グーグル出身のコリン・フアンは、上海に本拠を置く「ピンドゥドゥ」(拼多多)の創設者。同社は、ユーザーが商品を共同購入して集団割引を得られるようにするビジネスで急成長を遂げているユニコーン企業だ。

起業4社目、eコマースの革命を狙う

中国人起業家のエリートコースとは、シリコンバレーでキャリアをスタートさせた後、母国に戻ってテック企業を立ち上げて成功させるというものだ。
コリン・フアンは、まさにそうした道を歩んでいる。
かつてグーグルのエンジニアとして、初期のeコマース向け検索アルゴリズムを手がけたフアンは、すでに4社目を起業。現在は、もっとも野心的なスタートアップ「ピンドゥドゥ」(拼多多、以下「PDD」)に取り組んでいる。
フアンは、フェイスブックとグルーポンを合体させたようなPDDを通じて、eコマースに革命を起こそうとしている。
情報筋によると、PDDは先ごろ1億ドル超の資金を調達。創設2年足らずで、評価額が100億元(15億ドル)を突破した。中国では2017年に入って、評価額10億ドルのスタートアップが米国と並ぶペースで誕生しているが、フアンもそれに貢献したことになる。
PDDのアイデアはいたってシンプルだ。ネットショッピングをする消費者は通常、すでに買いたい商品を決めている。アマゾンやアリババを訪れ、キーワードで検索して、いくつかの選択肢やレビューをチェックしたのち、購入する商品を選ぶ。
こうした買い物客に対して、友人とショッピングモールで1日を過ごすような体験を提供しようというのがフアンのアイデアだ。
自分のほしい商品について他のユーザーと意見を交換し合い、信頼できる相手からフィードバックを受け、ついでにちょっとしたおしゃべりに興じる。その後、ユーザー同士で一緒に商品を購入すると、割引が受けられるというわけだ。

ソーシャル要素を備えたショッピング

これは「ソーシャルコマース」の新しい形だ。
ソーシャルコマースのアイデアは米国でも試されているが、これまでのところ成功していない。ツイッターとフェイスブックが一時期、ユーザーのニュースフィードに表示される広告に購入ボタンを設置していたことがあり、フェイスブックは「フェイスブック・クレジット」という仮想通貨まで提供していた。
しかし、最終的には両社ともテストを中止した。ユーザーの多くは、オンラインで友人と交流しているときに商品を売りつけられるのを好まなかったからだ。
その点、最初から「ソーシャル要素を備えたショッピングサイト」として出発したPDDのような企業のほうが、うまくいく場合がある。
フアンは、ソーシャルネットワークからモバイル決済まで幅広い目的に利用されている中国の人気メッセージングサービス「WeChat(微信)」に、自社のアプリを埋め込むという巧みな作戦をとった。
さらに、ユーザーを引きつけるべく、フアンは以前にゲームアプリで成功を収めた経験を生かして、PDDの利用体験を楽しいものにした。
「こうしたビジネスに挑戦した企業はいくつかあるが、うまく実現できた例はない」と、髪を角刈りにし、屈託なく笑うフアンは話す。「われわれには競争上の強みがあると思った」

「共同購入」というビジネスモデル

いまのところ、フアンの見立ては当たっているようだ。
需要は急拡大し、PDDは上海の広大なオフィスに移転することになった。フアンによると、従業員数も1000人に倍増する見通しだという。
PDDは目下、非公開のeコマース企業としては中国で最大の販売高を誇る。eコマース全体では、アリババ・グループ・ホールディング(阿里巴巴集団)とJD.comに次ぐVIPショップ・ホールディングスに迫る勢いだ。
PDDは急成長したが、その一方で、購入した商品が届かなかったり破損していたなどのトラブルも一部発生しており、損害を受けた顧客から苦情が寄せられている。共同購入というビジネスモデルは過去にも失敗例がある。なかでも有名なのがグルーポンだ。
それでもフアンは支援者を見つけるのに事欠かず、2015年に1回目のベンチャー資金調達ラウンド、2017年2月には最新のラウンドを完了している。
1回目のラウンドを率いたバンヤン・キャピタル(Banyan Capital)のチェン・チャンは、フアンのシンプルなコンセプトに興味を引かれたという。「お金を節約したい、友だちに教えたいという人々の心理をうまく利用している」とチャンは話す。

インターンシップの経済格差を学ぶ

現在37歳のフアンは、中国の杭州市で育った。いまではeコマースの先駆アリババの本拠地として知られる都市だ。フアンの父親は中学を中退し、母親ともども地元の工場で働いていた。
フアンは幼いころから聡明さを発揮し、12歳のときに名門の杭州外国語学校に入学。地元エリートの子弟と机を並べることになった。フアンは優秀な成績を収め、学校での経験は彼の人生を変えた。「この学校が私の世界を開いてくれた」とフアンは話す。
フアンは浙江大学に進学し、さらに米国のウィスコンシン大学でコンピューター科学の修士号を取得。このころフアンは、インターンシップの経済格差について学んだ。
北京にあるマイクロソフトのオフィスでインターンシップを行ったときは月に約6000元(900ドル)の収入だったが、その後、米国のマイクロソフト本社にインターンとして勤務したときは、月の収入が約6000ドルだったという。
卒業を控えた2004年、フアンは選択を迫られた。ひとつはWindowsとOfficeで市場を支配し、途方もない利益を上げていた巨大企業のマイクロソフトに入社する選択肢。そしてもうひとつは、当時まだ成長途上の検索エンジン企業で、株式公開もしていなかったグーグルに入る選択肢だ。
結局、フアンはグーグルを選び、多くの学友たちを驚かせた。「不確定要素があるからこそグーグルを選んだ」とフアンは述べる。
その後のグーグルの目覚ましい発展は、よく知られるとおりだ。不安の多いIPOを経て、利益は増大し、株価は急上昇した。少数株主だったフアンでさえ、純資産は数百万ドルにふくれ上がった。
さらにフアンは、現在のようなスタイルのオンライン検索が生み出される瞬間にも立ちあった。当時グーグルはユーザーの検索に対してどのように結果を返すか模索しており、同時に広告主は検索結果のかたわらで商品を売り込む方法を学びつつあった。

グーグルとの別離、創業の道を進む

その後、2006年にフアンは中国へ帰国した。グーグルが厳しいオンラインの検閲にも負けず中国で地歩を固めようとして、中国でのライバル百度(バイドゥ)に対抗しようとしていた時期だ。
しかしフアンはほどなく、カリフォルニア州マウンテンビューにあるグーグル本社へ出向くことがイヤになってしまった。どんな小さな決定事項も飛行機で本社まで出向き、創設者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンの同意をとりつけなくてはならなかったのだ。
中国語の検索結果に表示される文字の色やサイズの変更について、彼らに直接サインをもらいに出向いたのを最後に、フアンは次へ進むことを決意した。そして権利を行使していないストックオプションをかなり残したまま、フアンはグーグルを離れた。
そして2007年に、自身の最初の会社を立ち上げた。消費者家電と携帯電話を販売するeコマースサイト「Ouku.com」だ。
売上は急速に伸びたが、ほかに似たようなサイトが何千と存在することを理解していたフアンは、2010年に事業を売却。続いて手がけたベンチャーでさらなる成功を収めた。
「Leqi」は、アリババの「淘宝(Taobao)」やJD.comのようなサイトで企業が自社サービスを宣伝するのを支援するビジネス。次に立ち上げたのが、WeChat向けのロールプレイングゲームを手がけるゲーム会社だ。
いずれの事業も成功し、それによってフアンは「経済的な自由」を手に入れた。
(協力)Gao Yuan、Sarah Frier
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Peter Elstrom記者、David Ramli記者、翻訳:高橋朋子/ガリレオ、写真:grapestock/iStock)
©2017 Bloomberg News
This article was produced in conjuction with IBM.