【小泉悠】日ロ首脳会談、日本は何を得たのか

2016/12/17
2日間にわたる日ロ首脳会談の成果が、16日の共同会見で発表された。
声明では、「共同経済活動に関する交渉を進めることで合意」とされたが、実際、日本は満足のゆく成果を手に入れることができたのか。今回浮き彫りとなったロシアの出方を見て、日本が打つべき「次の一手」とは何か。
多くの日本人が持つ素朴な疑問に対し、ロシアの軍事・安全保障を専門とする未来工学研究所客員研究員・小泉悠氏が「日ロ首脳会談の真の結果」を解説する。
16日、日ロ共同会見に臨む安倍首相とロシアのプーチン大統領(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

ロシアの線に沿って出された声明

──昨日(16日)の安倍首相とプーチン大統領の共同声明。どの部分に着目したか。
小泉 比較的予想通りの内容だ。安倍首相は「未来志向」という言葉を多用し、これまでの発想にとらわれない「新しいアプローチ」を用いて、経済協力をテコに関係改善を進展させる構えだが、領土問題については確定的な話は出なかった。
一方、プーチン大統領からは、「とりあえずまずは経済協力だ。それが進んでから安全保障や領土問題を話し合いたい」というメッセージが読み取れた。
今回気になったのは、共同声明に2+2(外交・防衛の閣僚会合)の話が盛り込まれなかったことだ。15日の山口会談が終わった段階では、ラブロフ外相が「2+2(外交、防衛閣僚会合)の再開を打診し、日本側も好感触だった」と話したが、共同声明では触れられなかった。
なぜこの点が重要かといえば、「信頼醸成」に安全保障上の関係改善が不可欠だからだ。14日に掲載された読売新聞のインタビューでは、プーチン氏は「平和条約交渉に至るまでには、『信頼の雰囲気作り』が不可欠だ」と強調した。
ここでいう信頼関係には、経済面のみならず、安全保障上の関係も含まれる。ロシアは日本の背後にアメリカの存在を見ており、「アメリカの同盟国に島を引き渡して大丈夫か」という懸念が根強い。
これを緩和するために、ウクライナ危機(2014年2月)以前、2013年まで行っていた協力関係まで戻したいというのがロシア側の意向だ。
2+2会合は、2013年に1度だけ実施されており、これが再開されることは両国関係の進展につながる。この点が今回の共同声明に盛り込まれなかったことは、気になる点だ。
また、今回の首脳会談を通じて、ロシアの国際的な立場を強めたい意図も見える。たとえば15日の会見終了後に、ラブロフ外相が「シリアとウクライナ問題をめぐって、両国の立場はほとんどの点で一致している」と発言した。両国間以外の問題でも、日本がロシアに歩み寄ってきたことをアピールしたい狙いがあると見られる。
また共同声明でプーチン氏は、アメリカが北朝鮮に対抗するため朝鮮半島に配備を進める「THAADミサイル」についても懸念を示した。これは中国向けのリップサービスに他ならず、「日本と一方的に関係を深めるわけではない」と中国側に配慮する意図が読み取れる。
総じて、経済協力を通じて信頼関係を醸成した上で、それから領土問題や平和条約について話し合いたいというロシア側の線に沿って声明が出された形だ。

背後にいるアメリカを警戒

──ロシア側の線に沿ったとすれば、日本側にとっての「お土産」はどのようなものだったのか。
正直言って、その点は見えにくい。日本側はさまざまな「お土産」を出したが、ロシアからは出てきたものはいまいちよくわからない。
そもそも最初から、ロシア側の基本線は「ゼロ島+経済協力」だ。「経済協力は日本が一方的にロシアを助けることを意味しない。日本もそこから利益を得ている」というのがロシア側の立場で、これで「Win-Win」だと言っている。
状況に応じて2島返還までは考慮しうるが、可能ならば「ゼロ島」で行きたいというのが当初からの立場だ。
その分、今回の共同声明を受け、日本の世論が肩透かしを食らったのは事実だ。安倍首相が5回も訪ロし、最終的にプーチン氏が来たと思ったら、経済協力の話しか出なかった。
しかし安倍首相もコメントしているように、いきなり領土の話をするのは難しいとう現実がある。そこにたどりつくまでの信頼関係がまだ日ロ間にない。
繰り返しになるが、ロシアは日本の背後にアメリカを見ている。プーチン氏は読売のインタビューで「日本は日米同盟の義務を負っている。どこまで物事を決められるか、見極めないといけない」と発言している。
共同記者会見でも、日本には米国との「条約上の義務」がある、と述べた。
米国の同盟国である日本との約束は、どこまで自律的なものなのか。これはロシア側の正直な懸念であり、そうした発言をすることで日本を牽制しているとも言える。
そうした懸念の典型例が、11月に行われた、谷内正太郎・国家安全保障局長とパトルシェフ安全保障会議書記の会談だ。朝日新聞の報道によれば、「クリル諸島(北方領土)を返したら、米軍が展開することはないのか」と問われ、谷内氏は「そうしたことはありうる」と答えたという。ロシアは日本と交渉をしつつも、常に背後にいる米国を強く意識している。
この状況を改善するためには、現在の枠内でできることを積み重ねていくしかない。もちろん日米同盟の解消はありえないが、その中でロシアと2+2会合を開くなど、日米同盟を毀損しない安全保障対話を展開すべきだと考える。

