優れた起業家たちも、間違いを犯し、自信を失い、無分別な考えに陥る。それを救ってくれるのは、チームの集合的な知恵だ。

研究者のスティーブン・スローマンとフィリップ・ファーンバックは、著書『The Knowledge Illusion: Why We Never Think Alone』(知の錯覚:人はなぜ1人だけでは思考しないのか)のなかで「知性は集合的なものである」という説を認知科学と心理学を用いて展開している。

同書から「共有された知」という概念と共同的な知恵が個人のアイデアに勝る点について論じた箇所を、一部抜粋してご紹介する。

「重要なのはアイデア」という誤った信念

知性という概念は、根強い誤解を生みだしている。知的行為というのは、たとえ実際には集団が関与していても、個人が行うものだとわれわれは考えがちだ。
このような誤解は、成功している企業を評価する際にも存在する。
インターネット関連のスタートアップを立ち上げる人々もまた、同様の誤った信念を抱いている。「重要なのはアイデアだ」という信念だ。
スタートアップを成功に導くカギは優れたアイデアであり、そうしたアイデアが市場を支配し、巨額の利益を上げると考える人は多い。実際、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグやアップルのスティーブ・ジョブズは、優れたアイデアで成功をつかんだ。
そして知性を個人のものと考えるわれわれは、中心的人物のみがアイデアを考案したと考え、もっぱら彼らを褒めたたえる。
しかし、実際はそう単純な話でもないというのが、新たなスタートアップに資金を提供する一部ベンチャーキャピタリストの意見だ。その1人、アヴィン・ラベルーは「ベンチャーキャピタリストはアイデアを支援するのではない。チームを支援するのだ」と述べている。

Yコンビネーター、単独ファウンダーの支援は避ける

アーリーステージのテック系スタートアップを支援する代表的インキュベーター、Yコンビネーターのやり方を見てみよう。
彼らの戦略は「成功するスタートアップが、最初のアイデアをそのまま使うことはまずない」という考えに基づいている。アイデアは変化していくものなので、アイデアは最重要事項ではない。アイデアの良し悪しよりはるかに重要なのは、チームのクオリティだ。
優れたチームは、市場がどのように機能するかを学んで優れたアイデアを見つけ出し、またそのアイデアの実行に向けて取り組むことで、スタートアップを成功に導くことができる。優れたチームは、個々人のスキルを活かす形で仕事を分割し、振り分ける。
Yコンビネーターは、ファウンダーが1人しかいないスタートアップの支援を避ける。単独ファウンダーは、仕事を分担できるチームを持たないことだけが理由ではない。彼らが単独ファウンダーを避けるのは、表面的には見えにくいが、チームワークにとって本質的なある理由のためだ。
すなわち、単独ファウンダーには仲間を失望させまいとするチームスピリットが欠けている。チームは厳しい状況にあるときこそ力を発揮する。互いに励ましあい、チームのために頑張るからだ。
われわれが知の集合体のなかに生きていることをひとたび理解すれば、研究者の多くが知性を定義するうえで的外れな方向を見てきたことがわかる。知性は個人の特性ではなく、チームの特性なのだ。
難解な数学の問題を解ける人がいればたしかに役に立つだろう。だが、チーム全体の仕事を管理できる人や、重要な出会いを細部にわたって覚えていられる人も同じように役に立つ。
部屋に1人きりにしてテストを受けさせたところで、人間の知性を測ることはできない。その人物が属する集団の仕事を評価するのでなければ、実際的な知性は測定できないのだ。

アイスホッケーに学ぶ、個人の貢献度評価

では、そうした知性はどうすれば測定できるのだろうか。どんな尺度を用いれば、集団のパフォーマンスに対する個人の貢献度を適切に測ることができるのだろうか。
これまであまり注目を集めてこなかったこの疑問に対する答えを導き出すにあたって、まずは問題を単純化するために「個人は誰でも、どんな集団に属しているかにかかわらず、つねにその集団に多少なりとも貢献している」という仮定を立ててみよう。
さまざまな集団にわたる個人の貢献度を測定するひとつの方法は、アイスホッケーのチームが個々の選手の貢献度を測るのに用いる方法「プラス/マイナス(得失点差)」と同様に評価するというものだ。
アイスホッケーにおけるこの評価法は、優れた選手が氷上にいる間、チームはより多くの得点を上げ、また対戦チームの得点は少なくなるという考え方に基づいている。そのため、その選手が氷上にいるあいだにチームが上げた得点数から失点数を引いたプラス/マイナスのスコアが、選手のクオリティを示す尺度として用いられる。
これと同じように、集団の問題解決においてある人が知的に貢献した度合いを評価することが可能だ。
その人物がその集団に属しているあいだ、集団は何度成功を収め、また何度失敗したか。集団のパフォーマンスに安定的に貢献し、よってプラス/マイナスのスコアが高い人は、実質的な意味で「知性が高い」と評価される。
このような評価法を用いれば、知識の共同性という概念に沿ったかたちで、集団の知性を個人の貢献度に変換できる可能性がある。
とはいえ、これを実際に用いるのは難しいかもしれない。仕事の成功や失敗は、アイスホッケーほど単純ではないからだ。開発したウィジェットが賞を獲得したのだが売れ行きが悪い場合、これは成功なのか失敗なのか。
また別の問題として、2人の人物がしばしば一緒に仕事をしている場合、一方の成功に他方の貢献が影響している可能性が考えられる(これはちょうど、社交的なパートナーがいるというだけで、本人も人気者とみなされる場合があるのと同じようなものだ)。

科学や産業の「畑を耕す」集団に目を向ける

しかしそれでも、基本となる原理は有効だ。ある経営幹部がいくら頭が良く活動的で、スピーチがうまく、周囲にひらめきを与える人物であろうと、関わるプロジェクトに失敗が多ければ、その幹部は高額の報酬に値する人物ではないかもしれない。
また、経営者が従業員を評価する際、従業員の機転の利くところや人当たりの良さを仕事への貢献度と混同してはならない。経営者が評価すべきは、その従業員が関わるプロジェクトの成功率が他の従業員と比較して高いかどうかだ。
農業に従事する人なら誰でも、種を蒔いてその成長を見守ることはそう難しくないことを知っている。大変なのは、畑を耕し、種を蒔けるよう準備することだ。
科学や産業において「畑を耕す」のは集団だが、世の中はたまたま成功する種を蒔いた個人ばかりを評価しがちだ。
種を蒔く行為には必ずしも圧倒的な知性は必要ない。種が大きく育つ環境を整えることにこそ、知性が求められる。科学や政治、ビジネス、日常生活の分野において、われわれはもっと集団の功績を評価するべきなのだ。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは偉大な人物だった。おそらく彼の最大の強みは、人々を突き動し、互いに協力し合い、人種に対する社会の認識や法の公正さに革命的な変化をもたらすためあらゆる困難を乗り越えようと働きかける力をもっていたことだ。
しかし、その功績を真に理解するには、キング個人だけに目を向けてはならない。あらゆる偉大さを備えた人物として彼を称えるのではなく、彼の役割、すなわち、米国が偉大な国になれることを示すきっかけを与えたことを評価する必要があるのだ。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Philip Fernbach、Steven Slomon/Authors of The Knowledge Illusion: Why We Never Think Alone、翻訳:高橋朋子/ガリレオ、写真:Orla/iStock)
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This article was produced in conjuction with IBM.