【川村元気】現代の女性はなぜ男性に絶望するのか

2017/2/21
『君の名は。』のプロデューサーとして、映画史上に残る大ヒットを生み出した川村元気氏。その活躍のフィールドは広く、昨年11月には、2作目となる小説『四月になれば彼女は』を上梓した。なぜ今、恋愛小説を書いたのか。100人に取材して来て見えてきたものは何か。そして、なぜ現代の女性は男性に絶望するのか。現代の男と女を語り尽くす(全5回)

第1回:小説とは「自己破壊」である
第2回:現代の女性はなぜ男性に絶望するのか
第3回:なぜ男は“能動性”を失ったのか
第4回:このままだと戦争が起きる
第5回:「オフライン回帰」のフェイズが来る
ネットは“空気読みメディア”
――今回の小説のテーマとして、「恋愛があった過去と、失ってしまった現代の“差分”を恋愛として描きたい」と以前のインタビューで話していましたね。小説を書く中で、その差分は見えてきましたか?
書きながら、見えてきたと思います。
今は恋愛ができなくなった人たちでも、10代、20代の頃の熱烈な恋愛体験を語ってくれることがありました。その熱烈さがたったの10年、20年でゴソッと消えてしまうことに違和感を覚えました。
だから恋愛しなくなった人たちの今と、その人たちがかつて恋愛していた頃を交互に描くことで、その差分が恋愛をかたどると思ったのです。
大人になると、セルフコントロールができるようになっていきます。たとえば、「人に迷惑をかけない」とか、「理知的に振る舞う」とか、「身の程をわきまえる」とか、そういうことを自然と身につけてしまう。
でも、恋愛は、その対極にある衝動ですよね。時に無様だし、みっともなくもなる。泣いたり、感情がかき乱されたりして、「ジタバタする」「もがく」「あがく」のが恋愛にはつきもの。だから、大人になるのと真逆の行為ですよね。
セルフコントロールできないというところが恋愛の魅力だと思うのですが、現代の大人は、空気を読むことを求められる。だから、大人になるために必要とされる自制心が恋愛感情を遠ざけているのではないでしょうか。
川村元気(かわむら・げんき)
映画プロデューサー / 作家
1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、映画プロデューサーとして『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『バケモノの子』『バクマン。』『君の名は。』『怒り』『何者』などの映画を製作。12年には初小説『世界から猫が消えたなら』を発表し、100万部突破の大ベストセラーとなり映画化。著書に『仕事。』『理系に学ぶ。』『超企画会議』
――ただ、今の大人と昔の大人にそんなに大きな違いがあるのですか。昔も大人はセルフコントロールしないといけませんでしたよね。
「自己」というものを映す鏡が増えたゆえの違いがあるのかなと
昔は、せいぜい知られても、会社や学校、家族という範囲で済んでいました。
でも、今は、ツイッターをやっていたり、フェイスブックをやっていたり、インスタグラムをやっていたり、自分というものを世間に映すフレームがとても多い。そうすると、より、「立派な大人として見られたい」みたいなところが出てくる。
しかも、インターネットというメディア自体が“空気読みメディア”なので、空気を延々と読み合っているというところがありますよね。インターネットによって、みっともない様を見せにくくなっていると感じています。
【最終回】川村元気、自己愛とSNSが恋愛を殺した
――ネットには過去の恥が一生残る可能性もあります。
そう、否応なしに残ってしまう。それが日常生活にも影響していると思います。。
今回の小説の主人公である精神科医も、非常にセルフコントロールができている人物。婚約者は獣医で、こちらも自立している。2人でタワーマンションに住み、1年後の結婚に向けて準備を進めています。シチュエーションを見ると、もう完璧じゃないですか。
でも僕は書きながら、「こんな完全な2人が一緒にいる意味ないじゃん」と冷めたんです。
そして物語の終盤まで行った時に、はたと気づいたことがありました。
大人になって、安定し、カッコ悪いところが減ってきた自分と、10代とか20代とかに、人のことを好きになって泣いたりとか、ジタバタしたりしたとか、なんだかかき乱されていた頃の自分と、「どっちが幸せなんだろう?」と考えたときに、「あれ?前のほうが幸せだったんじゃないかな。前のほうが人間として強く生きていたんじゃないかな」という気持ちに駆られる時があったのです。
僕が一貫して書いているのは幸福論でもあります。「人は何をもって幸せだと感じるのか?」というテーマに立った時に、「やっぱり恋愛感情は必要なんだな」と逆説的に知るというか、恋愛がない状態を掘っていったら、「恋愛は幸福になるために必要な装置なんだな」ということに行き着きました。
そして、恋愛に限らず、人間として整えられていること、安定していること、自制されていることがあまり魅力的ではないと思う瞬間もあったのです。
恋と愛の違い
