「ネットビジネス」の終わりの始まり

2017/4/6
AIの進化と「S(シリアス)の世界」
大きなイノベーションが起きる時期には、いくつかの技術的なブレイクスルーとそれを「稼ぐ力」のある産業へと結びつける大きな社会的なニーズが存在する。
「産業革命」という名前のつく時代には、必ず技術的なシーズサイド、供給サイドの大きな進化と、社会の側のニーズサイド、需要サイドの増大とが、ダイナミックに相互作用して、新たな産業や社会システムが生まれるイノベーションが起きている。
しかるに第四次産業革命期と言われる今、シーズサイドでは、ここまで述べてきたようにAI、IoT、ビッグデータに関連する領域で、数々の量的、質的ブレイクスルーが多重的、複合的に起きており、その威力は、従来のスコープをはるかに超えて、幅広い産業分野に及ぼうとしている。
行く先の産業分野には、日本国内で言えば、少子高齢化問題、労働力不足問題、エネルギー問題、世界に枠を広げれば、環境、貧困、格差、食料など様々な問題がより深刻度を増している。アジア諸国は、日本が今抱えている問題にも、早晩直面することは確実だ。
こうした供給サイドと需要サイドを繋ぐのが「生産性」という概念である。供給と需要は対立概念ではなく、循環的な概念である。
すなわち、需要側の欲求にマッチした生産活動を効率よく高い生産性で行うことで、当該生産活動の付加価値率が高まり、それによって生産者の所得が上がり、結果として消費力や投資力が上がる。
生産者はすなわち消費者、投資者でもあるので、高い消費力、投資力はすなわち需要を押し上げ、それがさらに生産性の向上を必要とする。
産業革命のドライバーは、この循環の要となる生産性を飛躍的に高める、大きな技術的ブレイクスルーと強烈な社会的欲求との邂逅なのである。
生産性という概念は、経済的な付加価値を投入資源(資本や労働)で割ったものなので、まずは付加価値創出、すなわち金の匂いのする邂逅こそが、ドライバー中のドライバーということになる。
今、色々なバズワードが飛び交う中で、この観点からはやはりAI技術の進化と、リアルでシリアスな「Sの世界」のニーズが出会うところに大きなドライビングフォース(推進力)が生まれると私は、考えている。
限界費用ゼロビジネス化の意味
デジタル革命第二期にもっとも繁栄を謳歌してきた「バーチャル」で「サイバー」で「カジュアル」な「Cの世界」の産業群、分かりやすく言えばいわゆるネット系ビジネスモデルは、今、大きな曲がり角を迎えている。
かつてほど衝撃的なサービスを生み出すネタが枯渇しつつあるのと、ある程度のヒットを飛ばしても、それがなかなかお金にならない、いわゆるマネタイズが難しくなっているのだ。
あれだけ普及し、鳴り物入りで上場したLINEにしても、マネタイズの部分ではいまだに試行錯誤の感をぬぐえないし、ネットゲーム系も最近はテレビ広告を梃子にした力勝負のあまりスマートでない戦いになっている。
成長が期待されたキュレーションサイトもその中身の「お気楽さ」「信頼度の低さ」が大きな社会問題を起こしてしまった。
2015年、IoT革命の社会的なインパクトを論じた『限界費用ゼロ社会』(ジェレミー・リフキン著/NHK出版)が大きな話題となったが、インターネットが作り出す世界においては、ネットワークという巨大なサンクコスト(埋没費用)の上で、ほとんど限界費用を使わずに展開できるビジネスが可能になる。
デジタル革命第二期にあれだけ多くのベンチャー、それも少人数のアイデアから始まったベンチャーがあっと言う間にグローバルなメガベンチャーに成長できた経済的な背景の一つは、このフリーライド構造にある。
社会的には、インターネットが巻き込む空間が広がって、今後さらに新たなベンチャーの台頭やイノベーションを巻き起こす可能性が大きくなることは結構なことである。消費者としては、画期的なサービスを非常に安い価格、場合によってはタダで利用できるようになることも素晴らしい。
他方、個別ビジネスの単位で考えると、限界費用がゼロということは、参入障壁が低いことを意味する。参入が容易ということは、経済学が教える通り、競争激化によって価格はどんどん限界費用付近まで下がっていくので、サービスは実質的に無料化しやすい。
