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はい、同感です。

「最も必要なのは、その選手が本当に野球を好きだという気持ちだ。プレーすることが楽しくて、毎日球場に行くことにワクワクできるか。そういう気持ちを大人になり、メジャーリーガーになっても持ち続けている選手が、長く活躍を続けることができる」

その競技を好きだと思わせる、夢中にさせる指導を行うチームを各地で増やしていく。

アメリカンフットボールのような未開拓地域が多い競技ではこのやり方で普及できるはずだと思ってます。

まずは新潟から。
>“ミスが怖い”とならないように、指導者が先を見据えて『ここはどんどんチャレンジしたらいい』と前向きな言葉をかけていく。

元ラグビー日本代表監督のエディー・ジョーンズも、御自身の著書の中で、

『「ミス」という言葉自体がよくないのかもしれません。「ミス」という言葉を口にした途端、ネガティブな響きが付いてきます。それをした人に、「取り返しのつかないことをした」という、罪悪感を負わせます。それほど「ミス」という言葉は人を呪縛するのです。』

と仰ってます。なるほど、そうかもしれませんね。「ミス」は、それ自体決して重要ではなく、むしろ、その「ミス」のあと、どのような行動を取るか、あるいは、そこから何を学ぶかが特に若い時には重要なんだろうと思います。
メジャーリーグに昇格できない98%の選手は路頭に迷うケースが少なくありません。その模様は、日本未公開の映画「SUGAR」で詳しく描かれています。簡単に内容を説明すると、ドミニカでは貧しい少年が多く、学校に通えないため集団生活になじめず、英語もできなく、それらが野球で不利な要素となるばかりか、セカンドキャリアを築く上でも障壁となる。そうした壁にぶつかった少年の奮闘を描くストーリーです。日本でも公開されてほしい。

メジャーリーガーたちはそうした事情を知っているから、ドミニカの国内アカデミーなどに寄付をします。そうして教育の大切さを教えて行く。その代表が、本文の写真に出てくるマニー・アクタ・リーグ。同リーグの少年たちは午前中に学校に行き、午後はグラウンド併設の部屋で宿題をし、コンピューターなどのプログラムを受けた後、ようやく野球の練習に参加することができます。

野球を通じ、野球だけでなく、人生に必要なさまざまなことを教えるのが大切です。それが本来、指導者に求められる役割のはずです。
失敗を許容する環境での育成。
Jリーグの村井さんが提唱しているPDMCA(Mはミス)と同様の考え方ですね。
Jリーグの今後の伸び代も楽しみになりました。
中学のサッカー部時代、過酷なトレーニングで、いつのまにかサッカーに対する愛を忘れたことを思い出しました。厳しさとゆるさのバランスが難しいですね。

「12歳くらいまでのうちに、このスポーツが大好きだという気持ちを持たせてあげてほしい」
競技が好きな人間の中で更に好きを長所に出来るのは並大抵の事ではない。これも才能。

日本のシステムが野球だけに限らず、弊害があるのは確かなのだけども代替の案が出て来ないのもあるのですよね。
ほとんどの事に共感するものの、ふと思った疑問は、「メジャーのスーパースターはたしかにこの育て方はアリかもしれない。スーパースターになれればいいけど、そうなれなかった子はどうなるのか?」という疑問。日本の高校野球はプロ野球の養成所ではない。ドミニカのケースはあまりにもゴールが明確過ぎて振るい落とされた子たちのその後の人生を想像するとちょっと怖くなりました。
ドミニカというと、プホルスとかオルティーズとか怪物スラッガーのイメージが強いけど、こういう伸び伸びとした環境でなければ、真のスラッガーは育たないのかも。逆に日本の環境は優秀な投手を育てるのに向いてそう。
「野球を通じて学んだことを人生に生かさないと意味がありません。日本ではいま、自分で考えて動ける人が少なくなってきていると思います。もっと考える力がつけば、いまの時代に必要な生きる力がつくのではと思っています」

自分という存在価値の差別化。日本から多くのメジャー入りを果たしている選手たちへ共通する部分だと思う。彼らは自分を誰よりも理解し、考える力を持っている。
「ミスへの恐れをケアする」というのは、コーチやリーダーに求められる重要な要素。
創造性を阻害するものは、「失敗の恐怖」だと自分は考えています。

IDEOのトム・ケリーの、著書「クリエイティブコンフィデンス」より引用↓
"幼稚園のころは誰もがクリエイティブだった。恐怖や恥ずかしさなんて感じずに、遊びや、おかしなことを試していた。そんなことをしちゃいけないという分別などなかった。何かやらかせば社会的に拒絶されるという恐怖は、歳を取るにつれて身に付けたものだ。"

教育とは、知識を教えることではなく、探索や挑戦する楽しさを気づいてもらうことに本質があるのだろうな。