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最近ローマ帝国と現代を比較する論考が多く大変興味深いですね。

ローマ滅亡のきっかけとなったゲルマン民族の大移動ですが、元をただせばフン族から故地を奪われ、ローマとの条約で正規に帝国内に移民した戦争難民でした。
その文脈から現代のイスラム系難民とヨーロッパ、アメリカの混乱を想起するのは、当然かもしれません。

しかしゲルマン人への不寛容がローマを滅ぼしたのだ、というのは、少し現代の常識や政治的スタンスが入りすぎているようにも感じます。

むしろローマは逆にゲルマン人を社会に受け入れすぎたために、滅亡したと考える方が歴史的には自然な流れでしょう。
ローマがゲルマン人を受け入れた理由は二つあります。
それまでローマを支えてきた軍事パワーの源泉、ローマ市民による重装歩兵が軍事ドクトリンとして機能しなくなり、ゲルマン人の重装騎兵がそれにとって代わったことです。
二つ目は、奴隷の減少で辺境の農地が荒れ果て生産力が低下したため、新たな労働力が必要だったからです。

時代の必然だったとはいえ、軍事力と農業生産という国の基幹を外国人に委ねたローマ帝国が、自壊するのはある意味当然だったといえます。

もっとも、帝国自体は滅びましたが、フン族やその後のアジアからの異民族からの侵略からかつての帝国の基幹部分を守ったのは、紛れもなくゲルマン人の功績だといえるでしょうね。

その後、物理的な国家としてのローマ帝国は滅亡したものの、帝国の統治機構のもう一つの柱だったキリスト教は生き残りました。
逆にキリスト教は、ローマ人やゲルマン人を、かつてローマが成し遂げたのと同様に民族を超えて統合し、現代のヨーロッパ(恐らくアメリカも)を築き上げたわけです。

ローマ亡き後、皇帝の後ろ盾を失ったキリスト教が、むしろ全ヨーロッパに普及したのは決して偶然ではありません。
それはキリスト教が、ローマ人のみねらずゲルマン人にも信者が多かったミトラ教を吸収し、その後継宗教となったからです。
実はクリスマスも、日曜日もすべてもとをただせばミトラ教の祝祭日なのです。

異民族の受け入れで大事なのは、寛容性ではなく、それがローマ皇帝であれ、キリスト教であれ、あるいは王室や国歌国旗、または民主主義や共産主義などなんでもいいのですが、一つの精神的な紐帯、共通する普遍的な価値観がつくれるかどうかにかかっているのだと思います。
ちょっと説得力に欠ける記事かなあ、と思ったけど(寛容さを失った原因をキリスト教に帰すロジックに少々の強引さを感じた)、寛容さを失った社会は衰退するという主張には完全同意。

ただし、アメリカとひとくくりにするのは不適切。カリフォルニアは相変わらず移民に寛容です。ここでは僕みたいな日本語訛りの英語を喋る移民でも、アメリカ人と平等に肩を並べて仕事しています。人種差別もまったく経験しません。
ジャーナリストの宮崎 正弘氏の言葉を借りると、

『キリスト教というのはローマの昔から、不寛容の宗教だった。一切の妥協がない。旧約聖書を見たってあの民族に慈悲を掛けてはいけない。もし彼らを生かしておけば、あなた方の目の中のとげとなり、脇腹のいばらとなってあなた方を悩ます、とある。だから、殺しちまえというのが、旧約聖書というか聖書の教えで。キリスト教も同じ偏狭さは引き継いでいる。』

という不寛容さがあります。では、今のアメリカもそうか、というと、これまでがむしろ寛容過ぎたというのが個人的な見解です。不法でも国に入れば、アメリカ人と同じ権利が主張できるのはやっぱり何かおかしいです。
第5回は歴史学界の大御所、本村凌二・東京大学名誉教授が「歴史から学ぶとはどういうことか」について議論を展開します。私自身、最近では世界史の本を読み漁っていることもあり、本村先生の取材は大変幸せな時間でした。「失敗例の歴史を見て『そうならないためには、どうすればいいか』を考えよ」というメッセージは傾聴に値します。
チャーチルは名言を無数に生み出していますね。理解するということは物事を複数の言葉で説明できることと言い換えられます。
どうやって物事の本質を理解しているか。それは歴史から多くのことを学んでいるからなのでしょう。だから不透明な時代に的確な判断ができた。リーダーに求められることです。
キリスト教とヨーロッパの関係が俯瞰出来る今日のお話し。他者への寛容さが発展のキーとなるという見方には共感します。この歴史的視点を日本の今後の安定的繁栄や、企業として存続するための条件を考える際に、引き出しから取り出して考察のフレームとして使用する事が、歴史を学ぶ意義だと感じます。
塩野さんのローマ人の物語で、パンテオンに代表される寛容の極致を行っていたローマ帝国が、キリスト教を国教として不寛容になっていく流れはとても悲しい。政教分離が果たされるまでローマのような国は欧州には再登場しなかった
即ち、如何に人類は進化していないかです。

記事だけでなく、丁寧にローマ史を書いた物
を読む事をお勧めします。

読めば読むほど、現在のポピュリズムが
どの様な結果を生むかの想像が出来て
恐ろしくなります。

違いは、テクノロジーだけは進化し、
我々は地球を破壊し尽くすだけの
武器を保持している事です。

だから、自分さえ良いと言う様な政策
は決して許してはならないのです。
「完全な起承転結を持った歴史」という記事中の小見出しがある。これが「歴史history」という「物語story」をよく象徴している。

ロマンス諸語では「歴史」と「物語」の両方の意味をもつ語があるという。Oxford English Dictionaryのhistoryには、「過去の出来事past eventsの語りnarrative、記述account、寓話tale、物語story.」という記述がある。口述(語り)によって伝承されてきたものが、神話であり、宗教教義であり、寓話や童話である。それはそのまま、歴史記述にも当てはまる。

歴史学は科学かと問うのは、それがどれだけ論理実証モードparadigmatic modeで記述されているかに拠る。しかし、歴史を知るということは、そのほとんどが物語編集モードnarrative modeを通してだ。なぜなら論理実証モードでは「わからない」「断定できない」事象も、物語編集モードなら因果関係を語れるからだ。それが「起承転結」の意味である。

僕は古代ローマ帝国の歴史をほとんど知らない。本記事は、「移民」(フン族に追われたゲルマン民族の大移動)がローマ帝国の秩序を脅かし、そこに「宗教」(異教であったキリスト教の非妥協的姿勢)の影響が重なり、偉大な帝国が寛容性を失うことで、衰退していったと語る(「偉大な帝国」は僕の語りです。既に物語編集の協働編集に入っていますね―)。

とても興味深い。しかしそれは、「歴史」の一側面(ある物語パッケージ)であるという見立ても必要だと思う。
この記事とは関係ないですが塩野七生さんの「ローマ人の物語」を以前読みましたが、個人的には共和制から帝政へとシフトするときとその後の五賢帝時代が経営や統治という観点からもとても興味深かったです。
この連載について
時代を超えて受け継がれる「教養」。今その価値が見直されている。各大学はリベラルアーツプログラムを強化。歴史や哲学、宗教などをテーマした書籍もベストセラーとなっている。しかし「教養」という言葉が意味する範囲は広く、議論が錯綜している感は否めない。そこで各界の「教養人」とともに、現代を生き抜くために必要な「教養」の具体像と、それを身につけるための方法を探る。