【求人掲載】10年後に生き残る、キャリアの築き方

2016/12/16
製造業に特化した人材ビジネスを展開し、約1万3000人の雇用を創出すると同時に、日本のモノづくりを支えているUTグループ。「日本全土に仕事をつくる」をビジョンに、グループの存在意義を社会のインフラと位置づけ、雇用創出や非正規労働者のキャリアアップ支援に取り組んでいる。そんな同社が今回新たに始める取り組みが、3年で経営者になることを前提とした「プロ経営者コース」だ。同社が求める人物像とは。そしてこれから、若者たちはどのようにキャリアを創っていくべきなのか、同社社長の若山陽一氏が語った。

主体性を持って人生を歩みたい

私がUTグループを創業したのは1995年、24歳のときでした。なぜ起業したのか、そのきっかけは小学生時代にまでさかのぼります。 
私の父は非常に厳しく、いわゆるスパルタ教育を受けて育ちました。父は「日本一高い山は富士山だが、2番目に高い山は誰も知らない。1番と2番はそれくらい違う」が口癖で、常にトップであることを私に命じました。
しかしどんなに勉強やスポーツを頑張っても、勝てない子たちがいる。自分の限界を感じると同時に、父の言う通りではなく、自分の意思で何かを始めたいと思うようになったのです。
それが実現したのは中学生のとき。新聞配達でお金をためて、ボクシングジムに通い始めるようになりました。自分で選んだことに初めて納得感を覚え、人生を主体的に歩みたいと強く思ったのです。
そしてプロボクサーを夢見るようになったのですが、16歳のときにもうひとつの転機が訪れます。バイク事故に遭って肝臓が破裂、肝臓の4分の3と胆のうを全摘出し、4日間も意識不明の状態に陥ったのです。
一命はとりとめたのですが、右足を複雑骨折して3カ月の入院。ボクサーの夢も潰れました。相当なショックでしたが、意識不明から目が覚めなければ、自分は死んでいた。ボクサーの夢はついえても、やっぱり自分は主体的に全力で生きていきたい。そう思い、起業を決意したのです。
UTグループ 代表取締役社長 兼 CEO 若山陽一

リーマン・ショック後に最も成長した派遣会社

それからは、全ての時間を起業のために費やすようになりましたね。上京後は資本金300万円をためるために、一日中働きました。日中はビルの窓ふき、夜はクラブのボーイ。空き時間に屋台でホステスさん相手にコーヒーを売り、またクラブに戻って朝まで仕事……寝る間も惜しんで働きました。そして1995年に会社を設立したのです。
「製造業に特化した人材派遣業」を始めた理由は2つあります。1つは起業のために世界を見ようと各国を旅した経験。
私はこれまで100カ国ほどに行ってきましたが、どの国の空港や港にも必ず、ソニーやパナソニック、東芝など日系メーカーの看板があります。アフリカの僻地(へきち)にもあり、安心感を覚えると同時にすごさを感じ、日本のモノづくりに資する事業をしたいと思いました。
もう1つは大学時代の先輩との再会です。屋台でコーヒーを売っていたときに、偶然通りかかった先輩に誘われて入社したのが、人材派遣会社でした。それから人材派遣に携わるようになり、たくさんの方と触れ合いながら、いろいろな価値観を知るうちに、多くの人が集まる環境を作りたいと考え、人材派遣業で起業したのです。
製造業は景気や生産状況によって必要な人的リソースがまちまちです。そのため、どうしても派遣社員などの非正規雇用で有期の雇用をせざるを得ない。
しかし、派遣社員から見れば、数カ月しか未来が約束されておらず、生活の安定もキャリアアップも考えられない状況です。それならば、自社で正社員雇用し、チームでメーカーに派遣すればいいと考え、ビジネスモデルを作りました。
2003年にはJASDAQに上場。積極的にM&Aや業務提携を行い、グループを拡大していきました。しかし、2008年のリーマン・ショックでは、倒産寸前の状況に。多額の借金を抱えましたが、1万人を超える社員を路頭に迷わせるわけにはいきません。
そこで私は原点に返り、多角化していた経営を財務・事業の両面から見直し、乗り越えることができました。リーマン・ショックを機に、多くのライバル会社は製造派遣から撤退しましたが、弊社は製造派遣に集中することを選択。結果として、派遣業界の中で最も成長し、現在のUTグループがあるのです。

