“外資”の中外製薬はなぜ自主経営を維持できるのか

2016/12/22
クロスボーダーのM&A、特に、外資企業が日本企業に出資し、株式比率が高くなると、メディアでは衝撃的に報道される。文字通り「傘下入り」した日本企業にも、いろいろなケースがある。
まずは、ケースを見てみよう。

稀有なアライアンスの成功理由

2002年にスイスの大手製薬会社ロシュの傘下に入ってから14年がたった中外製薬。永山治会長は、当初から、「買収」「傘下入り」という言葉を使用せず、「戦略的アライアンス」と言い続けてきた。
資本構成だけを見れば、ロシュの保有株式比率が約60%と過半数を占めているにもかかわらず、社名も元の「中外製薬」のままで、上場企業であり続け、永山氏が代表者であり続けている。
14年の間、社名もそのまま、代表者もそのまま、上場もしたまま。経営の独立性を保っている。こんな企業は、M&Aの歴史をさかのぼってもかなり異例だ。
なぜ中外製薬は、過半数の株式を握られながらも、経営の独立性を保てるのか。
稀有(けう)なアライアンスの、その成功の理由を、5つの側面からひも解いていく。
1980年代、それまで合成医薬品しか手掛けていなかったが、バイオ医薬品に軸足を移した。米バイオベンチャーとの共同開発によるバイオ医薬品の日本での製品化に成功。透析中の腎性貧血の治療薬として欠かせない存在となった。
その後、2005年に中外製薬は国産初の抗体医薬品を発売。関節リウマチ治療薬として、欧米でも承認を受けて使用されている。戦略的アライアンスの下、ロシュへ導出し成功した医薬品第1号であり、現在もロシュ・グル―プの売り上げトップ10製品にランクインしている。
中外製薬は、日本で抗体医薬品の創製・開発・製造・販売までを成功させた数少ない企業であり、成長を続ける抗体医薬品市場においても、国内シェアが35.3%(※)とトップポジションを維持。日本の抗体医薬品分野を牽引する存在となっている。抗体医薬品の有効特許件数、抗体研究の基盤と技術は世界レベルの高い水準を確立している。
(※2015年、IMS医薬品市場統計。市場の定義は中外製薬による)
抗体医薬は、標的とした分子だけを攻撃するので、高い効果が見込まれ、副作用が少ないという特徴がある。このことから、がん領域の治療薬として効果的だ。
中外製薬では、2つの大型製品群を販売し、日本国内のがん領域でトップシェアの地位にある。開発中のパイプラインも国内最大規模を誇る。
また、約500人のがん専門のMR(医薬情報担当者)を有していることも特徴だ。
ドリンク剤「グロンサン」と殺虫剤「バルサン」。30代以上の人であれば、テレビコマーシャルを思い出す人も多いだろう。実は、グロンサンとバルサンは第2次世界大戦後の苦しい時期に中外製薬に奇跡の復活をもたらした救世主でもあった。
しかし、一般用医薬品事業を2004年にライオンに売却した。一般用医薬品事業は、主力とする医療用医薬品事業とは全く異なる能力を要求され、中外製薬にとっては非常に難しいマーケットだ。潔く売却することで、強みとするバイオ・抗体医薬をはじめとする新薬の開発に注力する戦略をとった。
一般消費者向けの商品を失うことで、当然、企業の知名度は落ちる。しかし、「バイオや抗体医薬の研究をやろうという人には、グロンサンもバルサンも関係ないでしょう?」と永山会長。
一般用医薬品事業の売却は、中外製薬が「集中と選択」を明確に進めてきた証しと言える。
高い開発力や技術力があったとしても、ここは資本主義社会。いつTOBで完全子会社化されても、社名が変わっても、本国から経営者が落下傘で降りてきてもおかしくない。
「メディアはすぐに『完全子会社化』とか書きたがりますね。でも、ロシュ側が中外製薬に自主経営を貫いて欲しいと最初から言っているのです」
当時から経営の指揮を執る永山会長は、14年たった今もそう断言する。
ロシュの日本進出は1900年代初頭にさかのぼり、1925年の中外製薬の創業よりも歴史がある。にもかかわらず、日本ロシュは業界内での地位を上げられずにいた。
バイオ・抗体医薬でのトッププレゼンスはあるものの、中外製薬1社だけでは「国体」で戦うことしかできない。なんとか、「国際大会」に出られるようになりたい。そう思っていた中外製薬と、日本事業に課題感を持っていたロシュとの思いが一致。中外製薬と日本ロシュが合併する形で、2002年、ロシュ・グループとしての「新生・中外製薬」が誕生した。
その後、中外製薬はロシュから導入したがん治療薬などを日本で販売。開発リスクが少ないロシュからの導入品を継続的に日本で上市・販売できるため、革新性の高い創薬に資源を集中できる体制となった。
中外製薬にとって世界屈指の研究基盤を共有しながら、自身の研究を進められることも大きなアドバンテージだ。その結果生み出された新薬は中外製薬が有する販売拠点に加え、ロシュ・グループのチャンネルを通じてグローバル市場での展開が可能となり、ロシュにとっても革新的な中外製品を世界で販売できるという、まさにWin-Winの協業関係を続けている。
「ロシュとのアライアンスを通じてマーケティングなど、グローバルなロシュならではの手法を取り入れることもできました。また、研究の分野ではC&C(韓国)、CPR(シンガポール)といった中外製薬独自の海外拠点においても引き続き研究活動を行っており、特にバイオ医薬では中外製薬がトップだという認識があります。グループの中で、より目線を高く持ち、切磋琢磨(せっさたくま)している成果ではないでしょうか」(永山会長)
その言葉を裏付けるかのように、アライアンス以降、売り上げ、営業利益ともに大きく拡大している。
バイオ医薬品企業への道、ロシュとの戦略的アライアンスを先導してきたのが、1992年から代表権を執り続けている永山会長だ。
実は、永山氏の実父、永山時雄氏は旧・昭和石油で1985年にシェル石油との合併を指揮した人物。永山氏に対し学生時代留学を応援したり、シェル石油の外国人経営者と触れさせたりして国際感覚を身につけさせた。
1990年代の米国のバイオベンチャーとの交渉、特許争い、2000年代以降のロシュとの交渉。これらを指揮できたのも、永山会長が根っからの国際派だったからこそだろう。これらが今の中外製薬を形づくっていると言って過言ではない。
「戦略的アライアンスのおかげで、国際舞台で戦えるようになりました。以前は『国体』だけでしたから。
30年前に、バイオに軸足を移せたのもよかった。今年5月に、大阪大学免疫学フロンティア研究センターとの免疫学研究活動に関わる包括連携契約を大阪大学と締結しています。大阪大学側は基礎研究に専念し、我々は創薬のところを担う。新たな枠組みのオープンイノベーションを通じて革新的な医薬品創出への可能性が開かれることを期待しています。
今後も、独自の創薬技術を持ったトップ製薬企業を目指していきます」
(デザイン:砂田優花 撮影:北山宏一)
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