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大学レベルの勉強ならオンラインで充分だろう。膨大な論文にも自由にアクセスできるしね。いまの時代。SNSで知識人にも簡単にアクセス可能だ。そもそも自習でその程度できないレベルの人間に大学教育をする意味ないだろ笑。実験や実習のための設備は必要ではあるが、公的機関がある程度の設備はレンタルしてくれる。実際うちのロケットの会社ではそういう設備を間借りしたりできる。てか、ロケットエンジンのマトモな実験設備は日本の大学には無かったりしてISTで研究してる大学院生も居たし笑。もう既に大学には箔付けの意味しかないけど、箔付けにしてはコスパわるすぎやしないかい?って思う。某大学法人の人のポジショントークが必死すぎて笑うわ。大学の価値にコスパ以外の云々とか何その大学教笑。

追記。
頭悪い大学関係者が大学教に侵されてることを理解せずに変なコメントしまくり笑。論点がずれまくり。大学の広大な物理キャンパスも必要なく、素晴らしい人材も今やSNSとスマホでバーチャルに結び付けられ、そして理論から実践まで一気通貫にそして、大学のクソ退屈なノンビリカリキュラムなどとは比べ物にならないくらいスピーディに結果を出せる仕組みが作れるのに、そんなレガシーにしがみつくことに、俺の払った税金を使って欲しくないってことですよ。
だってこれは、大学教育無償化反対のポジショントークなんだから。

大学がベターだったのはスマホ以前まで。スマホ革命以降はベターではなく、悪手です。
堀江貴文イノベーション大学校は月ポッキリ一万円で既にFラン大学に入るよりは社会を良くする成果を出せてると思うなぁ。

あと、大学がアカデミア云々という指摘をしてる奴がいるがスマホ以前までは大学がベターだったからそこに人が集まってきただけの話で俺はそれは否定しておらん。「今」は大学はベターではないってだけ。これからグーグルとかアマゾンとかスペースXとかの民間企業や、SNSから知が産まれてくるんだよ。例えば世界のマネーから契約のシステムを一変させるビットコインなんて、匿名のネット投稿から生まれてんじゃん。だから税金の大学教育への投入はベターではない。
堀江氏のコメントが残念。本当の大学教育に触れたことがないからだろう。

彼の言うような学びであれば、確かにビデオや本やら論文を個人で読めばいいだろう。無能な教授が跋扈していることも残念ながら事実であり、潰れるべき大学が無数にあるのも同意である。

しかし、本当の大学教育とはそのようなものではない。集合知を醸成するものであり、議論と対話の積み重ねで多層的多面的な視座を編み上げていく場所である。本当の先導者を送り出すには、そうした場が必ず必要であり、それが日本に一つもなくなってしまうのであれば、それは国家の危機である。

追記。
 思いの外にライクがついたので誤解のないように。現状の大学に関する問題意識は堀江さんとあまりズレはない。
 SNSの可能性を最大限に活用してよりよい教育ができるだろうというのも同意。実際、私の講義や研究室ではSlack, Zoom, Github, Google Docs, Dropbox, Twitter, マストドンを活用してオフラインを補完している。
 ただ、SNS/スマホだけという世界はまだ遠い。だからこそ堀江さんのイノベーション大学校もオフラインを大いに併用しているのだろう。
 放送大学ができたときも、これで高等教育が一般化すると歓喜された。弊学の通信課程も数多くの卒業生を生み出している。新しい可能性を否定するわけではなく、それにはそれで良さがある。ただまだ、遠い。VR/ARなども一通り最新は試しているが、それでも、遠い。
 私個人としては、歴史や伝統を無下に否定し、敵に回すには得策ではなく、それを活用して時世代を切り開くべきという思う。しかし、堀江さんは、過去を真っ向から否定する役割なのだろう。健闘を祈ります。
オンラインで自由にアクセスできる膨大な論文は天然資源でもなんでもなく、全世界の研究者の汗と涙の結晶だ。皮肉にも論文を提供する側の研究者の大半が各国の大学に所属しているからこそ論文は無料で読めるのだ。論文を読んで自分のビジネスになんらかの形ででも生かしていたとしたら、それはアカデミアを利用したことになる。大学がなくなれば、そのコストはいったい誰が払うのか。それでも大学に税金を投入する価値はないと言い切れるのか。

オンライン教育は結構だが、そもそもオンでもオフでも教育で教える知識自体がアカデミアで生まれた膨大な論文をベースにしたものであることに変わりはない。教科書などはアカデミアの知の集積の最たるものだ。人類の知の地平を広げる役割の研究者に研究する場と資金を提供していてかつ相応の成果を出し続けているシモンズ財団やカブリ財団の創始者達が大学に価値はない、というのなら何事だとまだ耳を傾けることはできる。肝心の根元の部分に対する尊敬もなく素知らぬふりをしてアカデミアを利用するだけしておいて、大学の価値について語られても説得力に欠けるのはやむをえないだろう。

