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甲子園常連強豪校の野球部の事件を担当したことがありますが、生徒達は、実績のための存在であり、生徒達のための部活ではありません。ベンチ入りするためには監督に気に入られなければならず、自分では選択肢を持てません。
親の教育も、基本的には他人が口出しすることではありませんが、教育虐待もしくはそれに準ずる状態では、子供は親のコントロール化にあります。
このようなケースでは、子供と大人は対等な当事者ではないですから、当事者がよければそれでよい、他人は口出しすべきでない、という論理は当てはまりません。
「引退するまでスポーツ以外の世界があるなんて知らなかった。だって誰も教えてくれなかったから。自分でこの道を選んだつもりでいたけど、そもそも他にも道があるなんて思いもしなかった」
本稿の執筆者同様、あまりアメリカナイズされた物言いはしたくはないのですが、私個人としては、選択肢を多く提供してあげることが、親として子のために出来る最大の価値だと考えています。

日本だけなのか、他の国にもあるのか分かりませんが、剣道、柔道という言葉に代表される「〜道」という考え方は、多様性の時代、なかなか生きづらい状況を生み出しているような気がしてなりません。

そもそも「修行十年でやっと一人前」だとか「道を極める」という価値観は、人口構造がピラミッド型の中、若年者による市場参入により、年長者が食いっぱぐれしないための自己防衛にあると私は考えている。

競技での結果が全てのスポーツはこの限りではないが、寿命が飛躍的に伸び、人生でいくつもの職業を選択しながら生きて行く必要のある今の子どもたちに、選択肢の少ない子ども時代を過ごさせることは、少なくとも賢明ではないと言える。
私も基本的には健康面への配慮から来る高校球児への球数制限は基本的には賛成です。
ただし、高校野球はプロの2軍や3軍、もしくは養成所ではないので、将来の可能性を奪うイコール球数制限をつけること、への賛否はあるでしょう。ほとんどの球児は高校もしくはその後数年で野球を辞めてしまうのですから、完全燃焼させてあげたい気持ちもあります。
少なくとも虐待とは言えないと思います。うーん。正解はないですね。
河田さんからの問題提起。エリートアカデミーの勉強の話はさておき、これまでこの20年近く何度も話題になっている連投・投球数制限の話は怪我予防と若者の将来に関わることなので、一刻も早く科学的なエビデンスを基に結論を出して貰いたいです。大学であれば日本版NCAAがこの機能を担えば良いんでしょうが、高校以下は当面は各競技連盟がこれを担うしかないでしょう。この辺は収益事業化してからだとやりにくくなるので、今のうちにやりたいですね。
教育に携わる者として、河田氏の主張に賛同。
海を見せずに育てた子供は海に行きたいとは決して言わない。いかに優れた卓球や高校野球の指導者であろうと、卓球や高校野球以外の競技の指導はできないでしょうし、況や人生全般における指導者たりえないのは自明の理です。
大学院のいわゆる専門教育においても、いわゆるポストドクター問題が発生しました。中高生より分別がよりついているはずの大学院生ですら、一昔前の常識に乗った挙句、キャリア機会を狭めた例は数知れない。
後者の高校野球の現状に関しては、投球数や連投をルールで制限することができると思います。実際、小中学生に関してはそのような制限があると聞きますし、アメリカではMLBとUSA Baseballが若年層の投球ガイドラインを発表、関連組織がそれに賛同するという旨を発表しています。
http://m.mlb.com/pitchsmart/pitching-guidelines

もう1つの論点となっている卓球選手に関して。NCAAについて話を最初に聞いた際、練習時間の制限が一番の驚きでした。ただそれは、全体練習以外の時間をどのように使うかを個人に委ねているだけとも言えます。スタンフォード大で女子サッカーの選手が一人自主練をしている姿を見たことがありますが、勉強との両立を前提とした中で本人が選択したのだとすれば、それは正しい選択のはずです。
「勉強もスポーツも含め、いろんなことに一生懸命、そして同時に取り組むこと」
この価値観はあまり日本にはないですよね。文武両道というのは、そこそこどっちもやることのようです。受験やスポーツで全国レベルはほとんど専業。

でもこのケイティさんの話を読むと価値観が変わる。オリンピックでメダルを取るためには色んなスポーツを経験することなんてのは、目から鱗だった。
野球界が指導者の養成を体制としてできていない以上、高校野球の投げすぎ問題は、制度で考えないと一生解決できないと思います。卓球に関しても根本は同じで、親や指導者に左右されることになる。日本のスポーツ界としてどんな理念を掲げるのか、根本的に考える必要があると思います。その上で、個人の判断に委ねれればいい。

また、「child abuse」を訳せば「虐待」になるのですが、重い言葉の響きが先行してしまうのは否めないので、他の言葉に置き換えた方がいいかもしれないですね(すぐには浮かびませんが)。そうしないと、本質的な議論にならない気がします。
難しい問題。でも、ちょっと極端な感じはするな。
勉強ゼロはもちろん論外。でも、若いうちにあることに熱中し、没頭し、多少無理してでも無我夢中に極める努力をやった経験。(球数制限等、科学的に証明された危険な行為はもちろん管理した上で)
そして、仲間との絆。この時間、勉強しなかったから、その後の人生、セカンドキャリアに影響するというのは短絡的。この経験は、将来の勉強をしていく上での思考装置になることもある。確かにバランスは重要。でも、言うは易く・・・ですよね。大切なことは、スポーツを通じて色々な意味で勉強していく姿勢。オリンピズムがスポーツを通じての人間教育であるように、スポーツをプラットフォームに勉強できる環境ができればいいですね。35年前の元高校球児として、考えが古いのかな。。。この話題、いつも分かっていながらも、100%同意できない自分がいます。