【渡辺雅之】「EdTech」は死なない。Quipperが狙う世界戦略

2017/4/24
世界のEdTech市場に停滞感が広まりつつあるなか、5カ国に拠点を持つ「Quipper」は、2015年にリクルート傘下となり「スタディサプリ」と融合したのち、インドネシアを中心に劇的な急成長を果たしている。グローバル市場で成功するための戦略とは。また、この先EdTechが発展していくための条件とは。ファウンダーの渡辺雅之氏に聞いた。

EdTechがトーンダウンしている理由

──「EdTech」が投資家の注目キーワードになってはや数年。期待に反して「もうEdTechは死語」とも言われている現在、渡辺さんはグローバルの動向をどのように分析していますか?
渡辺:確かに、世界全体で一時期バズワードだった「EdTech」というブームは去りつつある、というのが率直な印象です。
シリコンバレーのVCによるEdTechへの資金供出も縮小傾向にあり、閉じてしまった会社も増えてきている。立ち上がったサービスでも大型IPOや目立ったエグジットは数えるほどです。何より、世界中の人が日常的に使うようなサービスが一つも出てきていない。
もちろん、しっかりと運営できているサービスも数多くありますが、多くのEdTechプレーヤーが壁に突き当たっている。要因はいくつかあると思いますが、一番には「教育市場の特性」と「ITベンチャーの成長戦略」の相性が悪いということではないでしょうか。
国によって多少の差こそあれ、「教育」は極めて保守的でマネタイズが難しい領域です。そこにベンチャー企業の“走りながら考える”、“資金調達を繰り返しながら不連続にスケールさせていく”という成長戦略は、基本的になじまない。
少なくても現状では、どこの国でも幼稚園から高校までの生徒や保護者の大多数は、突き詰めれば「受験突破」をゴールに設定しています。ゆえに、浪人をしない限り機会は1度きり、ユーザーは常に初心者です。生徒自身も教育サービスを選ぶ基準がわからず、過去の実績を優先する傾向が強くあります。新しいサービスは敬遠されがちでユーザーを獲得しにくい。有料サービスならなおさらで、これが教育のBtoCサービスの難しさです。
一方で公教育(BtoB)への参入はというと、各国の教育委員会や学校への製品納入プロセスは複雑で、時間もかかります。「よいサービスを作ったからどうぞ」という姿勢だけでは採用されない。入札に参加したり、関係者を巻き込んでいく、現地に根ざした “泥臭い提案力”が必要になります。まあ、税金を使うわけですから、当たり前ですよね。ベンチャーといえど組織力がなければ参入が難しいのです。
さらに、教育制度は各国ごとに異なり、求められる内容も違うため、コンテンツは完全に作り直しです。つまりグローバルEdTechといっても、実態は各国ごとに徹底的なローカライズが求められ、「日本で成功」「アメリカで成功」という殺し文句もあまり効きません。
こういった理由から、ローカルで局所的なシェアをとるプレーヤーは出ても、グローバルで勝つプレーヤーが出てきていない。それがEdTechの現状といえるのではないでしょうか。

Quipperはなぜ海外市場で勝てるのか

──そのなかで、スタディサプリとQuipperが国内と海外の両方でサービスを軌道に乗せ、シェアを拡大できている要因は何でしょう。
リクルートによる買収の前、Quipperは先生向けのLMS(ラーニング・マネジメント・システム)を提供するEdTechベンチャーとしてヨーロッパ、アジア、中米に展開していました。ユーザー数は爆発的に伸び、各国でブランドを確立しつつありましたが、それは無料だったからです。実際にマネタイズしていくうえでは、前述のとおり営業力やマーケティング力といった組織力が課題で、どうしていいかわからない状態でした。
一方でスタディサプリは、学習コンテンツの質と営業力の高さを武器として実績を積み重ね、日本国内における顧客基盤を拡大しつつも、海外へのアプローチに課題がありました。その両者が組めば、相互補完しながら中長期的にグローバルに大きな展開が可能になる、と双方で考えたことが買収の背景にあります。
Quipperで4半期ごとに行われるキックオフは、各国の拠点をオンラインで繋いで行われる。
例えば、われわれが現在もっとも注力しているインドネシアでは、リクルートの「ホットペッパー」の営業ノウハウをそのまま移植したと言ってもいいほど参考にしています。その知見がなければ到底、現在のポジションは築けなかったと思います。もちろん、そのベースには、Quipperが数年前から培ったインドネシアでのブランドイメージや教師からの信頼、そして強い現地チームが既にいたこともありますが。
一方で、現在のスタディサプリ(のシステム)はQuipperのプラットフォームを基盤としています。従来のものから苦労して移管したのですが、元々Quipperはテクノロジーの会社で、その開発手法、開発陣の人材、サービスの質には自信がありました。今、目玉の1つとして展開している「スタディサプリ for Teachers」(教師の校務作業を効率化するシステム)の機能も、元々はQuipperにあったものです。
両者の基盤を共通化したことにより、スタディサプリの開発の柔軟性を飛躍的に高めることができたと思います。同時に、世界でも最も競争の厳しい市場の1つである日本で磨いたスタディサプリの機能群を、そのまま新興国で展開できます。この点は、現地の競合と戦う際に大きなアドバンテージになっていると思います。
学校の教室の中でもタブレットを使い学び合う子どもたち(フィリピン)
このように、国内外でお互いの強みを活かしあい、足りない部分を補い合ったことが、インドネシア市場での急成長につながっています。
リクルートという巨大企業の1サービスゆえに目立ちませんが、スタディサプリとQuipperの現在の事業成長度やサービスの多国展開の状況は、グローバルのEdTech領域のプレーヤーの中でもトップクラスに位置していると自負しています。この辺りの実績もこれからは上手に世界で発信していきたいですね。なんといっても教育領域は実績が重要ですから。

