なぜリーダーには「教養」が必要なのか

2017/3/27

教養は実践的で実用的

「教養があればあるほど、人間は快適で思い悩むことの少ない生活を送れる。教養というのはとても実践的で実用的なものだ」(一橋大学大学院・楠木建教授)
今、この言葉に象徴されるように、歴史、哲学、文学、生物学、数学、物理学といった基本的な知の体系、「教養(リベラル・アーツ)」の価値が見直されつつある。
書店では、人類の黎明期から未来の姿までを描いた『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)が累計37万部、地味ながら日本史のエポックメイキングな戦乱を取り上げた『応仁の乱』(呉座勇一著)が28万部を超えるなど、一見、読者を選びそうな歴史に関する書籍がベストセラーとなっている。
(写真:野村高文)
大学教育では、2016年4月には東京工業大学が「リベラルアーツ研究教育院」を創設。もともと学部生向けに設置されていた教養プログラムを博士課程まで拡大させた。
同プログラムで教授を務めるジャーナリストの池上彰氏は、著書『池上彰の教養のススメ』の中で、「1990年代以降、大学が実学的なカリキュラムを重視し、企業もITスキルや資格を重視した結果、日本からはクリエーティブなサービスが生まれなくなった」との問題意識を示す。
「実学的で専門的な知識は、すぐに役立つ一方で、すぐに役立たなくなる」という池上氏。理系専門大学の代表でもある東工大が、文理両方の教養を持つリーダー人材育成を本格化させていることは、一つの象徴と言えるだろう。

ニュースから未来は読み解けない

では、なぜ今、教養を見直す動きが出ているのか。
理由の一つは、未来を見通す上での有用性だ。
現代社会は、日々情報が洪水のように流れ込んでくる。そのため、毎日のニュースをキャッチアップするだけで精一杯になりがちだ。
しかし、五常・アンド・カンパニー代表の慎泰俊氏は「教養がないと、日々の動きについていくことはできても、この先社会が進む方向についての骨太な議論はできない」と語る。
(写真:iStock/ninode)
世の中の出来事には必ず基盤となるものが存在し、それを理解して初めて、先のことが読み通せる。そして、基盤の理解を助けるのが「教養」に他ならないという。
ライフネット生命保険会長の出口治明氏も「ビジネスリーダーに教養は必要に決まっている」と断言する。
リーダーの役割は進むべき方向性をメンバーに示すことだが、日々の情報に右往左往せず、余裕を持って意思決定を行うためには、判断の根拠となる教養が不可欠だという。

ほとんどの問題は学問横断的

もう一つの理由は、世の中の問題の複雑性である。
多くの大学では、学生は文系・理系に分けられ、専門分野に特化した研究を行う。しかし実社会では、ほとんどのトピックが学問横断的な性格を持ち、一つのジャンルに特化した知識ばかり溜め込んでいても、使えるシーンが少なくなっている。
たとえば前出の『サピエンス全史』は、世界史をテーマとした書籍でありながら、物理学、進化生物学、コンピュータ・サイエンスなど、さまざまな理系的知識がカバーされている。歴史という文系科目の代表ですら、正しい理解のためには理系的知識が不可欠だということだ。
逆もしかりで、理系人材にとって文系的知識が必要になる場面も多い。
著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏はその代表例として人工知能を取り上げ、「人工知能に関する問いは、コンピュータ・サイエンスではなく政治や経済、哲学の分野の問いにほかならない」と述べる。その上で、現代人に学問横断的な知見を獲得するように呼びかける。
この点も、横断的、複眼的な知見を重視する池上氏の問題意識と共通する。
ユヴァル・ノア・ハラリ氏(写真:野村高文)

本と人が教養をもたらす

とはいえ、一口に教養と言っても、その言葉の意味する範囲は広い。
教養とはそもそもどんなもので、ビジネスパーソンの実生活にどのような影響をもたらすのか。具体的にどう身につけるべきなのか、などさまざまな疑問は残る。
そこで本特集では、国内外の「教養人」とともに、これからの時代を作るリーダーが身につけるべき教養の再定義を試みる。
第1回では、『サピエンス全史』著者のユヴァル・ノア・ハラリ氏にインタビューを実施。ハラリ氏が広範な知識を獲得した背景が語られる。
第2回では、マーク・ザッカーバーグ、ビル・ゲイツ、イーロン・マスクなどアメリカを代表する8人の起業家の愛読書リスト100冊を一挙公開する。
マーク・ザッカーバーグ氏(写真:iStock/FLDphotos)
ただ、書籍リストを目にしても、それを読みこなせなくては意味がない。そこで第3回では、博覧強記で知られる慎泰俊氏に教養本の読みこなし方について聞く。
教養は本から得られるものが全てではない。背景の異なる人と交わり、知見を交換することも、教養の蓄積につながる。
その最大の実践例がアメリカ東海岸にあるハーバード大学だ。学部生はほぼ全員、寮生活を行い、専門領域が異なる学生たちが寮の食堂で語り合う。第4回では、ハーバード大学の卒業生の声から、彼の地でなぜ「知の創発」が起きるのかを探っていく。
第5回では、教養の一例として「世界史」を取り上げる。
古今東西の世界史の中でも、ローマ史は最初に取り上げるには最適な題材だ。成立から衰退までのプロセスが完璧なまでに「起承転結」の構造をしており、政治学者の丸山眞男も「ローマの歴史の中には、人類の経験すべてが詰まっている」という言葉を残したほどだ。
(写真:iStock/RudyBalasko)
今回、東京大学名誉教授の本村凌二氏が、衰退するローマ帝国と現代アメリカ社会を比較し、今後アメリカが直面する課題を読み解く。
第6、7回では、学術分野、ビジネス分野の「教養人代表」とも言える楠木建氏と出口治明氏が、今のビジネスパーソンに求められる教養の具体像について語り合う。
人の一生は短い。しかし本や人に触れることで、一生分以上の経験を手にできる。特集を通じて、豊かで広い教養的世界の一端を覗いていきたい。
第1回を読む
【サピエンス全史著者】政治・哲学を理解せずにAIは語れない
(バナー画像:iStock/markara、デザイン:中川亜弥)