私たちは私たちの(無)関心とどう向き合うか。ムクウェゲ医師と『女を修理する男』上映会の記録。
HIROKIM BLOG / 望月優大の日記
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【ブログ更新】自分にとっても思い出に残る時間になりました。昨年10月にNewsPicksでもたくさんPickいただいたこちらの記事の後日談です。→「性器の傷跡を見ればどのグループの仕業かわかる」デニ・ムクウェゲ医師がコンゴの紛争資源と組織的性暴力について語ったこと http://hirokimochizuki.hatenablog.com/entry/denis.mukwege
無関心をし続ける理由は大きく2つ。
見たくない何かを察して無関心とする。この場合、得体の知れない何かと向き合うことを意味する。得体の知れないものは恐怖になりやすいです。恐怖に打ち勝つためどのような手段があるか?が大事になります。手段がなければ、踏み込むことすら困難です。手段を身に着ける方法は、強制的にその場に行くか、一晩ですっきりする程度ではなく本気でその事象を受け止め長い時間悩むことです。向き合う人はごく少数でしょうね。
もう一つは、まったく気が付かない無関心。己の環境として初めから除外した考え方をもっているため、そもそも見てない。もし、その環境に無関心な出来事が起こった場合、異物として排除をするでしょう。この場合、向き合うことを考慮する場合、排除しないことが大前提となります。排除しない理由がほとんどないため、まっさきに排除するので向き合うことはないでしょう。運よく排除対象から外れてくれることを祈ります。
これが現実かと思います。