【鈴木寛】教育改革の必要性、すべての学校が変わるべき理由

2017/3/23
2020年を前に、空前のスケールで教育改革が進められている。「大学入試センター試験の廃止」をはじめ、「高等学校における大幅な科目編成」や「小学校における英語の教科化」、さらには詰め込み型授業から「アクティブ・ラーニングへの転換」など、改革の波は義務教育から大学まで、すべての教員と児童・生徒に及ぶ。これほどの大改革を推し進める背景とは何か? 文部科学大臣補佐官として教育改革を牽引する鈴木寛氏に聞いた。

「歴史の転換期」に新たな教育が必要

──2020年に向けて、大規模な教育改革が行われます。行政の考えとして、なぜ改革に踏み切ることになったのでしょうか?
鈴木:まず大前提として、21世紀から22世紀に向かっていく現在は、まさに明治維新以来150年ぶり、私のいつもの言い方で言うと、産業革命以来300年ぶりの歴史の大きな転換期にある時期だと認識しています。
その時代の変化とともに、「社会で求められる人材」が変わってきた。20世紀から21世紀にかけてテクノロジーが飛躍的に進化し、産業構造は大きく変わりました。結果としてグローバル化が進み、われわれの働き方やライフスタイル、価値観も多様化しています。
当然、新しい社会を担う人材を育てる教育機関も、20世紀の価値観から脱却する変化が求められます。
20世紀までの社会とは、基本的に人工物を大量に作る「大量生産文明」です。この時代に求められた人材の“能力”とは、マニュアルを覚えて、それを高速に正確に再現する力でした。
学校教育でも正解がひとつしかない問題が与えられ、正確な知識を駆使して早く解くための能力が鍛えられた。それが日本を世界一の工業立国に押し上げた、20世紀の“生きる力”だったことは間違いありません。
ところが、1990年代から本格化したIT革命により、誰もが知識や情報にアクセスできるようになった結果、「お手本をコピーする力」はテクノロジーに取って代わられました。
今後はさらにAIが進化し、人間の仕事の約半分がなくなると言われる一方で、まだ誰も見たことのない新たな職業も多く創出される時代が到来するはずです。
そんな時代の主役として生きていく子どもたちに対して、もはや「知識偏重型」の20世紀の教育では対応できない。予測不能な時代を生き抜くために、子供たちは学校教育の場で、新しい形の“生きる力”を身につけなくてはいけない。
そのために、教育の大々的な改革が必要なのです。

21世紀の人材に求められる「能力」

──新しい「生きる力」とは、具体的にはどのような能力を指すのでしょうか。
ひとつは「想定外」に対応する力です。今後は日本社会の根本的な構造が変わっていきます。技術革新もグローバル化もさらに進み、社会の複雑性も増していく。企業や地域においても、100%日本人だけの組織やコミュニティはなくなり、異なるバックグラウンドを持つ人たちと、誰もが日常的に付き合うことが当たり前になるはずです。
そうした環境では、人それぞれの価値観の矛盾や対立、トレードオフが頻繁に起こり得る。しかし、対立やトレードオフがあるからこそイノベーションは生まれるのです。つまり、多様で不確実な社会で遭遇する「想定外の出来事や板挟みに向き合える力」が、これからの人材にとって重要な力になります。
その参考になる出来事として、東日本大震災で「釜石の奇跡」と呼ばれる事例があります。
2011年の3月11日、宮城県と岩手県の一部が超大型の津波に襲われ、壊滅的な被害を受けました。釜石市内だけで1000人以上の死者が出ましたが、同市の小中学校に通う児童・生徒約3000人は即座に避難し、ほぼ全員にあたる99.8%が無事に生き残ったのです。
これは決して偶然ではなく、同市が2004年から7年間、防災教育の一環として子どもたちに“想定外の対応力”を指導してきたという経緯があります。
東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害を引き起こした東日本大震災。震災による死者・行方不明者は1万8446人にも及ぶ。(写真:河口信雄/アフロ)
その指導内容には、「①マニュアルに頼りすぎない」「②ミスを恐れない、最善を尽くす」「③指示を待たず率先する」という3つのポイントがありました。これらは従来の教育で“正しい”とされていることの正反対の内容です。しかし、この教えを実行したことが、子どもたちの高い生存率につながった。
これからの激動の時代、「想定外」は社会のあらゆる場所で起こるでしょう。それを乗り越えるうえで、上記の3つのポイントが絶対に必要になります。誤解を恐れずに言えば、20世紀の日本の教育は、想定内の範囲でのみ動く“指示待ち人間”を量産したのです。その結果、指示されたことはきちんとやるが、自分から新しい問題を発見・解決できない人が増えた。
一方で、これから技術がさらに進化すれば、問題の発見や設定を人間が行い、解答はAIに任せる時代がやってくるでしょう。そのとき、「想定外」に踏み込んで自ら問題を発見する力こそが、人間の価値になります。
──どんな教育であれば、そうした能力が身につくのでしょうか?
カギとなるのが、アクティブ・ラーニングと呼ばれる教育です。たとえば地域と協働し、実際に社会に存在する問題に生徒たちが関わることで、自ら思考して問題と向かい合う。それによって「主体性・多様性・協調性」を養う“課題解決型学習”などが導入されます。特に、高校に新設される科目の“公共”や“総合探求”、“歴史総合”では、異なる価値観を持つ人たちとの向き合い方を考えるといったことを行います。
基礎学力をおろそかにするのではなく、それをいかに活用するか。「知識」を「知恵」にする方法を身につける教育を取り入れていくわけです。

