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出来ることばかりが評価される間違った教育の観点。出すぎる親の存在によって、子どものやる気を削いでいる。何でも先回りして準備してあげることが、考えること自体を奪っている。主体性は答えの無い中に存在しているのに。子どもは自由でいい。段階的に感じて学ぶことが感性を育てる。
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細かいことはどうでも良いので、記事にあるように「まず親自身が自分を好きになり人生を楽しむこと」がやはり一番です。子供は親の言うことを聞きませんが親の行動を真似ます。子供は耳ではなく目で学ぶのですね。だから大人も口ではなく背中で語るのが近道です。親が笑顔なら子供も笑顔になり、親が幸せなら子供も幸せだからです。だからそれ以外の細かいことはどうでも良いのです。

もしも親が笑顔になれないときは自他への要求水準が高すぎているかもしれません。そんなときは人生にいつ何が起こるかわからないことを思い出し「今日が人生最期の日かもしれない」という気持ちで、子供にも「生きてるだけで十分」という視点で接してみてください。きっと細かいことがどうでもよくなると思います。
以前、知人からこんな話を聞きました。
周りの子が、平仮名の読み書きができ、一桁のたし算くらいできたので、小学校入学前に「学校に入学までに何かしておくことがありますか?」と尋ねたところ。「学校に入ってから一緒に勉強していくので何もできなくても大丈夫ですよ」と優しく答えて頂いたと。
入学式が終わって教室に戻った時に先生から出た一言目が
「みんな自分の名前の書いてある机に座ってください」
入学前に字が読めなくてもいいって言ってたじゃないか!となったらしいです。
入学前に色々なことをやらせるよりも「親ができるのは、親自身が『自分を好きになり、人生を楽しむこと』」だという。賛成です。
幼稚園時代、あまりに話さないので病院に連れていかれ「この子は舌が大きいから上手く話せない」と診断され、小学校入学前に毎日舌の運動をさせられていました。

舌の運動は何の役にも立ちませんでしたが、とりあえず今は「よく舌の回るやつだ」と周りに思われる程度には話します。

ということで、それぞれの発達段階があります。特に3月生まれと4月生まれでは、実質1年の成長差もあります。あまり気負いすぎず、その時期、その時期の「出来ない」も「出来た」も楽しみたいですね。
公立中学校だと、入学前(もしくは授業開始前)までに「九九」だけはマスターしておいて下さいという校長先生が多いそうです。

「九九」くらいは家庭で十分習得できる。
それができないとしたら親の責任が大きいでしょう。

加減乗除さえマスターしておけば中学からでも挽回は可能です。
格差云々に文句を付ける前に、わが子に最低限の知識を与えましょうよ。
何でもキチンとできる子も偉いと思いますが、天才は時として変人でもあるのでそんな個性も尊重しましょう。
ちなみに私は10個しかできませんが55年間生きてきました。ただし凡人です。
幼児期には多動性障害と言われ、小学校に入ってからも通信簿の生活態度の欄は10個くらいの項目すべてで最低のCをつけられました。その度に磯野家のように和室で正座させられ、親父に鉄拳制裁を受けていましたが、その後は真人間としてきちんと生活しています。親父の鉄拳制裁に効果があったのか、はたまた日本の学校教育の基準が適当だったのか。

昔、某KO幼稚舎のお行儀の良い子供に悪い遊びを教えたら、タガが外れたように喜んでいて、過度な躾というのも人間の本能に反したものではないかと感じたものです。すいません、幼稚舎など視野に入らない行儀の悪い子供を持つ親の遠吠えでした。
「入学前に身に付けたい習慣」で挙げられている内容が悪いのではなく、不安を煽っているかどうかは、伝え方の問題ではないでしょうか?「身につけるべき」(must)ではなく、「身につけておくとより良い」(better)という話です。また、「入学前に身に付けたい習慣」で挙げられていることに取り組むと、筆者や有識者が挙げていることができなくなるというトレードオフや反比例の関係でもないです。むしろ実感値としては、比例関係にあるように思います。
知的好奇心の醸成