【徹底反論】ベーシックインカムは「不必要な賭け」である
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そもそも生活保護などはもらう側に後ろめたい気持ちがあったりして我慢して貰わなかったりとか、行政の審査が厳しすぎたり、ある所では緩すぎたりとその辺にコストもかかっている。貰いすぎもあったりして、それをローコストでやりましょうよというのがベーシックインカムなわけで。仕事で社会のつながり作らなくても遊びで作れるでしょ。今日も昼間っから仕事もせずに10数人でサバゲーやってますけど、一人6000円で朝から夕方まで遊べます。ベーシックインカムプラスアルファでこういう生活できるよなあ。
記事に同意です。BI論議はつまるところ、富を独占する人々による「貧しくも豊かでもない人たち」の懐柔策。貧困層を救う(少なくとも切り捨てない)という前提に立った場合の財源の計算をすっ飛ばして「AIが人の仕事を奪う」というファンタジーがまことしやかに語られていますが、トランプ氏の選挙公約と同じ響きがします。
私がずっとBIには懐疑的、というより反対の立場を取っているのは、巨額の税金を要するということもありますが、それより何より現代社会を成り立たせている社会の規範やモラルを変質させる危険性があるからです。
例えば、巨額の費用が必要という事は、究極の「大きな政府」を作るということです。
国からの給付だけで暮らしていけるということは、裏を返して言えば、生殺与奪の権限を全て国が握る社会を作るという事です。
その社会で、個人の自由と独立が侵されない可能性は本当にないのでしょうか。
これは別の側面からも言える事です。
例えば、現代の資本主義社会は、プロテスタンティズム的な勤労の精神と価値観に立脚し、富の拡大再生産を繰り返す事で成立しています。
産まれたその日から、何もしなくてもお金がもらえる天賦の権利が与えられた人間が、本当に正しい勤労の意欲を持ち得るものでしょうか。
働くという行為は、生活の為、お金の為だけではありません。
仕事を通じて、人は社会と接点を持ち、お互いに助けあっているのです。
自分の仕事が、人の役に立ち、社会の役に立ち、そして人は仕事を通じで、お金だけでなく精神的な満足や幸福も得ることができるのです。
少なくとも現代社会は、労働によって、個人が相互扶助的に結ばれ、社会を形作っています。
そうした社会の結び目が崩れ、人間が孤独になり、仕事を通じて社会の役に立つという規範を失った時、本当に人は正しいモラルを維持できるのか。
私はとても疑問に思います。
では、もし、勤勉の価値観が崩れ、働かない人達が、働く人たちからのより多くのBIの分配を求めたら、社会はそれに抗う事は出来るのでしょうか。
民主主義は、基本的に税金による受益者が、納税者を上回ると機能しなくなると言われます。
圧倒的な数の受益者を抱えたBI化で現状の民主主義が機能するというとそれは不可能で、だからこそ共産主義は科学的配分のために民主集中制という名の、独裁制を取らざるを得なかったのです。
(さしずめ21世紀の民主集中制はAIということになるのでしょうか)
共産主義の末路を考えれば、BIは20世紀の共産主義の悲劇を再現させかねません。
BIは単に財政の問題ではなく、その本質はかつての共産主義の理想と同様、善意の石が引き詰められた、デストピアへの道の様な気がするのは私だけでしょうか。