伝統的な限界費用ゼロビジネスは、典型的には電力、通信、ガスなど、あらかじめ巨大な設備投資を必要とするユーティリティーサービスで、ここでは自然独占が起きやすく、放っておくと産業構造は寡占化し、独占によって事業者が過剰な利益を上げてしまうことが一つの大きな問題だった。
しかし、インターネット革命が生み出したネットビジネスの世界では、新規プレイヤーは基本的に既存インフラにフリーライドして参入でき、かつネット上のバーチャルな世界では、顧客側から見たスイッチングコストは著しく低いので、強固な競争障壁も作りにくい。すなわち自然独占どころか、むしろ完全競争に近い状況になりやすいのだ。
結局、時が経つにつれて、競争は激化し、価格は低下する構造からますます抜け出せなくなる。
そこでいわゆる広告モデルに活路を見いだすのだが、テレビのように電波の有限性に基づく独占性がベースにないので、これまた広告の価格は市場原理で決まっていき、テレビの時代のような超過利潤、レントは取れなくなっていく。
コンテンツについても同様で、アーカイブものはやはり配信にほとんど限界コストがかからず、差別化も難しいので、価格競争に陥りやすく、音楽配信にせよ、映像配信にせよ、それが持続的に大きな収益を上げる構造を作ることは難しい。
結局、定額動画配信のネットフリックスが展開しているように、新制作のドラマ、すなわち限界費用を投じた生もので勝負する、そしてそのコンテンツ制作のためにビッグデータ解析やAI技術を使うという戦略展開にならざるを得ないのだ。
要は、サイバー空間でほぼほぼ完結できる典型的な「ネットビジネス」の時代は黄昏を迎えつつある。デジタル革命第三期は、そんな時期に起きつつあり、これは今までのネットビジネスの常識が通用しない時代の到来をも意味しているのだ。
活路は、「ライブ」×「タイムゾーン」戦略
このように従来型のネットビジネス、バーチャルでサイバーな空間で展開できるビジネスが「稼ぐ」機会、特に「Cの世界」のチャンスが次第に減少している中で、まだ残されている沃野があるとすれば、それはライブコンテンツのネット配信である。
IoTは「モノのインターネット」と訳されるが、Thingには「コト」という意味もある。じつはIoTによるイノベーションは、「モノ」よりも「コト」がインターネットでつながってグローバルに大化けする形で、本来は地域密着型のローカル型産業であるライブエンターテインメントの世界において先行的に始まりつつある。
そもそも、世界の消費の軸は「モノ」から「コト」へシフトし、観光業やライブエンターテインメント産業は世界的な大成長産業となっている。
我が国も例外ではなく、「失われた20年」と言われる停滞の時期にあっても、ライブエンターテインメント市場は一貫して成長を続けてきた。それを支えてきたのは、お金を使わなくなったと言われる20代、30代の人々で、ライブイベントごとの平均単価は1万円に迫る勢いである。
なかでもスポーツライブエンターテインメントは巨大産業領域に変貌しつつあり、特に日本が位置するアジアのタイムゾーン(ゴールデンタイムにライブ中継を視聴できる経度時間帯)には、10億人、20億人の観客が視聴、来場するポテンシャルがある。
2016年、Jリーグが英国に拠点を置く国際スポーツメディアと10年間で約2100億円の巨額なインターネット配信権契約を締結するに至った背景はこれである。
しかし、これとてタイムゾーン人口がアジアよりはるかに少ない欧州における、イングランドプレミアリーグの1年間の放映権料(約3500億円)よりもはるかに少額だ。日本という立地が持つアジアのタイムゾーンの潜在価値はまだまだ実現されていない、すなわち巨大な伸びシロがあるということなのだ。
サイバー空間において、人々はアーカイブコンテンツにほとんどお金を払わないし、すぐに供給過多になって価格は限界コスト、すなわちゼロに近づいていく。
しかしライブコンテンツは、その瞬間の一期一会の感動の体験と共有が価値の源泉であり、そこには人々はお金を払い、コンテンツは一瞬の生ものなので供給過多現象も起きようがない。
結局、この領域でも新鮮な「リアル」性を持たなければ「マネタイズ」が難しい時代になっているのだ。
そして、日本で行われるライブイベントは、唯一無二の競争障壁とも言うべきタイムゾーンの優位性を持っている上に、日本の政治的、社会的、気候的な条件は、スポーツでも、音楽や演劇でも、世界最高レベルのライブイベントを行う上で、アジアでは圧倒的に有利なのである。
(撮影:竹井俊晴)