古い慣習にしばられた「音楽業界」が変わるために必要なもの
コメント
注目のコメント
ちょうど『ヒットの崩壊』を読み終えたところ。『1998年の宇多田ヒカル』も面白かったですね。なんだかとてもロキノン感のある対談。
EMTGのような新たな動きが出てきていること自体はポジティブですが、個人的にはもう少し商売っ気を出せばいいのにと思えてなりません。物の捉えようというか、考え方の問題だと思うんですけどね。安売りすることは美徳じゃないよ。
こういうの読むと、ちょっと悲しくなります。
http://realsound.jp/2013/10/post-132_entry.html「1998年の宇多田ヒカル」は時代の捉え方とアーティストのエピソードの両面で大変おもしろかったです。著者の宇野さんの本記事における主張にも共感します。
「好き」と「良い悪い」は全然別の話だと私も思います。「信頼」も「好き」に近い概念ですね。アーティストがクラウドファンディングをやるというのは「好き」を価値として可視化するということ。それはひとつのやり方で悪いことではないですが、媚びずに良いことを突き詰める行動を阻害しがちになる気はします。
最近たまに見る今後のビジネスは個人への信用である、みたいな論にも個人的には同じ理由で違和感があります。信頼されて好かれてお金をもらってお互いハッピーになったら、それだけで果たして良いのか。
NPの例を出せば、多くのLikeが集まることとそのコメントが良いかどうかは必ずしも同じではない、ということですね。繰り返しますがどちらが良い悪いということではなく、別の話だということです。今後音楽のストリーミングが主流になっていくと、投げ銭システムに移行していくのでしょうか。
記事にも書いてある通り、ミュージシャンがパトロンなどをクラウドファンディングで募ると、ミュージシャンはパトロンにおもねってしまい、社会にアンチテーゼを突き付けたり、自分の精神の赴くままに表現ができなくなってしまう危険はあると思います。だから投げ銭システムは意外と音楽のマネタイズと相性いいのかもです。
また世間でいいと思われている音楽を感性がいいと思わない場合でも聴きつづけた方がいいと書いてある。
なぜなら、自分の耳が肥えてきて、良くなってくる瞬間があるからだと言う。
音楽の好き嫌いといい悪いは別物だそうだ。
批評家はいい悪いしか判断基準はないと書いてあるが、やはり「いい音楽」と「好きな音楽」ってニアリーイコールなんじゃないだろうか。
転売問題はよくわからないけど、一人がチケットサイトとかで買えるチケットの枚数に上限とかを設定すればいいじゃないんですかね?
そんな単純な問題でもないんですかね。