内山高志、最年長王者へ。妥協なき元サラリーマンの強み(後編)

2016/12/29
前編はこちら 中編はこちら
内山高志は世界王者になってからも、パンチと身体を磨き上げる生活に変わりはなかった。
1年に2試合のペースで防衛戦を重ね、KO数を積み上げていった。
その合間を縫って、2013年にはプロボクサーとして初めてジュニア野菜ソムリエの資格を取得している。
内山は「たまたま関係者と知り合って話を聞いたとき、オフの時期で時間に余裕があったから」と謙遜するが、9割が女性という一般の受講生に交ざって週末に教室に通い、1回6時間、全7回の授業を受け、野菜料理のレシピを8つ考案してテストに臨むボクシングの世界王者は他にいないだろう。
「ボクサーのなかには、世界王者になってから天狗になってしまう選手もいると思いますが……」と話を振ると、内山は「ああ、たくさんいますね」と認めながら、「でも、自分は興味がないです」と言い切った。
「世界王者になったら、俺みたいな人間を応援してくれる人やスポンサーが増えてきて、より負けられないという想いがありました。趣味だったボクシングが仕事になって、もう自分だけの戦いじゃないし、勝たないといろいろな人に迷惑をかけちゃうでしょう」
内山高志(うちやま・たかし)
 1979年埼玉県生まれ。アマチュア全日本選手権3連覇を飾り、プロに転向。2010年、30歳でWBA世界スーパーフェザー級王者に。以降11戦連続防衛した。しかし2016年4月、ジェスレル・コラレスにKO負けを喫して王座から転落。戦績は26試合で24勝(20KO)1敗1分
この言葉は、決してメディア向けの優等生的な発言ではない。
あまり知られていないことだが、内山は試合のチケットをまとめて購入してくれるファンやスポンサーには、直筆で礼状を書く。
試合が終わった後、ファンやスポンサーがどこかに集まって会合を開いていると知れば、なるべく会場に顔を出して礼を言う。その習慣は、世界王者になってからも変わらない。

チケットの重みを背負って

なぜ、そこまでするのか。
内山は「一度サラリーマンをやって、おカネを稼ぐことがすごく大変だと知っているから」だという。
「たとえば野球選手って高校を卒業してすぐにプロになるから、1000円とか1万円を稼ぐ大変さがわからないんじゃないかな。でも僕はサラリーマンをしていたから、チケット代の5000円でも1万円でも、その重みがわかるんですよ」
「普通のサラリーマンで、家族もいるのに1万円とか3万円のチケットを買ってくれる人がいる。年金しかもらってないのに、チケットを買ってくれる人もいる。わざわざ有休をとって観に来てくれる人もいる。そういう人のことを考えると、本当にありがたいじゃないですか。だから、試合の日は楽しんで帰ってもらいたいんです」
企業に所属しながらセミプロのようなかたちで競技を続けるアスリートは多いが、内山はアテネ五輪の予選で敗れてから、一度、完全にボクシングから離れた。
そのときに勤め人として一般人の生活や価値観に触れた元サラリーマン拳士は、コラレスに敗れた4月の世界戦で忸怩(じくじ)たる思いに見舞われた。
「スピードが映像と見た印象と違っていて、そこに対処できなかった。負けて悔しいというより、あんな突発的な攻撃でやられた自分が情けないし、不完全燃焼ですね。僕の応援席で泣いている人がたくさんいたと聞いて、ファンには申し訳ないと思いました」

進化する37歳、攻撃力は上昇

内山が試合に敗れたのは、2004年の埼玉国体以来、12年ぶりのことだった。
タイトルを10回防衛したころから、海外進出と有名選手とのビッグマッチについて繰り返し発言してきた内山は、世界的に無名のコラレスとの対戦が決まったとき、「モチベーションが下がった部分はある」と会見でコメントしている。妥協なき男が、いつもと違う精神状態で臨んだのがコラレス戦だった。
だからだろう。敗戦から3日間ふさぎ込んだが、「引退」の文字は浮かんでこなかった。それは、「すべてを出し切って実力で負けたのならしょうがないけど、今回の敗因は自分の研究不足」という反省があったのと、「もう1度、コラレスと勝負したい」という気持ちが湧き上がってきたからだ。
内山は敗戦から3日後にランニングを始め、1カ月後には復帰に向けて練習を再開した。現役続行の正式発表は10月だったが、その間にコラレスとのリベンジマッチに向けて、着々と準備を進めていたのだ。
37歳で迎える世界戦。失礼を承知で、「若いときより衰えを感じることはありますか」と尋ねると、内山はあっさりと認めた。
「反射神経は何年か前より衰えていると思う。ふとした瞬間の反応が微妙に遅れるんですよ。だから今回、相手のスピードが上と理解したうえで、重点を置いているのはガード。目の感覚ではなくて、ガードで相手の攻撃をおさえる練習をしています」
そういうと、「でも」と言葉を継いだ。
「昔から続けているフィジカルトレーニングの効果もあって、去年よりいまの方が攻撃力は上がっています。今回はとにかく勝つことが一番大事ですけど、やっぱり倒したいですね。倒さないとイーブンにならないから」

世界初挑戦の気分でリベンジへ

絶対王者にも、年齢相応の衰えはある。しかし、内山にはプロ入りしてから12年間、相手をKOするためだけに練磨した拳がある。勘やパワーに頼らない「倒すボクシング」は、経験を積むほどに引き出しが増えるのだ。
大みそかも、前回と同じようにコラレスの変則的で鋭いパンチが内山を襲うだろう。内山はガードを固めながらコラレスの動きを見極め、一瞬のスキを狙うと予想される。観戦者にとって、手に汗握る展開になるのは確実だ。
だが、内山に気負いはない。
7年前の初めての世界戦当日、内山は試合の数時間前からそわそわしていたという。
緊張からではない。自分が勝利した瞬間を想像して、「ヤバイ! 俺もついに世界チャンピオンか!」と興奮を抑えられなかったそうだ。
前編の冒頭にも記したが、内山は今回のコラレス戦を「世界初挑戦のような気分」と表現している。
きっと、大みそかの試合前もファンや周囲の緊張をよそに、内山は一人、再びチャンピオンベルトをまく自分を思い描いて胸を高鳴らせているのだろう。
「ヤバイ! 俺もついに最年長チャンピオンか!」と。
(撮影:TOBI)