「コンテンツ流通」の先にある学習革命

──グローバルプレーヤーとして存在感を増していくなかで、Quipperはこの先どう進化していくのでしょうか。同時に、EdTechシーンの潮流はどう変化していくと予想していますか?
現状でいうと、EdTechの市場は大きく分けて2種類あります。1つは、「K-12」と呼ばれる、大学入試までの年齢層に向けた市場。もう1つは、キャリアチェンジや昇進などのためにスキルを高めたり、教養を身につけるための「アダルト・エデュケーション」の市場です。
この先、「K-12」年代にテクノロジーを活用して学習することが当たり前になった子どもたちは、時間的、空間的障害がない新しい学習方法に慣れているため、大人になってからも“学び続ける”ことができるはず。つまり両者はブリッジしていくと考えています。
2つの市場のニーズは、本質的には内容が異なるだけで、テクノロジーが提供すべき機能は共通です。動画やスライドなどからなるレクチャー、問題の提示と解答、誤答の蓄積と管理、アセスメント、ユーザー間・先生生徒間コミュニケーションなどです。
Quipperのプラットフォームは、そのほとんどの機能を、これから数年で高いレベルで実装するでしょう。そうなれば、「K-12」を対象にした5教科や21世紀型コンテンツだけではなく、資格、語学、職業教育、生涯教育など、アダルト・エデュケーション領域のさまざまなコンテンツを提供できるようになります。
こうした領域では、人材事業で圧倒的な強みを持ち、さらに結婚や車、住宅などライフスタイル全体をサポートするリクルートの強さがいよいよ生きてくるのではないかと思います。
ただ、提供コンテンツ領域が拡大していくとした上で、これからは学習コンテンツだけで付加価値をとるのは難しいとも考えています。
「質が高いコンテンツ」と「手頃な価格」は大前提として、それに加えて人や制度の根源的、あるいは本質的な学習課題──たとえば勉強を一人で続けられない、やる気がでない、時間がない──といったような問題を、学習そのものと一体的に解決するサービスに挑戦していくことが必要になるでしょう。教育サービス提供者としても、そこに取り組まないと面白くない。
その先鞭として、スタディサプリは学習者に伴走するオンラインコーチを組み合わせた「合格特訓プラン」を開始しました。また、教師の業務負荷を軽減することで生徒との対話や個別指導の時間を増やす「スタディサプリ for Teachers」も、現在の制度の大きなひずみを修正するためのものです。
さらに言えば、いずれは大学受験や資格試験も、科挙的な「一発入試」ではなくなり、日々蓄積されていく「学習の履歴」が進路や就職にダイレクトに接続する社会がやってくるかもしれません。スキル・アセスメントの代替指標でしかない「学歴や学位」といった概念自体も揺らいでいくと思います。
──日々の学習状況が知識・技能の証明になれば、「学習」の常識が大きく変わりそうです。
「学ぶ」は「遊ぶ」に近いものになるかもしれない。そういった教育革命を実現するのにテクノロジーは必須ですし、牽引するのは僕たちでありたいと思っています。EdTechという言葉自体のブームは下火になっても、そんなこととは全く関係なく、僕たちはしっかりと骨太なサービスや事業を作っていきたい。
ただ、そんな夢のような未来に酔って逆算的になりすぎたサービスを作ることは、ITベンチャーが犯しがちな間違いです。そういう頭でっかちなサービスは決して多くの人には使われません。僕も何度も痛い目にあいましたが、やっぱり教育サービスに対するユーザーの目線は保守的です。便利アプリやゲームとは違う。
それでも、目の前の生徒と先生のニーズに愚直に応え、本当に求められるものを提供することを突き詰めることで、ふと気づくと、そういう未来が実現されると今は確信しています。
そのぐらいテクノロジーがもたらす新しい教育には必然性がある。時間はかかるかもしれないと覚悟を決める一方で、一歩一歩進むことで案外と早くそういった世界が来るのではないかと楽観的にも考えています。
(編集:呉 琢磨、構成:神谷加代/教育ITジャーナリスト、撮影:岡村大輔)