止みます。
彼女のちょっとアナログなアプローチに「なんでだよ!」とツッコミを入れたり、「自分なら言語学者と機械学者に協力してもらうな」と仮想のパーティを組み立てたり。僕のようにコンピュータと関わりがある、もしくは子育てをしたことのある人なら、異星人の言葉の解析方法を「自分なりに考える」楽しみもあると思いますよ。
【猪瀬直樹】既成概念を覆す、まったく新しい「異世界」
この映画は私たちにどんな「宇宙船」を見せてくれるのだろう。
私が純粋に「SF映画」として『メッセージ』に期待していたのはその部分でした。古くは『宇宙戦争』や『未知との遭遇』から、たくさんのSF映画を観てきましたが、優れた作品にはそれぞれに特徴的な「宇宙船」や「異星人」が登場するからです。
特に『未知との遭遇』で描かれた宇宙船の内部には、教会やお寺のような静謐な空気と「無限」を感じさせる広がりがあり、とても印象的でした。今度は一体、どんな新しい造形で私たちを刺激してくれるのかと思っていたら、さすが『ブレードランナー2049』に抜擢されたドゥニ・ヴィルヌーヴ監督。
既成概念を覆す縦長の宇宙船と、“ヘプタポッド”と呼ばれるタコのような異星人、そして彼らが空間に印す前衛アートのような円形の文字で、私たちを一気に未知の世界へと誘ってくれました。このまったく新しい異世界の産物は、ぜひ自分の目で確認してもらいたいと思います。
相手が異星人ではなく人間でも、わかり合えないことはある。身近なところでは、男と女の会話がまさにそうです。女性は男性に比べて直感的に言葉を選ぶし、思考の飛躍もあるので、想像力を働かせないと、発言の本当に意味するところはわかりません。
これは、男性なら誰しも共感するところだと思います。逆に女性は、「どうしてそこまで言わなきゃわからないの?」と思っていることでしょう(笑)。
作中、主人公の言語学者・ルイーズが「(異国の)相手の文化まで理解しなければ、本当に言葉を理解することはできない」といった発言をしますが、まったくそのとおりだと思います。
そもそも「言葉」やそれを用いて綴られる「文学」は、私たちが「わかり合えない」ということを前提に生まれたものです。たとえば、「美しい人」という主観的な形容詞では伝わらないことが、どんな髪の色なのか、どんな肌なのか、どんなふうに笑うのか、描写とすれ違う会話を重ねることで、徐々に内面が明らかになっていく。
わかり合えない私たちが、互いの思考を手繰り寄せるために編み出したコミュニケーションツールが、「言葉」であり、言葉の組み合わせの結晶である「文学」なのです。
異星人“ヘプタポッド”が印す円形の文字。ルイーズはその解読に成功するが……。
さらに言えば文学は、簡単に「時」を引き寄せることもできます。たとえば明治時代に書かれた小説を読めば、その時代の人の思考を知ることができるし、私のように「作家」を仕事とする人間は、ひとつの物語の中に過去、現在、未来を同居させることができます。
この「時」という存在は、『メッセージ』を読み解くためのもうひとつのカギ。私たちにとっては過去から未来へ一直線に流れていく「時」が、異星人にとってはまったく違う流れ方をしています。宇宙船を縦型にした作者は、こんなところでも既成概念を覆して、私たちを驚かせてくれるのです。
非常に静かで知的なSF映画。観終わった最初の感想はそれでした。そして、「もう一度観たい」と思った。「あの部分の解釈はこれで合っているのか」「主人公の行動は何を暗示しているのか」。何度も観て、理解を深めたくなるはずです。
【前嶋和弘】あったかもしれない、もうひとつの「9.11」の結末
ある日突然地球にやってきた異星人“ヘプタポッド”。その目的を知るために、主人公の言語学者・ルイーズは必死で彼らとコミュニケーションをはかり、言語の解読を試みます。しかし、「武器を提供」という意味深なメッセージを受け取ったことで、それまで一致団結していた世界はバラバラになり、さらに混乱に陥ってしまう……。
「異星人=理解できない思想を持つ外国人」と置き換えると、物語の構図がわかりやすいでしょう。私は映画『メッセージ』が提示する「未知との遭遇の解決策」に、もうひとつの「9.11」の結末を見ました。私自身、9.11をアメリカで迎えたので、余計にそう感じるのかもしれません。
宇宙船の出現によってパニックに陥る人々は、まさにあのときのアメリカの姿です。大学の授業はすべてキャンセルになり、いつもは混んでいるハイウェイも怖いくらいにガラガラだったのを覚えています。
ですが、ルイーズたちがたどる運命は、現実とは違います。アメリカ同時多発テロは、アフガニスタン紛争、イラク戦争という「報復」を生んでしまいましたが、彼女はあくまでも対話によって、互いを理解し合う努力をするのです。
特に印象的だったのが、宇宙船の中で異星人と対峙するルイーズが防御服を脱ぎ捨てるシーンです。これは、「サイエンティフィックなやり方である程度までは互いを理解できても、最後、もう一歩踏み込むためには人間的な歩み寄りが必要だ」という意味ではないでしょうか。
彼女の勇気ある姿勢は、あるべき国際政治の姿。広い意味での、異文化コミュニケーションの理想形だと思います。
知らないもの、わからないものを怖がるのは、生き物としての本能です。でも、異星人だから地球を攻撃するとは限らないし、不法移民だからといって犯罪を犯すわけではない。自分たちの文化では理解できない存在を、それだけで排除しようとする「今の世界のスタンダード」に警鐘を鳴らしているようにも思えます。
人によってはこれを「反トランプ映画」と観るでしょうし、一般大衆の恐れや不安を利用する政治への批判を込めた「反ポピュリズム映画」と観る人もいるでしょう。単なるSFで終わらない、現実世界との巧妙なリンクが、この映画の面白さだと思います。
SFの体をとっていますが、これは有事に直面した世界が正しい選択をするファンタジーです。主人公にとってはラブロマンスであり、勇気ある決断の物語でもあります。
デートで観に行くと、結婚を決意してしまう人もいるかもしれない……と、最後に少しだけ結末のヒントを言わせてください(笑)。
(編集・構成:大高志帆 撮影:加藤ゆき)