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高校生の時の僕にとって「大学に行く」というのは、綺麗に舗装された登山道をみんなで一列になって安全に歩きながら頂上を目指すことに似ていました。

僕が好んで選んだのは、頂上はもちろん目指したいけど、人が通ったことのない道を掻き分けながら、時には危険にさらされながら、ワクワクドキドキしながら頂上を目指すことでした。

登山道を安全に歩いてきた人と比べ、まったく違ったものをたくさん見れた気がします。それは景色だったり、そこに咲く花だったり、何の動物のものか分からない糞だったり。そして、道無き道を行く度に直感力と決断力が問われました。結果、何度も引き返すこともあったけど、失敗を繰り返すうちに、風向きや空気の匂いなどで、進むべき道の成功確率が上がってきました。

舗装された道があると、孤独や不安で、ついついそこをなぞって歩きたくなるけど、たまには外れてみると、見たことない景色が広がってるかもしれないです。
先般、高卒で長銀に入った先輩と飲む機会がありました。

「就職の時、大卒と高卒で明確に区別されるだろー。だから、どこでもいいから息子は大学に行かせたわけ。授業料、きつかったけど」

と言われて、現実を思い知りました。

社会全体が区別(差別?)している以上、意味ないと思っていても「行かざるを得ない」と考える人達がとてもとても多いのです。
私は大学に行きませんでした。サラリーマンを経験せず事業を行っています。
大学に行ったからと行ったからと言って成功するわけではありません。
しかし、一つ言えるのは高卒だととても大変だったと言う事です。大学に行っても大変なのでしょうが、行かない方がもっと沢山の努力が必要だったと思います。
後悔はしていませんがお勧めはしません。
悪いことは言わないので行けるなら大学に行った方が良いです。
大学なんて無駄だとか、行かなくても成功できると言った話をよく聞きますが、とても優秀な方の事です。私のような普通の人間が大学に行かずに生きていくには根性がいります。
良い記事だと思う。ただし、

>コンテンツに関しては、大学が提供する価値としてはほかのもので代替可能なので低いです

例えば、ロックをやっている人がもしジミー・ヘンドリックスの演奏を生で聞いたら、そこから得られるインスピレーションは、絶対にYouTubeでは代替できないでしょう。同じです。僕にとって、東大で「はやぶさ」の川口先生から直接授業を受けたインスピレーションは計り知れなかったし、MITでミンスキーのレクチャーを直接聞けた興奮は計り知れなかったです。オンライン授業と大学の生の授業の違いは、ジミヘンのギター教習ビデオを見ることと(んなもん存在しないだろうが)、生身のジミヘンから直接ギターを教わることの違いです。

もちろん、それは研究者を目指す人に限った話かもしれません。ジミー・ヘンドリックスと聞いてなんとも思わない人がコンサートに行っても仕方ないように、新庄剛志と聞いてなんとも思わない人が甲子園に行っても仕方ないように、ミンスキーと聞いてなんとも思わない人、大学にいく目標がただ就職活動を成功させることだけの冷めた人には、関係ないことなのかもしれません。

ですが、もしあなたの血の中に熱く煮えたぎる情熱がある人、ぜひ大学に行ってみてください。学問には、音楽や芸術やスポーツと同じような興奮があり、陶酔があり、それは生で体験しなくては決して理解できません。

あとは、ジミヘンや新庄級に熱い先生が、(とりわけ日本の大学には)少ないことも問題ですが、、、。でもちゃんといますよ!!

【追記】斎藤陽さんがシェアしてる校長先生の言葉がすばらしすぎる。大学に行く意味とは、海を見る自由を得ること。なるほどなあ。
http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/

現状では「大卒」は、最低限の実績の保証としての役割を持っています。

自分の成長とか、能力とかは分野によっては大学に行かなくても得られると思います。

ただ、それを他人に説明する術が「大卒」以外にほとんどありません。

その原因の1つが「高卒」の資格が全く質の担保が出来ていないからです。



とはいうものの、「大学は~」というくくりで説明しきれるものではないと思います。

なぜなら、ほとんどの人にとっては、自分や周りが経験したことをもとに「大学」を考えていますが、それは「大学」全体の多くても10%くらいでしかないからです。

大学は非寡占市場で、最大の学生数シェアを誇る日本大学でも2.6%程度です。大きい大学でもほとんどの大学は1%前後です。

自分が経験した大学をベースに考えても、それは大学全体の1%でしかないんです。

さらに学部として考えると大学全体の0.1%。

何が言いたいかというと、「大学は~」と語ろうとしても、大学全体というのはもっと多様で幅広い、ということです。
各人が大学に行く意味があるのかと問うこと自体に意味があると思う。そして、その答えは人それぞれだと思う。当時高校生だった僕は、すぐに逃げ出したくなるようなつまらない受験勉強を乗り越えるために強い動機が必要だった。僕なりの答えは、将来研究者になるために大学に行くということだった。それまではただ単にやみくもに憧れていた研究とは何かを知るためだった。要するに好奇心だ。今、研究者になって思うのは、その答えが正しいかどうかは分からないが、少なくとも間違っていなかったということだ。今でも、世界最高峰の超一流の研究者のほとんどはネットの中でも市井にでもなく、世界のどこかの大学にいるのだ。
の、わりにはボッタクリ笑
ぼくは何しに大学に進んだのだろう。勉強したかったわけではない。たぶん圧迫された高校までの環境を抜け自由なモラトリアムが欲しかっただけだ。振り返ってみてどうだろう。そこで得たものは、この世にはおもろい連中とおもろい世界が広がっていることを知ったことだ。勉強はしてないが、モトは取った。
大学からは自分が行きたければ自分のお金で行きなさい、と小さい頃から言われて育ちましたが、行って良かった。
何かを学ぶ権利が得られて、自分が何に興味があるのか考えて実行する時間を得られた事は本当に良い時間になったと思う。
卒業してからは、在学時代よりも大卒という社会的な意味合いを余計に感じます。
人生スロースターターで24歳で人生初の大学生になった私が思うのは、学生という身分なかなか使い勝手良いなぁということです。

各種カンファレンスだったり、学生ですが・・・と言うだけで会いたい人に会えたり、応援してもらえる可能性がグッとあがる魔法のパスポートなのだと実体験を踏まえて感じています。

その上で人生の進路の方向として、一度社会に出てから大学に入るルートがもう少しだけメジャーになることで研究機関として、またはコミュニティとしての大学の新しい姿が見えてくるのではないかとも考えています。