――小説の中でも「恋」と「愛」を分けて使っていますよね。その違いは何でしょうか。
作中にもありますが、「恋」というのは、風邪みたいなものだと思っています。
風邪というのは、まず、いつ感染したかは分からないですよね。恋愛も、いつその人のことを好きになったか分からないじゃないですか。そして風邪と気付いたら、すでに熱が出ている。同じく、気が付いた時には、「もうヤバい、好きだ」となっているのが恋。
風邪は、ひいている時は辛いのに、治ると、「なぜあんなに辛かったのだろう」というくらいスポッと忘れてしまう。「あの時の熱にうなされた感じは一体なんだったのだろうか?」と後に思いますよね。その時の感覚も、風邪と恋は似ています。
一方、「愛」は、まずその言葉自体がとても危ういと思っています。すでに「愛」という言葉よりも、人間の心のほうがはるかに広く、複雑になってしまっている。それを全て愛という言葉でまとめてしまっている気がして、それは無理がありますよね。
だから、夫婦でも、「愛」と言う言葉を挟んだ時に、その言葉の意味がふたりのあいだで違っていたりする。そこの矛盾に皆が苦しむのではないかという気がしました。
――以前、「愛とは違う新しい言葉が必要だ」と言っていましたよね。
そうなんです。それぞれの思う愛に適した、新しい言葉が必要だと感じています。
ただ、今回僕は小説の中で、恋を「日蝕」に例えました。
(写真:iStock/solarseven)
月と太陽が重なる一瞬が恋に落ちる瞬間だとしたら、それは避けがたく離れていく。でも、離れていくということを受け止めて、「それでも一緒にいよう」という気持ちが愛なのかなとも思います。
――だからこそ、「日常の積み重ねが大事だ」ということですか。
「日常の積み重ね」は1つの答えですよね。
明解にバスッとひとつの方法で解決することができないのなら、愛のかけらのようなものを1個1個重ねていくしかない。きれいごとではなく、それ以外に方法はないといいうところに、最後は苦しいけれども行き着きました。
もうひとつは、「分かり合えないということを認める」ことです。
――動物との比喩も出てきましたね。「意思疎通ができないから、いい面がある」と。
人間と動物は、特に意思疎通ができなくても、一緒にいるじゃないですか。人間同士だって、基本的には、なかなか分かり合えない。だから、「分かり合えたはずなのに」ということが前提にあると、辛い結末しかないような気がしています。僕は「分かり合えないのに一緒にいる」ということが、すごく面白いと思う。
女性は阿修羅像
――小説の中で、「男はカードが少ない」というセリフがありました。
はい(笑)。
――私もそれはその通りだと思うのですが、カードが少ないというか、男は単純すぎるから、女性にすぐに飽きられてしまうのでしょうか(笑)。
男の人は本当に手数が少ないと感じます。
僕はそこに対して、女性が絶望する気持ちがすごく分かりました。それに比べて、取材していても、女の人はとても多様な感情のレイヤーがある。
――男に飽きてしまうのですか。
飽きてしまうというか、まあ、がっかりするのでしょうね。
話を聞いていると、女性は男性に対して、「もうちょっと奥行きがあるかも」と思って恋愛したり、結婚したりしている。つまり、この人の今見えているより先の多様性みたいなものに期待して始めるわけですけれど、実際には、男性は、悲しいかな、驚くほど奥行きがない(笑)。自分もそうなのですけど、まあ、一様というか、せいぜい二様くらいですかね。
片や女の人は、阿修羅像みたいにいろんな側面を持っているし、向き合う男性によって、使う顔をバンバン変える気がしていて。そこが面白いなぁと思っています。
「モテキ」という映画は、まさにそれを描いた映画です。
「モテキ」には、4人の女性が出てきて、「どの女性がいい?」「どの女性が自分に似ている?」とよく議論されているのですが、僕の中では、あれは1人の女性が持っている4つの側面なんです。
今回の小説でも4人の女性が出てきます。
性に奔放な女性、男の人を絶ってしまった女性、一途に思い続ける女性、隣にいる人の失われた愛情を求め続ける女性、とそれぞれですが、それは4パターンの女性がいるというより、1人の女性がいずれも持っている感情の複雑さというか、多様さだと思っています。
なので、「男はカードが少ないけど、女性はカードがいっぱいある」ということが、男と女が一緒にいにくい理由の1つかなと思いました。
――小説を読むと、そこの差はすごく明確に分かりますね。
男女が別れる原因はほとんどそこじゃないでしょうか(笑)。
――女性が飽きるということですか。
飽きるというか、一緒にいて、先が見えなくなった時に関係が終わるのだと思います。
――先が見えなくなる?むしろ、分かりやすい人だったら、先が読めるのではないですか。
それは同じことで、わかってしまうと、もう感動がないということですよね。一番つらいのは、生きていて感動がないことじゃないでしょうか。だから、先が見えなくなる。そうした感動をどこに求めるかが男女関係においては重要で、それが一致しなくなると、関係が終わってしまう。
*続きは明日掲載します
(聞き手:佐々木紀彦)