ちなみに、無駄な教員が多いという話も出ているが、文科省の方針で任期付きポストが急速に増えているので、教育面で付加価値を出せない教員や研究者として競争力のない教員は淘汰されていく傾向にあります。今は緩やかな大学の統廃合も、少子高齢化のあおりを受けてもっと早く進むでしょう。この傾向が続けば、後20年もすれば大学も大きく様変わりするのではないだろうか。
盛んに交わされているこの話題の中にどう入っていけばよいのか悩みました.
おそらく,堀江さんの主張はズバッと問題のど真ん中を突いていて,大学人ならば程度の差こそあれ理解しているので冷や汗をかいたはず.オンラインで置き換え可能なカリキュラムばかりではいけないことは誰でも分かっている.例えば,東大も分かっています.少しずつですが改革もしています.例えば,教員と対面で議論を交わすゼミを1年から始めました.「初年次ゼミ」
https://fye.c.u-tokyo.ac.jp/
他にもActive Learning,Project-Based Learning形式の講義が増えました.私も全学向けに「飛行ロボットプロジェクト」というのを行っている.
http://boeing-hep.jp/pbl/
「東京大学アントレプレナー道場」というのも面白いかな.
https://www.ducr.u-tokyo.ac.jp/activity/venture/education/dojo.html
たぶん堀江さんの時代とだいぶ変わっていて,やる気のある学生は飽きることはないはず.
大学院の研究も時代の要請に追いついていないかもしれない.不足している施設を補い,また社会のニーズに合わせるため,企業との共同研究も増えている.ISTにもお世話になっています(最近,逆にお世話したこともあった).大学(大学院)の研究の良いところは,10研究して1ものになれば良いというコスト度外視の研究ができるところ.ここは皆さんのご理解を得て残していきたい部分.

大学の学部レベルの教育と,研究機関あるいは研究者養成機関としての大学院で分けて考えた方が良いかな.
堀江さんは論を一般化し過ぎるきらいがある。多数は全体ではない。ある人(おそらく過半数)に大学は不要だろうが、ある人には大学は必要。

大学を就職予備校としか思ってない豆腐みたいな奴、学位を「箔付け」としか思っていない茹で卵みたいな奴には、大学なんて無駄。堀江さんのいうことは100%正しい。オンラインの方がはるかにコスパがよい。

学問を本気でやりたいアツい奴は、大学に来い。大学とオンライン講義は、生のコンサートとYouTubeほどの違いがある。同じ曲なら1万円払ってライブで聴くより100円でダウンロードする方が「コスパ」は良いけど、そうじゃないだろ。学問には音楽のようなエクスタシーがある。それを肌で感じたいなら、第一線の研究者に生で教えを受けられる大学ほど、面白い場所はないぞ。
以下にコメントしましたが、「大学は~」と語ることに無理があると思います。

https://newspicks.com/news/2202674?ref=user_335699

堀江さんが主張するような大学ももちろんあるし、琴坂先生が主張されるような大学もある。

結局は「大学による」しかないかと。
堀江さんの考えにそのまま賛同はしませんが、「コスパが悪い」という点については、確かに一理あると考えています。

というのも、大学の授業料というのは年間でまとめて払います。学生が払う授業料というのは、自らの学び(教育)に対して払うもの。

これに対して大学は「教育」と「研究」という2つの役割を担っています。問題は、私立大学の場合、収入の約7割が授業料などの学生生徒納付金でありながら、教員は研究者であるため、必ずしも教育に対する意識が高くないという点です。

私の恩師が主張していたのは「教員の給与の7割の原資は授業料。研究者であっても7割の時間は教育に費やすべきで、それ以上に研究をしたいなら自ら科研費や企業からの研究費を取ってくるべきだ」とのことでした。

しかし未だにこの認識は一般的にはなっていません。この「教育」と「研究」の構造により「コスパが悪い」という印象を持たれるのは、ある意味自然ではないかとも思います。

そうしたバランスの悪さが現在の日本の大学にはあると思うので、そうした点は中からも変えていきたいと考えています。
一部の大学と一部の教授や先生を除けば、今の大学の9割方は意味ないと思います。堀江さんの言うように、大学はオンラインサロンに置き換えたほうが有意義かもしれない。
いうなれば今の大学なんて、無駄なんですが、すべてを合理化して筋肉質になってもそれはそれで息が詰まる。まあそうした無駄も含めて、「無駄を知るための大学」というものがあってもいいと思うけど。
大学時代、恩師に「あなたにとっての同志社は、今のキャンパス、今この周りにいる友人なども含めてのものなので、一生同じ大学には戻れないからよく覚えておきなさい」って言われたけど、その通りだなと感じている。
ただ知識を学ぶだけならそれこそ大学に通う必要すらないなくなってきている中、周りの学生とキャンパスの中で作る色々な思い出こそがより重要になってくると思うので、大学側もただ一方的に聞かせるだけの講義から体験型の学習を取り込んでいくよう設計していってほしい。
知識はオンライン(MOOCs)で、実技はハンズオン/ワークショップで、リアルなデザイン・サービス作りをしながら学ぶ、分散型の、大学の枠をとっぱらった教授陣寄せ集めの、産学連携コミュニティとしての「超学校」を、作りたい。