「高大接続」で教育制度はどう変わるか

──実際の教育現場では“20世紀の教育”が何十年と続けられてきました。改革を実現するうえでハードルはないのでしょうか?
実は、アクティブ・ラーニングの導入などは義務教育が一部先行していて、ある程度は進んでいます。しかし、高校の現場が変化についてこれていない。文科省では現在「高校大学接続」をはじめとする“高校改革”に注力しています。
高校が変化に追随できない最大の理由は、大学入試の存在です。なかでも1979年に作られたセンター試験(旧共通一次試験)は、全国の高校生の1学年100万人のうち、約半分の55万人が受験する大学入試の根幹。このセンター試験と多くの私立大学が採用しているマークシート方式こそ“知識偏重”の20世紀教育の象徴です。
とりわけ受験生にとってはマークシートの試験対策が重要になり、高校もこれに追随せざるを得ません。しかし、当然ですが、選択肢のなかから解答を見つけ出すマークシート方式では、生徒の創造性や、問題発見力といった能力は十分測定できません。
(写真:coward_lion/IStock)
そのため2020年からセンター試験に代わって新たに実施される「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」では、記述式の問題が導入されます。現在でも国立大学のなかには記述式の問題を導入している大学が4割程度ありますが、今後は100%の大学が導入する予定です。
また、高校3年間の活動を記した活動調書や、大学入学後に目指すゴールを記した“志望動機書”を提出してもらい、一回のテストの結果だけでなく、本人の志向や将来のキャリア展望など、パーソナリティを評価できる面接も実施します。すでに知られているAO、推薦入試のような形に近いものですが、こうしたテストで入学する定員を国立大学でも3割程度まで拡大する予定です。
このように、大学進学に必須のスキルとして「新しい学び」を組み込むことで、高校現場の学びにインパクトを与えたいと考えています。

大学入試は「八ヶ岳型」になる

──これまでは「テストの点=学力」という、一律のモノサシで生徒を評価することができましたが、今後はそれぞれの答えが異なる。それはどのように評価するのでしょうか?
評価の方法も画一的ではなく、より個別化・多様化していくべきでしょう。これまではマークシート方式の偏差値=学力であり、そのピラミッドの頂点として国立大・有名大があったわけですが、そのような「富士山型」の学力の構図から、目指す将来や学びの中身に応じて複数の山が連なる「八ヶ岳型」の教育モデルに変わっていくとイメージするとわかりやすいはずです。
具体的には、すべての大学の学部・学科に対して「アドミッション・ポリシー」(入学者の受け入れ方針)、および「ディプロマ・ポリシー」(卒業までに身につけるべき資質・能力の方針)、そして「カリキュラム・ポリシー」(それらを達成するための教育課程の編成・実施の方針)という3つのポリシーの提示を義務付けることが決定しています。
大学側が「どのような人材を求めているか」を示すことによって、大学は「偏差値」で一くくりに区別されるのではなく、より具体的な教育内容やキャリアデザインの方針によって差別化されるようになります。受験者とのマッチングも「偏差値が高いから」という単純な構図ではなくなるわけです。
こうした入試制度を現実に運用する上では、高校教育の現場において、生徒ごとに個別の学習指導と、現実に即した進路指導が一貫していることが重要になってきます。
そのために、教師の役割も変わっていきます。全員一律で画一的な「学力」を教える存在から、生徒一人ひとりの学びを支える指導者となり、また地域社会や学校を取り巻くステークホルダーとつながることで、「世の中を教える役割」を担う存在に変わっていく必要があるでしょう。
ただし、それによって現場の教師の負担が増えることは事実です。教師が生徒一人ひとりに向き合い、個別の指導をする時間とノウハウなしには、新しい形の学びは実現しないからです。そのためにも、教育現場における教員とサポートスタッフの増員、ICTのさらなる活用が重要なカギとなっていきます。

保護者が変われば教育現場は変わる

──学校現場の改革が進んでいくなかで、それを取り巻く保護者や地域社会は、どのような変化を求められるのでしょうか?
本当を言うと、現場の教師は保護者が変わったら、すぐに変われるんです。良くも悪くも、保護者の声には敏感にならざるを得ないですから。ただ、日本の保護者は、ノーマルマジョリティーがサイレントになってしまっている。“普通の保護者の声”が現場に伝わっていないのが問題ですね。
重要なのは、「教育」とは学校教育だけを指しているのではない、ということ。家庭学習があり、民間教育があり、地域や社会やメディアからの教育がある。これらの全体が、子どもたちの「学び」になるということを考えるべきです。
高校の授業時間は1年間で1000時間ほど。子どもにとっては、授業外の時間のほうがはるかに長く、影響が大きくなります。家庭でどんな教育をするのか、課外活動から何を学ぶのか、そのトータルが教育の成果となる以上、社会に関わる人すべてがステークホルダーともいえるわけです。
2020年に新制度の大学受験をする子どもたちは、いまの中学2年生にあたります。「人生100年の時代」と言われることを考えれば、この子どもたちは21世紀を飛び越えて、22世紀まで生きていく世代です。
教育界だけでなく、日本の社会全体が古い価値観に縛られることなく、未来を見据えることができるかどうか。それが教育改革を左右することになるでしょう。
(編集:呉 琢磨、構成:神谷加代/教育ITジャーナリスト、撮影:岡村大輔)