人工子宮に妊娠を「外注」できる未来では、女性、家族、人間はどう変わりうるのか?
コメント
注目のコメント
本件については拙著「超ソロ社会」の中でも言及しました。
一部引用します。
子宮の病気などで産みたくても産めない女性にとっては福音だし、そもそも健康な女性であっても妊娠出産という大きな肉体的負担やリスクから解放されることにもなる。働きたい女性が出産に際して長期的な休暇を取る必要もなくなる。
もちろん、人工子宮に関しては倫理的な問題もある。たとえ技術的に可能となっても稼働させていいものかどうかの判断は難しい。子どもを、あたかもスーパーの棚から手に入れるように、モノ的に扱いをすることに対する非難もある。どんなに文明が進化し、時代が移り変わろうとも、男と女が身体的性差によって役割分担していた生殖行為は神聖で不可侵のものであった。それを人工的に変えてしまうことは、人類及び生物史上初の革命的出来事となる。そこは慎重に検討すべきテーマであることは間違いない。
しかし、これは、出産という今まで女性にだけ負担させていたものからの解放であり、女性にだけできたことからの開放でもある。
男女平等化が叫ばれれば叫ばれるほど、昨今では「男が生きづらい」「女が生きづらい」と双方生きづらさを感じるようになっている。「男らしさ」に男が苦しみ、「女らしさ」に女が苦しんでいる。これは、常に男女を二項対立で論じるが故の弊害であり、限界でもあろう。「出産の解放と開放」はもしかしたら、そうした男と女という概念上の垣根をシームレス化し、新たなステージに人類が進むきっかけなのかもしれない。テクノロジーがもたらす新たな課題。アートの世界では問題提起済でもあり、10年以上前、岡田裕子さんの「俺の産んだ子」を見た時の衝撃を思い出しました。
http://mizuma-art.co.jp/artist/0070/delivery.html