【川村元気】このままだと戦争が起きる

2017/2/24
『君の名は。』のプロデューサーとして、映画史上に残る大ヒットを生み出した川村元気氏。その活躍のフィールドは広く、昨年11月には、2作目となる小説『四月になれば彼女は』を上梓した。なぜ今、恋愛小説を書いたのか。100人に取材して来て見えてきたものは何か。そして、なぜ現代の女性は男性に絶望するのか。現代の男と女を語り尽くす(全6回)

第1回:小説とは「自己破壊」である
第2回:現代の女性はなぜ男性に絶望するのか
第3回:都市に生きる「30代以上男性」の病
第4回:「忙しい」はすごく危険
第5回:このままだと戦争が起きる
第6回:「オフライン回帰」のフェイズが来る
男が自己愛を超えるとき
――今回のインタビューでは、「自己愛」がひとつのキーワードになっていますが、人間は自己愛に飽きないのでしょうか。小説『四月になれば彼女は』の中のせりふでも、「自分より大切な人を見つけたほうが幸せ」とありましたね。
自己愛に飽きないかどうかは深いテーマですね。
――20代、30代ならまだ分かるのです。でも40代でもまだ自己愛に生きるのでしょうか。
僕は、30歳くらいの時にはたと気付いて、もう自己愛フェイズを終わらせたいと思ってきました。その後、7年かけてこの物語を書いたっていう感じがあります。
———早熟ですね(笑)。
自分自身に冷めるのは早かったですね。ツイッターもフェイスブックも全部やめて、自分の鏡を全部割ったのです。もう鏡がなくなって、「自分に見えているものだけにしよう」みたいになったのはその時期かもしれません。
川村元気(かわむら・げんき)
映画プロデューサー / 作家
1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、映画プロデューサーとして『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『バケモノの子』『バクマン。』『君の名は。』『怒り』『何者』などの映画を製作。12年には初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、100万部突破の大ベストセラーとなり映画化。著書に『仕事。』『理系に学ぶ。』『超企画会議』
――自己愛を超えられるかどうかが、男にとっての「第二の思春期」なのかもしれませんね。
そうかもしれませんね。もう一回狭い所に戻るというか。でも、それくらい強制的にやらないと、戻れなかったというところもあります。
【最終回】川村元気、自己愛とSNSが恋愛を殺した
―—自己愛を卒業するきっかけが何かあったのですか?何となく達観していったのですか。
二十代の時に飲み歩きながらふと思ったんです。「これ、楽しいのかな?うーん……全然楽しくないなぁ」と思って、ドーンと冷めたのです。「俺、5年後にも同じ生活していたら死ぬな」と思ったのです。「こんなに自分の都合で生きて、自分のためだけに人を付き合わせて、もうこれは本当にダメだな」と。
まして、僕は映画を作っていた人間だから、よりそう思ったのでしょうね。「このままでは作れなくなる」と思った。「どうやったら人のために生きられるかな」というふうに綺麗事じゃなく本気で考え始めたのがそのあたりからでした。確かに、その後に、最初の小説を書いているのです。
映画との関連で言うと、ちょうど「告白」や「悪人」を作る前くらいです。この頃に急激に自己愛に冷めました。
刹那的だったり、自分のためだけに生きていると、僕に限らす、絶対どこかで「あれ?これ、楽しいのかな?」と思うはずです。だから、その反動とか反省とか後悔とかで、人間が動けばいいのではないかと思います。
宮崎駿と集合的無意識
——日本に限らず、世界で自己愛が強いキャラが目立つ時代になっています。
最近のいろんな国のリーダーの選ばれ方を見ていると、戦争になるのではと不安も感じます。
――本気で思いますか。
今のリーダーの選ばれ方は自己愛の象徴じゃないですか。「自分たちだけがおいしければいい」という「集合的無意識」が選んでいるわけです。英国がEUから独立するとか、そういうことも。
――理想よりも、とにかく自分たちの生活をよくしてくれよという。
自己愛が結集して、ああいうリーダーを選んでいる。
――トランプはアメリカ人の自己愛の象徴なのかもしれませんね。
そう思います。そうすると、次に何が起こるかというと、隣に自己愛が強い人がいた時に奪い合いになるわけです。
そういう自己愛がぶつかりあう時代が来ると、「どういうふうに人は生きるか」ということが変わってくるような気はしています。
自己愛に対する反動も絶対に起こるので、すごくベタな話ですが、他者に対する愛情も見直されるのではないかと思います。「戦争になった時に、一人身はつらいなあ」と思うでしょうし。
――愛情こそが一番の癒やしになるということですか。
「君の名は。」がこれだけヒットした理由の1つとして、僕が勝手に想像していることがあります。
震災が起きた時に、多くの人が何かしたいと思いながらも、何もできなかったと思うのです。支援物資も送らず、寄付もせず、被災地にも行かなかった。それが「悪いことだ」と言っているわけではありません。
ただ、テレビを見ながら「大変だな」と思っていただけの人たちがいっぱいいて、そういうものが沈殿した後悔みたいなものになっているのではないかと。
だからこそ、「君の名は。」のような「もしかしたら愛する人を助けられるかも」という物語がこれほど受け入れられるのではないかと思いました。
『君の名は。』が大ヒットした2つの理由
