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光と闇。

光には力がある、暗闇を明るくできる力がある。
人の痛みや悲しみが分かる気持ちや志は忘れないようにしないといけないと思った。

NHKが先ほど7時のニュースで20分も割いて阪神・淡路のニュースを報道してました。
素晴らしいな。

日本は本当に地震が多い国。
年に数度は定期的に震災のことを振り返らないといけないとも思いました。

Pray For 神戸.
神戸に向けて祈りを捧げます。
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あらからもう22年。朝起きてテレビで見た映像を忘れることはない。震災後、神戸に住み、その後も関西で生活している身として、この日を忘れることなく、1月17日という日は大切にしたい。
阪神大震災から22年。被災地の方々にとってはそれぞれ大変にご苦労された22年だったのだと思います。
改めてご冥福をお祈りすると共に、今尚復興を目指してみえる被災地の方々にも祈りを捧げたいと思います。
1995年の阪神・淡路大震災、今でも22年前のことは忘れられません。

京都市内も大きな揺れを感じ、当日、市の教育委員会に勤務しており、直ちに職場に。そして市民ぐるみの支援活動に。
この日以降、自治体の防災に関する意識や取り組みは大きく変わりました。建物等の耐震化、備蓄、自主防組織の創設、訓練、医療体制、福祉避難所運営、等々~。また、被災地域でのボランティアの活躍や(ボランティア元年とも称されましたね)、NPOによる息の長い支援など、市民の皆さんの社会に貢献する形も大きく変化しました。

京都市でも本日、災害対策本部の運用訓練を行います。
神戸の記憶を風化させることなく、市民の安心安全を守るということ、同時に自治体間で助け合うということに、引き続き努力します。
当時私は名古屋に赴任していて、確か震災の前日が成人の日の振替休日で、大学時代の友人達との飲み会があり、16日の22時頃まで三宮にいて、最終の新幹線で新神戸から名古屋に帰りました。
翌日のTV映像は衝撃でした。
阪急が繋がってすぐ、神戸に向かいましたが、武庫川を越えたあたりから、思い出の地のあまりの変わり様に、涙が止まらなくなりました。
22年たって神戸の街は完全に復興しているように見えますが、上手く言えませんが、あの頃の「神戸の感じ」は戻ってないように感じます。色んな意味で、あの地震は大きすぎたなあと。。黙祷。
震災の日に身重の家内を残してアメリカへ
家内は日本で被災。

連日のロスでの報道の、日本の整然と
対処する姿を驚きと称賛に涙した。

日本は、この様にドーンと起こる問題
への対処は素晴らしい。

課題は、現代のゆっくり起こる課題に
どうやって自ら先手を打つかだと思う。
もう22年。
菅原商店街あたりの焼け野原を目にした時の衝撃は忘れられない。

大学三年生だった自分はボランティアとして2ヶ月ほどあの地で過ごした。あの時の仲間たちはどうしてるのかともふと思い出す。
実家が淡路島です。
山の中腹にありますが、大きく揺れて棚に置いてあったものは全て散乱しましたが、建物自体は壁にヒビが入った程度でした。
古くからある家ですので、地盤がしっかりしたところに建っていたのが良かったのでしょう。島の古い家は大丈夫だった場合が多かったようです。そうでない新しく開発した住宅地・リゾート地等は甚大な被害が出ました。

地震直後、島の役人が真っ先に断層の保存を行いました。震災を忘れないようにするためでもあり、観光資源になると考えたからです。
http://www.nojima-danso.co.jp/
昔、その保存館のお土産に断層のようにズレたバウムクーヘンを販売したらどうか、と提案しましたが却下されました。

私は当時のスイス・ユニオン銀行のトレーディングルームから呆然とニュースを見ていました。

震災の被害のこともそうですが、阪神・淡路大震災がなければ地下鉄サリン事件が起こらなかったかもしれないと考えると、世は無常というか、何とも言えず残念な気持ちになります。
阪神大震災で亡くなられた方の77%が、つぶれた木造家屋の下敷きになっての圧死とされています。特に1階が潰れやすく、木造住宅やアパートの1階で就寝中に地震に遭遇し亡くなられた方が多かったと見られます。潰れた家屋の下敷きになった人の救助は、当然ながら早ければ早いほど生存率が高くなりますが、地震発生当初は警察や消防などの人手も足りず、助かった市民による応急的な救助活動が不可欠ですが、救出のための資機材が然るべきところに保管されているでしょうか?

他にも、地震発生後の交通渋滞にどう対応するべきか、通電火災への備えや防火用水の確保は十分かなど、阪神大震災が私たちに突きつけた課題はまだまだ克服できないままです。災害の多いこの国で生きるからこそ、防災という答えのない課題に向き合い続けなければいけない宿命にあるのではないでしょうか。
あの日からきょうで22年。神戸で行われた式典に出席し、犠牲になった6400人余の人たちを悼み、献花しました。
          
私は、議員になる前に記者をしていましたが、記者活動の原点は、阪神・淡路大震災でした。当時、大切な人を失った大勢の被災者を取材しながら、「国をどう動かしていけばよいのか」と本気で悩みました。
           
そのときの思いが、私の問題意識の原点で、政治を志すきっかけにもなりました。
               
被災した方々は、住まいの再建などを余儀なくされ、20年以上たった今なお、返済などに苦しむ人が大勢います。政治の役割は、このような方々に寄り添い、支援を続けていくことです。
1月17日、3月11日、熊本地震の4月14日及び16日、新潟県中越地震の10月23日など、せめて1年に何回かは大地震とその犠牲者に想いをはせるようにしたい
阪急阪神ホールディングス株式会社(はんきゅうはんしんホールディングス、英語: Hankyu Hanshin Holdings, Inc.)は、阪急電鉄・阪神電気鉄道・阪急阪神不動産・阪急交通社・阪急阪神エクスプレス・阪急阪神ホテルズおよびこれら6社の子会社を統括する持株会社。阪急阪神東宝グループの一翼を担う「阪急阪神ホールディングスグループ」の中核企業である。 ウィキペディア
時価総額
1.14 兆円

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