ミッションは、「はたらく力で、イキイキをつくる」こと

“仕事創発価値”、つまり仕事を創ることが我々の仕事です。人が働く時間は一日の大部分、人生のほぼ全てと言っても過言ではありません。
電気や水道のように、働くことも生活における基盤なのです。そういった社会的影響が大きいビジネスを行う中で、私たちが近年注力しているのは、非正規労働者のキャリアアップ支援です。
現在、日本の労働人口は約6000万人。そのうち2000万人が派遣社員やアルバイト、パートなどの非正規労働者です。この数字が意味するのは、終身雇用は終わったということ。同時に今の日本には、キャリア形成を支援する存在がないということです。
これまでは新卒入社して、定められた教育体制や賃金モデル、キャリアパスの中で働き、定年を迎えるのが当たり前でした。それが無くなりつつある今、キャリア形成は自己責任として、個人に依存されている状況なのです。
たしかにそういった一面もありますが、組織がサポートする必要も絶対にあります。政府が「働き方改革」「一億総活躍社会」を推進しているこの時代、私たちは事業を通じて非正規を正規雇用してキャリア支援を積極的に行い、一人ひとりの可能性を広げることにチャレンジしていきます。
現在、弊社の社員は約1万3000人。その全てが可能性を見いだせるよう、我々は一人ひとりにキャリアカウンセリングやさまざまな研修などを行っています。イキイキと働くことで人生を豊かにしてもらいたい、そう考えています。

3年で経営者になる「プロ経営者コース」

社員のキャリア支援の一環として、今回初の試みとして設けたのが、若者向けの「プロ経営者コース」です。このコースで入社した方は、基本的に3年、どんなに遅くても5年で経営者になっていただきます。応募条件は、本気で経営者を目指したい方。
会社が用意したキャリアパスやカリキュラムにのっとり、私や幹部たちが教育していく中で、主体性を持ってキャリアを形成していってください。もちろん負荷もかかりますが、努力して才能を開花していただきたいと思います。
私は人生の目的を、「自分の才能を使い切ること」だと定義しています。そのためには、自分にどんな才能があるか常に探求し、見つけたら伸ばして育てていくことが必要です。自分を成長させることに貪欲(どんよく)で、やりがいや生きがいを感じられる方を求めています。
また、プロ経営者コースにチャレンジしたい人に伝えたいのは、「10年間の中でどういうキャリアビジョンを描けるか」ということ。日本人の平均転職回数は2~3回で、平均すると10年で転職しています。つまり、10年後に転職することを前提に、キャリア形成を考える必要があるのです。
一方でどんな事業も、変化しないままで生き残れるのは最大10年。当社も22年間、同じ事業をしているようで、市場に合わせて大きく3回変えています。会社も人も、同じ仕事や事業をするだけでは、10年後に生き残れないのです。
このことをふまえて、弊社に入社した10年後、グループの中でチャレンジするのか、外に出てチャレンジするのか。そのときに決めてもらって構いませんが、いずれにせよ「旬の10年を効率よく使っていただきたい」というのが我々の願いです。
あなたが、本質的な仕事でイキイキと働くことで、社会に大きな価値を提供してくれたらとても嬉しいです。

イチゴ農業でネパールに1万人の雇用を創出

最後に、UTグループの事業とは別に、私が個人的に取り組んでいる「ネパールでのイチゴ農業支援」についてお話しします。
私は登山が趣味で、2015年にエベレストに挑戦しました。しかし、途中でネパール地震が発生。登頂を断念してカトマンズに下りたところ、ガイドや荷物持ちとして雇っていたシェルパたちの家は、どれも崩壊していました。
電気もほとんど通っていないような貧しい国で、家まで失ってしまった彼ら。そこで私は、「この現状をどうにかしたい、彼らに仕事をつくろう」と決意しました。ここは、標高が高くて土も良い。その環境で作って、高く売れるものは何か。導き出した答えは、イチゴ農業でした。
早速苗を3000本購入し、ビニールハウスを40棟建てました。栽培方法をネパール人に教え、できたイチゴは1キロ300円で買い取ることにしたのです。その利益でまたビニールハウスを建て、ネパールに1万人の雇用を創出する。
5年以内にはこの取り組みを100カ国に広げ、100万人の雇用を生み出したい。私はそんなビジョンをネパールに行くたびに語り続けました。
すると、うわさを聞きつけた在ネパール日本国大使館の方が、「日本国大使館で、天皇誕生日祝賀レセプションを行う。400人のネパールの要人が来るので、日本とネパールの懸け橋としてイチゴの展示をしてほしい」と提案してくださったのです。大変ありがたい話で、もちろんお受けしました。
その後も、「大使館主催の市場でイチゴを販売しないか」とお声がけいただいたのですが、もらった日程は日本にいるため行けない。
そんな話を帰国前に、ネパール人にしたところ、当日彼らが自発的に集まり、生産しているイチゴを販売したのです。結果、イチゴはあっという間に完売しました。
私はビジョンを語り、それを実現させるために愚直に行動しただけです。それが、国境を超えて人を動かし、事業創造につながろうとしている。これは会社経営も同様で、志や理念、ビジョンを語り続けることで、必ずまっすぐに伸びていくと考えています。
(編集:田村朋美、文:肥沼和之、写真:岡村大輔)