【柴沼俊一】2017年は「限界費用ゼロ社会」が本格的に到来

2016/12/19
「Future Society」
「今起きていることは、“個人、企業、国家、社会”の枠組みのパラダイムチェンジだ。価値観、行動様式、制度・ルールすべてが新しいものに切り替わっていく元年となるのが2016年」。私は1年前、このように大予測を締めくくった。しかし、そのスピードとマグニチュードは、私の想定をはるかに超えるものだった。
2016年は、究極のデジタル化の先にある「限界費用ゼロ社会」が、リアリティをもって姿を現した。
あらゆるものが自動化されて、無料あるいはそれに近い低価格になり、個人生活の利便性や事業運営の効率性が劇的に向上する一方、それを実現するAIとロボットに人間の労働者がとって代わられて雇用がなくなる、という厳しい現実が迫る。
徹底的なグローバル化とデジタル化を追求する企業にとっては、数年で数兆円の企業価値を実現するような異次元の成長も夢ではなくなったが、その裏で資産と所得の格差はますます顕著になった。格差はこれまで企業の収益の源泉だった中間所得層を消滅させつつある。
一方、そんな危機感を感じとった中間所得層は、グローバリズムに激しく反旗を翻し始めた。そしてイギリスのEU離脱、トランプ大統領の出現に代表される先進国の「内向き現象」の結果、世界の重心はとうとう見えなくなり、市場の先行きはまったく読めなくなった。
グローバル化とデジタル化の「作用」と「反作用」のループが生み出したこれら現象の連鎖は、もはや止められない。2016年に各国で「NO」を突き付けられたグローバリズムは、時代の主役から消えていくことになったとしても、デジタル化は確実にその勢いを増していくからだ。
人間は、有権者としては雇用喪失に対して抗議の声をあげても、消費者の立場にたてば、一度手にしたスマートフォンをもはや手放すことはできない。
つまり、私たちは、反作用をコントロールするのではなく、それ自体を事実として、これからの社会のあり方を考えることが迫られている。まさしく「Future Society」の構築だ。
そこで、2017年を語る前に、歴史の中で今をどうとらえ、何を前提にしなければいけないか、という視点から始めたい。