【竹内純子】原発の「安全神話」とは何だったのか

2017/2/26
「安全神話」とは何か
皆さん、こんにちは。
エネルギー・環境分野を主にコメントさせていただいております竹内純子と申します。NewsPicks編集部のご厚意により、1月に上梓(じょうし)した拙著のご紹介の機会をいただきましたので、拙著「原発は“安全”か―たった一人の福島事故報告書―」が何をお伝えしたかったのかをご紹介させていただければと思います。
「原子力は『絶対に』安全」とは誰にもいえない。21世紀に一歩足を踏み出しつつ、人類が初めて原子力の火を手にした20世紀を振り返ると、原子力の利用は、電力の供給や各種の放射線の利用など多大な恩恵を我々にもたらす一方で、安全確保のためのたゆまぬ努力を不可欠なものとして求め続けることが分かる。
原子力安全確保のための不断の努力には、「これで終わり、もう絶対安全」という安住の地は用意されていない。このことを忘れ、謙虚さを失うようなことがあれば、そこには新たな事故・災害が待っている。
これは、福島第一原発事故の後に書かれたものではありません。
平成11年9月に茨城県東海村で起きたJCO事故の反省を踏まえ、国の原子力安全委員会(当時)が平成12年版原子力安全白書の冒頭で記した言葉です。
この白書が公表された平成13年春からわずか10年後に、福島第一事故は起きてしまいました。
福島第一事故を経験し、その原因は「関係者が安全神話にとらわれていたこと」と語られることが多くあります。しかし、だとすれば冒頭の言葉は表面上の反省に過ぎなかったということでしょうか? それとも、その時にはいったん安全神話を克服したのに、10年という月日が再び安全神話を生み出したのでしょうか?
そもそも「安全神話」とは何でしょうか? 何がその神話を生み出すのでしょうか?
そうした状況を作った枠組みや構造を突き止めて根本から変え、安全神話につながるものはどんな小さな芽でも排除することができなければ、わが国において原子力技術を利用することはもう許されないでしょう。
この本の「はじめに」でも明らかにした通り、私自身は、わが国が化石燃料資源に乏しく、エネルギー安全保障の確保は国としての最優先課題の1つであること、高まる温暖化対策の要請を考えれば、原子力発電というオプションは軽々に手放すべきではないと考えていますが、わが国に原子力技術を扱う資格がないのであれば、そのオプションは諦めるよりほかありません。
しかし、もし当面この技術を利用していくのであれば、いかに安全性を高めて使うか、そのメリットを最大限国民社会に生かすかということを考えなければなりません。
具体的には、
・いかに安全性を高めるか :規制の充実と合理化・効率化
事業者の自主的安全性向上の取り組みの強化(現場の活力・人材や技術の確保、技術開発の継続・発展など)
・いかに事故に備えるか :避難計画の充実、原子力損害賠償制度の改正
・いかに放射性廃棄物の問題を克服するか :地元合意のあり方に関する議論の促進
など様々な課題を議論していかねばなりません。
写真:ロイター/アフロ
いかに安全性を高めるか
その中でも特に、「いかに安全性を高めるか」の議論はまだまだ不足しているように思います。原子力発電の利用を継続するのか、やめるべきなのかといった入り口論で足踏みしているのが今の日本ではないでしょうか。
福島第一事故以降、原子力施設の安全規制については、まずは規制体制が見直されて原子力規制委員会が設立され、また、規制基準そのものも大幅に引き上げられました。
しかし、新規制基準に合格というお墨付きを得ることが目的化してしまっては、安全性向上の努力はそこで止まってしまい、新たな安全神話が生み出されてしまいます。
わが国は規制基準の大幅な引き上げは行いました(これが“十分”かどうかについてはもちろん議論の余地があります)が、事業者の自主的安全性向上への取り組みを今後継続し、充実させていくことが必要です。原子力発電所の安全に第一義的な責任を負う事業者がその責任を徹底的に自覚し、自主的な安全性向上の取り組みを維持・継続しなければなりません。
そのためには、規制制度は事業者をがんじがらめにするものでなく、一定程度の合理性・効率性があるものでなければならないでしょう。こうした改善はどう図っていくべきなのでしょうか。
また、「いかに事故に備えるか」については、他の自然災害と同様、地方自治体に求められる役割が大きいのが現状です。そこに中央政府と原子力規制委員会、事業者がどのように連携し、いざという時に本当に機能する仕組みを作っていかねばなりません。事故への備えを風化させず、継続的に改善していく場はどのように作り、維持していけばよいのでしょうか。
あの日、何が起きたのか
こうした問題を具体的に考えるため、この本ではまず、福島第一原子力発電所であの日何が起きたのか、何ができて何ができなかったのかを整理しました。複数の事故調査報告書がありますが、そういった報告書は大変分厚く手が出にくいものだと思います。
この本は関係者へのインタビューをもとに、一般の方にも知っていただきたい最低限の事実に抑え、教科書的にコンパクトにまとめました。
その後、原子力施設の安全の基本思想を整理したうえで、それまでどのような安全対策が採られていたのかをまとめています。そして、安全対策が採られていたのに何故福島第一事故が起きたのか、何が不足していたのかを検証しました。単に「安全対策が不足していた」では何の学びもありません。具体的に何が足りなかったのか、どうして足りなかったのかを検証しました。
そこから現在の安全対策は何が求められているのかを書き起こし、さらに安全性を向上させるための私なりの提言も付しています。
私自身は原子力技術については全くの素人ですが、全国のほぼすべての原子力施設を視察し、また、海外の原子力安全対策の資料などを読み込み、インタビューを重ねて考えた提言です。
「このままでは日本は『戦略なき脱原発』に漂流していき、その結果責任を国民が負わされることになる。」
昨年1月に亡くなった私の恩師である澤昭裕先生がのこされた言葉です。
原子力発電の利用をやめるという選択を国民がするのであれば、それも一つの道であり全く否定するものではありません。ただ、原子力技術の利用をやめることによって他のリスクが増大することはないか、原子力技術の利用に伴うリスクはこれ以上小さくすることはできないのかを徹底的に考えるべきでしょう。
もししばらくの間利用するのであれば、利用に伴うリスクをいかに小さくできるかの議論に集中せねばなりません。
私は、福島第一事故を経験した日本が最もやってはいけないことは、その事故に学ぶことから逃げることだと思っています。これは原子力技術の利用を継続するかしないかという二者択一の議論ではないとも考えています。
社会にとってのリスクをどう考えるのか。原子力にとどまらず、様々な課題においてこれから必要な視点ではないでしょうか。この本がこうした問題から逃げずに考えるきっかけに少しでもなれば望外の喜びです。
竹内 純子(たけうち・すみこ)
国際環境経済研究所 理事・主席研究員
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1994年東京電力入社。2012年より現職。ミズバショウで有名な国立公園「尾瀬」の自然保護に10年以上携わり、農林水産省生物多様性戦略検討会委員や21世紀東通村環境デザイン検討委員などを歴任。その後、地球温暖化の国際交渉や環境・エネルギー政策への提言活動などに関与し、国連の気候変動枠組み条約交渉にも参加。自然保護からエネルギー問題まで、幅広く環境問題や環境に関わる企業の取り組みをサポートする活動、提言を行っている
この本の内容についてお話しさせていただいたインターネット動画は下記です。
【ニコ生 2/9 17:00〜】
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