• 特集
  • 番組
  • トピックス
  • 学び
プレミアムを無料で体験

遺伝子改変の是非を哲学で斬る

NewsPicks編集部
75
Picks
このまま本文を読む
本文を読む

コメント


のアイコン

注目のコメント

  • ビジネスコンサルタント

    ここで取り上げられているフランシス・フクヤマの書物には、ゲイの子どもが生まれないように抑制する「ピル」の服用の是非、という思考実験が紹介されていましたね。もしそのようなピルが存在したとしたら、私たちはどうするか。社会がそうした存在を「マイノリティ」として分節化し「生きづらさ」を生み出す以上は、このピルの服用はきわめて「合理的」。それは子どもを「正常な」性のもとで誕生させ、社会を生きやすくするからです。ピルを飲まずに万が一ゲイの子どもを生みその子が結果的に社会に適応できなかったら、親としては悲しい、というわけです。

    だが、これは、国家社会主義ドイツ労働者党が1933年に制定した遺伝病子孫予防法(断種法)がもたらす「効果」と、一体どう違うのでしょうか。それが国家の名の下に行われるか、あるいは個人の「自由」の名の下に行われるか(むろん、生まれくる子ども自身はその「自由」を行使できません)。この違いによって、片方を「優生学」の実践ではないと、誰が言えるのでしょうか。
    テクノロジーの「見かけ」が表象するポジティブな印象は、それが含意する根本的な欠陥を見誤らせることがある。このような点を強く自省させる点に、哲学の意義があるのかもしれません。


  • 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任教授

    個人的には、「遺伝子操作により不老不死となる」といった根源的なテーマに対する哲学的態度とは、「違和感に謙虚であること」だと思っている。100人が100人、全員が「それはいい!」と思えないのはなぜか。たとえ一人でも、「違うと思う・・・うまく言えないけど」という思いに寄り添うこと。そして一緒に探求し続けること。答えは見つからないかもしれないが、それでも「違和感」と向き合い、思いの奥にあるものを発見しようとすることが大切だと思う。

    「必ず「それは倫理的に問題がありますよ」という専門家の意見が出てきます。そのとき、「倫理的な問題とは何ですか?」と私はよく相手に問うのですが、その相手の最終的な根拠(答え)は「でもやはり倫理的に問題がある」という形で結局、終わるのです。」(記事引用)

    これは哲学的探求がまだ始まったばかりということではないだろうか。「倫理的に問題がある」という基本的な問いを問い続け、答えのない答えを求め続ける中で、「「遺伝子操作により不老不死」というテーマを超えた、人間とは何か、存在するとはどういうことか、といったテーマが見えてくる。それをとにかく見ること、わからなくても、全身全霊で感じ取ろうとすること。そのことを通してはじめて、私たちは本当の意味で「人間」になっていくのではないだろうか。


  • ZeLo FAS株式会社 代表取締役

    遺伝子操作が正確にできるようになったら考えればいい、死ぬ権利とセットなら健康寿命が無限に伸びるのは大歓迎、と言ったら「倫理的に問題がある」わけですね。

    豚の肝臓でヒトの臓器を培養する実験をするときも同じ言葉でストップがかかったような。

    まあこういう言葉を(ひとまずは)無視して走り抜ける研究者が生命倫理の次元を一つ上げてくれるのでしょうね。


アプリをダウンロード

NewsPicks について

SNSアカウント


関連サービス


法人・団体向けサービス


その他


© Uzabase, Inc

マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか