【池田純】自分で選んだ道は、自分で正解にする

2017/2/25
充実したキャリアを歩んでいる人たちは、悩みや不安をどのように克服し、何を拠りどころにして、これまで歩んできたのだろうか? NewsPicksとグロービス経営大学院は昨年11月、横浜DeNAベイスターズ前代表取締役社長の池田純氏をメインスピーカーに招いて特別セミナーを実施した。(全2回)
前編:組織にしがみつかず、自分にしかできないことをやる

キャリアはいつまで続く?

田久保 パネルディスカッションのモデレーターを務めさせていただく、グロービス経営大学院の田久保善彦です。ここからは池田純さんに加え、グロービスの卒業生でもあり、起業家でもある淺場理早子さんも交えた3人によるパネルディスカッションに移ります。まずは淺場さん、簡単に自己紹介をお願いします。
淺場 株式会社C'zの淺場と申します。
私は、新卒の頃にいた会社で「もしかしたら起業したいのかもしれない」と思い、30歳までには起業しようと決めました。
ですので、私の7年間の勤め人としてのキャリアは、起業のためにあったキャリアのようなものです。
その後mixiに入社してからは、Find Job!という求人サイトの事業部を任せていただきました。mixiには4年半ほど在籍して、執行役員の手前のポジションにいました。
mixiを退社後、C'zを立ち上げました。今の会社ではレンタルドレスという事業をしています。
具体的には結婚式に参列する人向けのドレスやバッグ、靴、ネックレスなどを全身一式コーディネートして借りられるビジネスです。
この事業で起業をした理由は、会社をつくった当時、ちょうどアメリカからカーシェアリングが日本に入ってきた頃で、これからはシェアリングの時代がくると思ったからです。
そして、自分にも何かできることはないかなと思い、アパレルをやろうと思ったのが経緯です。
利用者数は累計で約5万人の女性に利用していただいていまして、商品数としては、恐らく業界最多の部類に入るかと思いますが、5000点ほどを取り扱っています。
田久保 ありがとうございます。続いて、お二人にお話をお伺いできればと思います。
まずは、キャリアの年数です。ご自身のキャリアは何歳ぐらいまで続くことを想定されていますか。
池田 僕は、死ぬまでです。人間ってやっぱり1人になると寂しいじゃないですか。子どもが育っていったり、友達が亡くなっていったりすると多分寂しい。そのときに、社会とつながる接点って、恐らく仕事だと思うんですよ。
僕は大往生でぽっくり死ぬ予定ですが、その瞬間までは何か社会とのつながりを持っていたいと思っていますし、それはやっぱり仕事ではないかと思います。
田久保 淺場さんはどうですか。社長って基本やりたい間はずっとやっていられますよね。
淺場 そうですね。私が起業するときに、1つだけ決めたことは、100年続く会社をつくりたいということでした。ですので、いまは最初につくり始めた事業以外にもいくつか社内でつくっていきたいと思っています。
そして、それはその事業を継いでくれるような後任をつくるという意味でもあります。後任ができて、事業を引き渡せるようになったら、多分私は引退します。
池田 引退してどうしますか。次のことをやりますか?
淺場 おそらく次のことをやると思います。30代、40代のうちは、自分で起業して、経営というものを何度も繰り返してやっていきたいと思っています。
その上で50、60代は教育で次世代を育てていきたいと思いますが、私がいついなくなってもいいように、次の世代に何か残せるものがあればいいなと思っています。
淺場 理早子(あさば・りさこ)
株式会社C’z代表取締役社長25歳のころ横浜ゴムグループでの新規事業立ち上げに従事し、27歳で株式会社ミクシィに入社。求人サイト「Find Job !」の事業部長(現:株式会社ミクシィ・リクルートメント)として、従業員が30名から300名規模になる、IPO前後の激動の4年間をすごす。31歳で株式会社C’z(シーズ)を設立、代表取締役に就任。「これからシェアの時代が来る」と思ったことと、挑戦してみたいビジネス領域を模索し、個人のクローゼットに眠っているパーティードレスのシェア(委託レンタルモデル)から事業を開始。現在、銀座と新宿にてレンタルドレス店舗を経営し、5,000点以上のレンタル商品を取り扱っている。

大きな決断には美学を感じる

田久保 キャリアのサイクルがぐるぐると回っている人の一つの共通点だと思うのが、「目標をつくって、達成したら潔く次にいく」という勇気だと感じることがあります。
池田さんも「住友商事に入って何年か経つと給料が上がっちゃうから辞められない、だからすぐに辞めようと思った」とおっしゃっていましたよね。
今回のベイスターズも、目標を達成したので5年で辞めたという潔さをとても感じました。
池田 そうですね、ただ、それはすごく大変なことでもあります。
僕には心の師匠が2人います。アホなことを言っていると思われるかもしれませんが、まず1人目が山口百恵さん。絶頂期に辞めて伝説になったじゃないですか。もう1人は、宮沢りえさんです。彼女は絶頂期に写真集を出された。
絶頂での大きな決断には、僕はすごく美学というか、その人の哲学を感じるんです。
池田純(いけだ・じゅん)
1976年1月23日生まれ。早稲田大学商学部卒業後、住友商事株式会社、株式会社博報堂を経て独立。2007年に株式会社ディー・エヌ・エーに参画し、執行役員としてマーケティングを統括する。2012年、株式会社ディー・エヌ・エーによる横浜ベイスターズの買収に伴い、株式会社横浜DeNAベイスターズの初代社長に就任。2016年まで5年間社長をつとめ、コミュニティボール化構想、横浜スタジアムのTOBの成立をはじめ、様々な改革を主導し、観客動員数は107万人から194万人へ5年間で180%へ増加。球団は5年間で単体での売上が52億円から100億円超へ倍増し、黒字化を実現した。著書に「空気のつくり方」(幻冬社)、「しがみつかない理由」(ポプラ社)がある。
田久保 淺場さんも、mixi執行役員の手前で辞めたとおっしゃっていました。これも結構勇気が必要だったのではないでしょうか。
淺場 そうですね。ただ、私はもともと役員にはならない手前で辞めたいと思っていました。そして、最初から30歳の時点で起業しようと思っていました。
「30になったら辞めちゃうの?」とも言われましたが「ちゃんと任された仕事は、最後までやってから退職します」という話もさせていただいていました。
起業予定時期を加味すると昇進しても事業部長までかなとは思っていましたので、ちょうどいいタイミングで退社したという感じです。

自分自身に素直に生きる

田久保 なるほど。お二人の話を聞いていると、やっぱり「どう生きたいか」ということが自分の中ですごく決まっていますよね。だからすごく自分自身に素直に生きていられるのかなと思います。
そのような生き方は、池田さんはいつ気付かれたのでしょうか。
池田 ベイスターズにいたときに一番感じましたが、球団経営はすごくリアルに反応が返ってくるビジネスです。このように世の中と向き合って仕事に専念できる時に僕はとても幸せを感じます。
このような仕事ができ続けているときは、その仕事をやっていたいと思いますし、それができなくなり、自分じゃなくてもできるような仕事が増えていくと、「これは自分の仕事じゃないかな」と思います。
田久保 池田さんもこれだけ実績を出されて、今、池田さんがどこかに行くと言ったら、恐らくどこでもウェルカムだと思います。
ただ、そんな池田さんをしても10年後に自分の本当に好きなことをやっているために、頑張り続けなければいけないという危機感も同時に感じました。何がその危機感をつくるのでしょうか。
池田 僕が一番得意なことは世の中の感覚をつかんで、マーケティングをすることです。つまり、ある種のブームをつくって、ブランドをつくる仕事です。
ただ、世の中ってどんどん移るじゃないですか。IT業界にいた人間が、5年間ITから離れて野球をやっていたわけですから、最近、もともと部下だった人間たちと話したら、全くITが分からなくなっていました。
これからは、ITは必須だし、AIの時代になってきますよね。だから、AIの良し悪しが分かっていないと、社会との距離感を間違えてとんでもない失敗をしてしまうかもしれません。どんどん自分が情報収集をしていかないと遅れてしまうという危機感があります。
それに、昔取った杵柄(きねづか)で生きていくのは、僕は絶対嫌ですし、やっぱり実力と仕事の結果で自分を評価してもらいたいです。
田久保 なるほど。淺場さんは危機感とはどう向き合われていますか?
淺場 私は過去を振り返ってみると、一人で成し遂げられたことは何一つないなと思います。
ですから、来年も再来年も、もしくは10年後も20年後も、楽しい仕事をして、楽しい仲間と高め合っていられる状態にしたいなと思ったとき、やっぱり自分だけが今の世界のまま置いていかれては駄目だなと思います。
ですので、どんどん自分も成長していかないと、という危機感は常に感じています。

困難を乗り越えることが幸せ

田久保 これから先のことをちょっとお伺いしたいと思います。池田さんは、例えば次の5年とかを見据えたとき、どんなことにチャレンジしたいと思われていますか。
池田 実は、日々変わっているんですけども。やっぱり自分は1人しかいないので、どこに自分の時間を100%投下するかが大事だと思っています。
今、興味があるのは地域みたいなテーマですよね。日本も地域が元気になっていくと、より元気になるのではないか思っています。
大きなマスでとらえて大きなものを動かすより、小さい所から動かしていったほうが、実は世の中のダイナミズムの源泉になるんじゃないかと思っています。
田久保 地域というキーワードが出たんですけれど、池田さんはその次に選ぶ道も、これまでがそうであったように、「正解」にされるんだなと思います。
自分で選んだ道を自分で正解にすることについて、詳しく聞かせていただいてもいいですか。
池田 皆さん多分一緒で、やっぱり自分らしく生きたいし、自分の幸せが大切だし、自分の心がいつも満足している状態でいたいですよね。
そういうことを突き詰めていくと、僕はあまり社会から逸脱はしたくないし、しないほうが皆さんもいいと思います。
どこかで何か大きな決断をしなきゃいけないときがやってくると思いますが、その先にあるものって、自分にしか見えないし、自分でしかつくれないんです。
たとえ、その瞬間悩んでいようが、何も見えなかろうが、がむしゃらに動けば人間ってどうにかなるじゃないですか。
だから、僕は自分で「これだ」と思うものが見えるときまで動くしかないと思います。
淺場 今、考えて行動していくというお話になりましたが、私の場合は、生き急いでいると言われることが多いです。
考えている途中から走っているタイプなんですね。ですので、本当にベンチャー企業や起業が向いていると思います。
田久保 池田さんと淺場さんの話を聞いていてすごく感じたのは、節目、節目で覚悟を決めて、自分の人生を自分で決めていますよね。
最後に、キャリアということを軸に考えたときに、お一言ずつ、皆さんにメッセージをいただけたらなと思います。
淺場 みなさんは今の自分よりも、もっと成長していきたいって思われているから、ここにいらっしゃるのかなと思います。そうであれば、やることは1つで、優秀な人の隣にいることだと思います。
私は情熱も能力も、伝播(でんぱ)するものだと思っています。ですので、グロービス経営大学院に来たこともそうですが、とにかく優秀な人の近くで一緒にディスカッションをしていくと、自分の能力がどんどん上がっていきます。
視座が上がっていることに気付く瞬間があるので、まずは優秀な方の近くに行ってください。お勧めします。
池田 僕は簡単なことで言うと、幸せかどうかに尽きるのではないかと思います。自分が楽だなと思ったら、それは幸せじゃない。楽なこととか、楽しいことって絶対に飽きます。
やっぱり難しいこととか、困難を乗り越えることが一番幸せですよ。そういう時間をずっと過ごしていくと、恐らく必然的にキャリアも積み上がっていくし、いいポジションも、いい仕事も、いい収入も得られるようになってくるんですよね。
逆に愚痴だとか不満とか陰口だとかを言っているようだと、それは不幸せの典型例です。ですので、ちゃんと正しいものとか、自分が幸せを信じて突き進んでいく道を見ていってほしいなと思います。
(構成:上田裕)
※ビジネスを面白くするナレッジライブラリ【GLOBIS知見録】はこちら
マネジメントやリーダーシップに関する動画やコラム、セミナー情報などを毎日お届けしています。