柳井・新浪・澤田に愛された男、ローソン玉塚元一の人生
2016/12/24
澤田貴司さんからの電話
ダブルのスーツを着て偉そうにしていたのが、いまやファミリーマートの社長をしている澤田貴司さんです。
彼も私を偉そうなやつだと思ったかもしれませんが、なぜかウマが合いました。
澤田さんは伊藤忠を辞め、ユニクロに転職します。そして電話をくれて、私はユニクロに出向きます。
このときの出会いが私の人生を大きく変えるとも知らずに──。
柳井正さんに偉そうにプレゼン
初対面の柳井さんの前で、私はプレゼンを始めました。
能書きをとうとうと述べると、聞いていた柳井さんが一言。
「きみは将来、どうなりたいんだ?」
いまだに思い出すたび顔から火が出そうになります。
あの柳井正に、偉そうに経営のアドバイスをしてしまったのですから──。
私はユニクロに飛び込むことにしました。仕事は、店舗での研修からです。
「いずれ役員にしてやる」というような約束など何もありません。
本当にでっち奉公からのスタートでした──。
40歳、ユニクロ社長に就任
事態の恐ろしさに足が震えました。
「このまま会社がなくなってしまうのではないか」というくらい、売り上げはさらに落ちていきます。
チームとしての一体感を持てなくなり、柳井さんも焦ってイライラしている。
このままでは組織がおかしくなりそうになったとき、柳井さんは副社長の澤田貴司さんを社長にしようとしました。
しかし澤田さんは辞退。
そこで私が社長を務めることになりました。40歳のときです──。
ユニクロを去り、リヴァンプ創業
柳井さんが私を更迭したとかいう報道も一部ではありましたが、私の意志で退職することにしたのです──。
ユニクロにおける私は社長ではあっても、オーナーではなかった。
それが私と柳井さんの決定的な違いだったのでしょう。
経営者としてさらに成長するには、自分でお金を出して会社をつくるという経験が絶対に必要だ。
そこで澤田さんと私のなけなしのお金を出してつくったのが、リヴァンプでした──。
新浪剛史さんに誘われて
人の仕事にあれこれ口を出すだけでは、足腰が弱ってしまう。
コンサルティングの仕事は、60歳とか70歳になってからでもできる。
そんなときローソンに誘ってくれたのが、当時ローソンの社長で、現在サントリーの社長を務めている新浪剛史さんです。
「ローソンの仕事の領域がだんだん広がってきた。自分一人では手が足りないから手伝ってくれ」
「ありがとうございます。ぜひお手伝いさせてください、リヴァンプで」
「ダメだ。お前自身が来い」
澤田さんと2人でつくったリヴァンプを辞めるのは、もちろん簡単ではありませんでした──。
大学卒業後、旭硝子に就職
大学を卒業するころ、私には、世界で活躍するビジネスマンになりたいという憧れがありました。
何人かの先輩に相談してみると、
「玉塚くん、きみの成績では海外に行かせてもらえないよ。それより同期の人数が少なくて、なおかつ海外拠点がたくさんあるメーカーに行ったらいいんじゃないか」
という。そこで選んだ就職先が旭硝子というメーカーでした──。
シンガポール赴任で玉砕
「きみ、英語はどうなんだ」
「はい、まったく問題ありません」
と言い切りました。本当は問題があったのですが、いざとなればなんとかなるだろうと思ったのです──。
シンガポールに赴任して1年目は、ほとんど玉砕でした。シンガポール独特の英語、いわゆる“シングリッシュ”が聞き取れないのです。
英語がわからないのだから、会議ひとつとっても意思の疎通ということができない──。
自分で起業したい
アメリカでは若者がどんどん起業しているというのに、日本の大企業の経営者は、黒塗りの車に乗って整髪料で髪をテカテカ光らせ、夕方6時くらいになると毎晩料亭に行く。
社員に向けて自分の言葉で思いを語ることもなく、スピーチは誰かの書いた原稿を読むだけ。
いまのままでは、アメリカの連中に勝てっこない。
自分が経営陣に加われるようになるまで最低でも20年以上かかる。
それよりはたとえ小さな会社でも自分で起業して、自分から荒波に飛び込むほうが経営者として成長できるかもしれない──。
成長する人、しない人の違い
ユニクロの急成長にともない、何百人という人を採用しました。その後、ユニクロの社長になってからは、何百人もの部長や課長と面談しては評価をしました。
その経験を通じて私はある法則に気づきました。
成長していく人と、残念ながら成長せず結果が出せない人とでは、ある決定的な違いがあるのです──。
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:長山清子、撮影:遠藤素子)