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近頃はネットの負の側面にばかり目が向いてしまいがちではありますが、同時にやはり、めちゃめちゃ面白いことが起こっているタイミングにいるんだということを改めて感じます。
今までの様式美や常識がひっくり返るかもしれない。ひっくり返るまでには至らずとも、オルタナティブが示されるかもしれない。それって興奮することですし、めちゃめちゃ痛快じゃないでしょうか。
この投稿は示唆に富みまくってる。
もはや「神は細部に宿る」時代ではないのか。ときにプロのこだわりは、素人の分解能で見ればどうでもよく、プロの生理的拘泥や自己満足にすぎない。今までは素人が手軽な販路を持ってなくて、プロが不必要に質を高めていられる暇があっただけかも。
昨日編集者の方と食事をしていた時、ちょうどプロカメラマンの話になりました。
かつてのカメラマンと言えば搬入機材が滅茶苦茶重くて、それらをかついで来る姿はちょっとした傭兵(?)に見えたと。また現像には手間も技術も必要でそれはそれは職人芸の世界だったと。

90年代後半にビックミニで撮った写真で鮮烈なデビューを飾ったHIROMIXのように、いつしか機材も軽量化され女性カメラマンも増加しました。今までプロと素人を分けていたもののほとんどが『感性』ではなく『高くて重い機材』だったり『暗室での現像スキル』だったりするわけですから、そのあたりが機器の進歩で『民主化』された時、プロカメラマンのありかたも再定義されなければいけないのかもしれません。

これ医者も人ごとじゃないですね・・・。
まさにこれ!
記事にあるように、普通の人たちが「コンテンツ供給側」に参入することによって、それまでの参入障壁(写真家とか小説家という職業)が取り払われました。

供給の大過剰になっています。

従来から、コンテンツの制作・販売をしていた人たちにとっては厳しい時代です。

逆に、需要者側としては良いコンテンツを安価に手に入れることができます。

まさに「買い手天国、売り手地獄」
古い話だが、1990年代中盤はアメリカのコーヒーはまずいというのが常識だった。スターバックスを日本で展開するプロジェクトを始めるにあたり、コーヒーのプロの意見を伺った。男性の業界関係者は、「スターバックスはアメリカでは成功しても日本では通用しない。ドトールがあるので、値段も1杯200円以上は誰も払わない」と、判を押したような回答だった。

パートナー企業のサザビー創業者の鈴木陸三さんは、生活者の半歩先の嗜好を提案して成功し、「プロの否定」を信じていなかった。「スターバックスはかっこいい。このまま持って来れば成功する」と判断していた。実際に、コーヒー消費の主戦場でない女性たちのヒアリングをすると、スターバックスのコンセプトの共感し、400円、500円出しても、「サードプレイス」を楽しみたいと回答していた。そして店舗展開すると、実際にそうなった。

スターバックスのブランドが確立し、事業が勢いを増したあとも、「コーヒーのプロ」の中には、「スターバックスはミルク屋であり、コーヒー屋ではない」と否定し続ける声があった。エスプレッソを導入し、フォームドミルクを加えたラテという新しい飲み方を提案し、フラッペチーノやキャラメルマキアートなどのスイーツ系飲料がブレークしたのだから、原理主義的コーヒー屋にすれば、否定したい気持ちはわかる。

しかし、世の中が動く時、旧来の枠組みに閉じこもると、いろいろな可能性が見えなくなる。一番見えなかったのは、「コーヒー」のことではなく、人々が求める「体験」のことだったと思う。人間の内的動機、表現欲求、新しいもの探求する好奇心。そうしたものが刺激されると、私たちはプロや専門家も知らない「未知の体験」に触れる。
「魔法のiらんど」が示した、既存の秩序を「みんなで」ひっくり返すパンク感は、音楽(初音ミク)や映像(YouTube)など全ジャンルに広がっていて、当然写真にも及ぶ。
文章になると日本語の使い方の正しい正しくないなど線引きが難しいけれど、画像となるとある種の芸術領域なので自由でいいと思いました。それでもプロと素人の差は歴然としていると感じます。単にクオリティよりも拡散力といった世の中のニーズの問題かと。
守・破・離。プロは型を守る。すごいプロは型を破る、離れるまでやる。素人はそもそもの定石に縛られない。でも持続するには、型を持たないといけないのかもしれない。