宮崎駿監督が、「千と千尋の神隠し」でカオナシを描いた時にも、みんな、あそこに自分を見たはずです。「何でも飲み込んで大きくなっていってしまって、自分でもコントロールできなくなっていくんじゃないか」というものを、あの時代の空気の中に見ていたのではないでしょうか。
――それを宮崎さんは見抜いていたのですね。
宮崎さんは、別に、「そういうことをテーマとして言おう」というわけではなく、自分の中にある大衆の一人としての感覚を、カオナシというキャラクターにしてしまったのではないかと思います。天才ですね。
あれを見た時、みんな、「ウワッ!」というか、「俺かも」「俺のそばにいるかも」と思ったはずです。あれをファンタジーの生き物だと思わなかったはずです。少なくとも、それに近いことが潜在的にはあるだろうなと思います。
――「俺の話かも」と思わせるのは本当にうまいですね。今回の小説『四月になれば彼女は』もリアリティがありました。
いかにして「集合的無意識」にアクセスできるかは常に考えています。
作家でも映画監督でも、何かを表現する仕事をしている以上、「あなたと似たような感覚を持っていました」というふうに手を挙げてくれる人が出てこなければ、世に問う必要がないのではないかと思う。
谷川俊太郎さんも言われたことですが、表現者は、「どう“集合的無意識”にアプローチして、自分がこの世界を生きて感じている違和感や、疑問や、いらだちみたいなものをいかに多くの人とつなげるか?」をひたすら考えています。
今回の小説も、僕は出版する前はもうノイローゼみたいになっていて、「もし自分のこの気分を共有してもらえなかったら本当につらいな」と思っていました。
だって、「え?恋愛が喪失しているとか言っているのは、お前だけだよ」ということになったら、相当つらいというか、孤独だと思うじゃないですか。
だから嬉しいのは、出版してみたら、かなり多くの方に読んでいただき、共感してもらっていると感じたことです。読者は相当強く反応してくれているし、それが部数にもつながっていると思います。
大ヒットの構造。キーワードは「集合的無意識」
さらば。フェイスブック
――「自分が何をしたいのか分からない」「好きなもの・嫌いなものもよく分からない」という人が増えている気がするのですが、それは鏡が多すぎるからですか?鏡が多いと自分が見えそうで、実はいろんな自分が見えすぎて自分がよく分からなくなるのではないかと。
僕もフェイスブックをやっていた時期があって、どんどん、「いいね」が増えて、友達が増えていきました。すると、誰のことが友達か分からなくなったのです。
「いいね」を押してくれるのが友達なのか、自分も「いいね」を押さなければ友達でいられないのか。最終的に、「友達って何だろう?」というところまで行ってしまった。
フェイスブックで「友達申請」という言葉があるじゃないですか。でも、「友達って、申請するものじゃないよなあ」とか思ったりして(笑)。フェイスブックでつながっていることで、なにか担保されると勘違いしそうな自分がいて、結局やめてしまった。
フェイスブックは、電話をかけたりとか、手紙を書いたりとか、メールを1本でも打ったりとか、そうした面倒くさい努力をしなくても、自分が何をしているのかを届けられる魔法の鏡ですよね。
ただ、それに慣れてしまうと、「いいね」を押してくれている1000人のうち誰が本当の友達なのかわからなくなっていく。
はじめての小説『世界から猫が消えたなら』を書きながら、僕がポックリ死んだとして、「1000人のうち何人が葬式に来てくれるのかな?」「泣いてくれる人は10人もいるのだろうか?」「むしろ、フェイスブックではつながってないけど、遠くの街にいる友だちのほうが真っ先に葬式に来て泣いてくれるのではないか」と考えていました。
インターネットの問題だけではないですが、すごく便利に繋がれる装置があるというのは、確実に好きなものを分かりにくくさせていますよね。
――川村さんみたいに勇気ある人は、フェイスブックもツイッターもやめたじゃないですか。でも、ほとんどの人は切る勇気がないのでしょうかね。
勇気がないというよりは、楽しいのだと思います。フェイスブックにおいしいご飯とかの写真を載せている人がいますよね。アップするのも、見るのも楽しいですよね。
――いっぱいいます(笑)。
知りたいじゃないですか。「おいしいご飯食べたんだ」って。
――別に私は全然知りたくないですよ(笑)。
みんな知りたいんじゃないの?
――みんな、知りたいというより、見せたいのではないでしょうかね。
でも、知りたい人もいるんじゃない?
――情報源としてですよね。
そう。情報源として、「次はここに行ってみよう」と素直に思う人もいるはずです。
――それはそうですね。
だから、冷めている人は、「いいね」を押しませんよね。「俺はこんなおいしい寿司屋に行ったぜ。次の予約は2年後」「僕は今、こういうファッションパーティに来ていて、この人と写真撮りました。イェーイ!」みたいなことを書けば書くほど嫌われていく危険性がある。それでも載せざるを得ないわけですよ。
友達に対して、「今僕は生きているよ」ということをアピールしているわけだけれども、やればやるほど本当の友達は減っていくこともあるのかなと。
――そうした自己アピールは他人を不快にさせることもありますね。
というか、冷めるじゃないですか。
会ってしゃべっていたら、友達が「お前のそんな自慢話、別にいいよ」と笑いながら言ってくれる。でも、フェイスブックでは、その当たり前のことが機能しないわけです。怖いですよね(笑)。だから、フェイスブックは諸刃だなといつも思います。
*明日に続く
(聞き手:佐々木紀彦)