【新連載】「市場」とは「人の世」である。

2017/2/27
なぜ「ひねくれ」投資なのか。
私はひねくれてはいない。ひねくれているとすれば、それは市場のほうだ。
この議論がわからなければ、こんなコラムよりも、夏目漱石でも読んだほうがよい。
「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」(夏目漱石『草枕』)
せっかくだから、誰かの稚拙な文章よりも、珠玉の文章の続きを読もう。
「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)ができる。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶(なお)住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。」(前同)
「市場」とは「人の世」である。したがって、市場を作っているのは、市場の神様でもなく、ファイナンス理論でもない。有象無象の投資家たち、トレーダーたちである。
「市場」とは「人の世」である(写真:TongRo Images Inc / GettyImages)
しかし、市場がいかに理屈に合わなくても、市場以外に投資するところはない。市場以外に投資することは、別の様々な困難がある。市場で投資をし、利益を上げなければならないのであれば、そこで儲けられる方法を考えるしかない。

王道は「コバンザメ戦略」

では、どうすれば儲かるのか。