南スーダンの子ども達が餓死していても、日本は毎年4,000万人分の食糧を棄てている
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「南スーダンでは子どもたちが餓死している」「日本では毎年4000万人分の食糧が捨てられている」この2つを直結して考えることに少々困難さを感じます。そのため、話が所々飛躍してしまう。社会学を専攻する大学4年生が執筆したようですが、その「事実」に対して自分は何をしたいのか、どのようにそれを進めようとしているのかがあれば賛同者を集めることが出来そうです。
学生の内に南スーダンまで行き、実際を見る経験をされたというのは大変貴重です。貴重だからこそ、志を同じくする「仲間」がその経験の発信を通じて得られたら良いなと思います。みなさんの反応が面白いです。他人の理不尽は自分の加害から生じているのではないか、何もしないで自分だけ幸運を享受していていいのかという古くて新しい、誰も「こうすれば気にならずにすむよ」という解決策を提示できておらず、人から指摘されたくない罪悪感。
フードバンクを応援したり具体的に何か行動すればそれで免罪符になるわけでもなし、世界を変えると意気込んでみても目的勾配が高すぎる。
私は昔友人から、「アフリカって援助をたくさんもらっているのに、どうしていつまでも貧しいの」と聞かれて答えられなかったことからアフリカのことをよく調べるようになりましたが、これは問い自体が間違っており、10年、20年、30年といったスパンでみると、確実にアフリカは豊かに、ひどい状況に置かれた人は少なくなっています。なので、基本的に、罪悪感をもったままで、世界はいまの努力を続けていけばいいのだと思っています。
ところで私はまだ比較的治安が良かったときに南スーダンに行くことができたのですが、スーダン含め、あのあたりはほんとうに豊かな資源に恵まれた地域。見るからに豊かな土壌やナイル川の豊富な水源にも圧倒されました。農産物もこの一帯でできるものが世界で一番品質がいいものも多く、取引を再開したい日本企業もいくつもあります。日本が南スーダンから豊かさをわけてもらう日もくると思っています。
ちなみに。。。小姑みたいで申し訳ありませんが。。彼が取り上げているのはスーダンでなく南スーダンで、彼が訪問したのは南スーダンでなく、ウガンダの南スーダン人居住区とブルンジです。細かいですかね、でも自分の国の名前を間違えられるのってヤなものですよ。新聞の社説や大学の先生の文章に近いな。データで説得力を出して、基本社会を高見から批判して、で結局自分は、その問題意識について何も行動を起こしていない。
教育の世界でもいつも感じる。じゃあ、お前教えてみろよ。じゃあお前その子預かれるのか。データで遊んでないでください。みたいなね。
フードロスは、仲間たちとも先日議論になった。そして友人の中に、フードバンク等を通じて具体的に動いて行こうという行動をすでにしている奴がいて、皆で応援しようという話になった。
微力でも、評論家ではなく、プレイヤーとして行動し続けたい。