日本側が勝手に盛り上がった

──日本からすれば、急に領土問題がトーンダウンしている印象を受ける。
最初からロシアの姿勢は変わっておらず、日本側の期待値が上がりすぎたという側面が大きい。ロシアは状況に応じて、「領土問題はない」と言ったり、ある程度交渉に応じる素振りを見せたりするが、大きく方針を翻すことはない。
5月に安倍首相がロシアのソチを訪れ、首脳会談を行った際には、なぜか大きな手応えを感じて帰ってきた。そこで日本側が「領土問題が進展する」と盛り上がった経緯がある。
しかしロシアからすれば、日本側が勝手に盛り上がって、経済協力の糸口がつかめれば損はない。だから日本に期待させるようなことは言うが、一回も言質を与えずに今日まで来たのだ。安倍氏は「プーチン氏が思ったほど折れていなかった」と感じているだろう。
とはいえ官邸サイドは、ある程度前から、「今回の会談では領土問題は動きそうにない」と織り込んでいた。そのため、今回は関係改善に向け、どれだけいいスタートを切れるかが焦点だった。
しかしその点についても、評価は悩ましい。経済協力という面では、80件の合意文書が署名されるなど、具体的な進展はあった。しかし経済協力の先にある、政治・安全保障協力のあり方がいまいち見えてこない。
もっとも、ロシア側には「島を返すと、そこで経済協力が止まるのでは」という警戒論がある。そして日本側にも「食い逃げ」警戒論がある。お互い不信感がある中で、経済協力と両輪の政治安全保障についても、もう少し踏み込むべきだったのではないか、と残念に思う。

「信頼関係」とは何か

──ロシア側のいう「信頼の雰囲気」とは、具体的にどのような状況になれば実現したと言えるのか。
「雰囲気」については、日ロの経済協力が活発になり、今のような緊張関係がなくなることを意味する。
一方、「信頼関係」は、もう少し踏み込んだ関係を必要とする。
具体的には、安全保障上の協力関係だ。先ほど、ウクライナ危機以前には、日露は2+2を行っていたことを示したが、それだけではない。ほぼ毎年のように海上自衛隊とロシア海軍の合同捜索救難訓練が行われたり、日米ロの安全保障専門家の有識者会合も開催されていた。
まずはそうしたことを再開したい、というのがロシア側の意図だ。ただ、それだけでは十分ではなく、さらに踏み込んだ信頼関係を望んでいると考えられる。
たとえば中ロ両国は、国境付近での兵力配備を制限することから始めて、それを上海協力機構という政治・安全保障協力枠組みにまで発展させた。また、欧州、アメリカ、ロシア間には「オープンスカイ条約」が締結されている。お互いが協定通りの軍縮を行っているか調べるため、抜き打ちで相手国の領空に偵察機を入れることを認める条約だ。
一方、日ロ両国では、このような協定や条約は結ばれていない。ロシアとの安全保障協力に限界があることは当然だが、お互いに手の内を見せ合い、約束したことが守られているかが相互に見せ合う信頼醸成措置ならばそれなりに踏み込むこともできるだろう。
あるいは海賊対処やテロ対策など、非伝統的な分野での実務的な安全保障協力を進めることも選択肢として考えられる。

部分的な制裁緩和の可能性

──今後の日ロ関係では、いつ、どのような動きが予想されるか。
来年初頭には安全保障対話は再開されるだろう。2+2が首尾よく進めば、春以降に合同演習が再開できる可能性もある。2017年はウクライナ危機以前まで行ってきたことを復活させる年になるのではないか。そして、それ以上のことを行うのは2018年以降になる可能性が高い。
なぜなら、それくらい時間が経過しなければ、トランプ政権の出方が判明しないからだ。
国家安全保障担当補佐官のマイケル・フリン氏、国務長官にレックス・ティラーソン氏が任命されるなど、比較的親ロ的と言われるメンバーが政権入りしているが、彼らが実際どのように国務省や国防省を差配するかは判明していない。そうした流れを見ながら、日ロ関係も進めていくのだと思う。
ただ、ティラーソン氏の国務長官就任は、ロシアにとっては大きい。同氏はエクソンモービルのCEOで、エネルギー権益に敏感だ。ストレートに対ロ制裁解除の言及している。
アメリカでは2014年12月に「ウクライナ自由支援法」が成立し、ロシアでの制裁が法律で決まっているので、すぐに全面解除するのは難しい。しかし中身に関しては、手心を加える余地が残っている。現に、ロケットエンジンについては、ロシアからの輸入が再開している。
今後は形としては制裁が維持されるものの、2017年以降、エネルギーなどクリティカルな部分は緩和される可能性も考えられる。
するとEUの立場が気になるところだが、実はEUも一枚岩ではない。ドイツやイタリアは経済的な理由から制裁緩和へと傾いている。対ロ強硬派のイギリスは離脱することになった。
もしアメリカが制裁の緩和緩和に踏み切れば、これを契機としてEU内でも同様の動きが広がる。特に、来年4〜5月のフランス大統領選で、極右・親ロのルペン氏が当選した場合、その流れは一層強まるだろう。
小泉悠(こいずみ・ゆう)
未来工学研究所・客員研究員
1982年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。修士(政治学)。外務省国際情報統括官組織で専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所で客員研究員を務めた後、現職。専門はロシアの軍事・安全保障政策。
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)