戦後最悪の人道危機。シリア難民問題を理解する「4つのポイント」

2016/11/30
国民の半数を超える450万人が国を出たとも言われるシリア難民、そして「第2次世界大戦後最悪の人道危機」と言われるヨーロッパ難民危機。2015年、トルコのリゾート地の海岸に流れ着いた3歳の男の子アイラン・クルディの遺体写真で一気に表面化したこの問題は、パリ同時多発テロ、ブレグジット、トランプ次期米大統領の誕生と目まぐるしく動く世界情勢のなか、もはや「ニュース」として報道されることは減ってしまった。では、世界中に衝撃を与えたあの「写真」報道から約1年がたった今、いったいどうなっているのか。
英ガーディアン紙初の「移民専門ジャーナリスト」に就任し、2016年、『シリア難民 人類に突きつけられた21世紀最悪の難問』(原題The New Odyssey)を刊行した現在27歳の若き記者、パトリック・キングズレーに、2016年の「難民危機」の現状とこれからについて聞いた。(翻訳:藤原朝子)
パトリック・キングスレー
英国『ガーディアン』紙初の移民専門ジャーナリスト。
2013年には記者に贈られる「Frontline Club Award」を、また2014年にはBritish Press Awards主催の「ヤング・ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、数々の受賞歴を持つ若手ジャーナリスト。同紙エジプト特派員からキャリアをスタートさせ、これまで25か国以上からレポートを発信している。本書でも中心的に取り上げられるシリア難民ハーシム・スーキの旅をドキュメントしたガーディアン紙の連載記事『ザ・ジャーニー』で、2015年英ジャーナリズム賞の外国特派員賞を受賞。Twitter: @PatrickKingsley(撮影:Tom Kingsley)
ポイント1:シリアの情勢はなおも「悪化」している
2016年10月現在、シリアは依然として悪夢のような状態にあり、終息の気配はない。
ここ数カ月は、国内の勢力図にも大きな変化はない。反政府勢力とクルド人勢力は北部のかなりの部分を、政府軍は西部と南部の大部分を支配している。ISISは徐々に後退してきたが、依然として北部と東部の主要地域を支配下に置いている。
ダマスカス近郊にわずかに残っていた反政府勢力の拠点は、政府軍の手に渡り、シリア最大の都市アレッポは、政府軍とロシア軍とイランの息がかかった勢力によって包囲されている。
しかしどの勢力も、軍事的に決定的な勝利を収める可能性は乏しい。
ポイント2:バルカン半島の「人道回廊」閉鎖とその失敗
その一方で、シリア人が国外に逃げ出すのは以前よりも格段に難しくなった。
トルコはEUから60億ドルの難民支援を受ける合意をして以来、シリアとの国境に壁を建設し、これを越えようとする人には発砲するようになった。
ヨルダンとレバノンも同様の政策を取っている。
ビザ発給制限により、ヨルダンとレバノンにいるシリア難民が、トルコに移動するのも難しくなった。すでにトルコにいる難民がヨーロッパを目指すのも、以前のようにはいかない。EUとの合意後、トルコが海上の国境管理を強化したためだ。
なお、トルコは2016年3月18日以降にギリシャに上陸した難民の送還を受け入れることでも合意している。
現実には、ヨーロッパからトルコへの難民送還は保留状態にある。だが、強制送還以外にも、難民にヨーロッパ行きを思いとどまらせている要因はある。
たとえば、バルカン半島諸国は2015~16年初頭、難民をバスでドイツまで運ぶ措置を取ったが、これを打ち切ってしまった。ギリシャの島に上陸した難民が、本土に移送されず、島内のキャンプに収容されていることも、難民の「エーゲ海越え」を思いとどまらせている。
このため新たにヨーロッパに到着する難民は大幅に減り、現在は2015年の危機前の水準にある。しかし本書が刊行当初に警告したとおり、難民の流入が途絶えることはないだろう。バルカン半島諸国が「人道回廊」を閉鎖した後も、密航業者の助けを借りて半島を北上する人は後を絶たない。
その数は半年で2万5000人に達した。密航業者の手を借りずに、ブルガリアからギリシャ北部を経由して、マケドニア、セルビア、クロアチアを踏破する難民もいる。
一方、リビアから地中海を越えてイタリアに到達した人の数は、この1年で15万人と、2015年とほぼ同水準になりそうだ。人々の移住は続いているのだ。
ポイント3:「パリ同時多発テロ」の誤報が招いた極右勢力の台頭
2015年11月のパリ同時多発テロと、2016年1月にケルンで起きた女性暴行事件は、当初、難民が起こしたものとされていた。
しかし捜査が進むにつれて、難民はほとんど関与していなかったことがわかった。
だが、時すでに遅しで、一般市民の間では難民は乱暴者というイメージが確立してしまった。今も一定の数の人は難民支援を支持しているが、これまで以上に進歩的で積極的な受け入れ策を支持する声はほぼ消えてしまった。
今回の難民危機は、2016年にヨーロッパ全土で極右と愛国主義が台頭するきっかけの一つになったが、唯一のきっかけではない。
イギリスではEUに対する不信感、外国人に対する恐怖、2008年金融危機の長引く余波のために、国民が僅差でEUからの離脱を選んだ。
オーストリア大統領選では、有権者の半分近くが極右の候補に票を投じた。
ドイツでは極右政党が台頭し、フランスでは極右政治家マリーヌ・ルペンの影響力が拡大し、ハンガリーでは極右的政策を掲げるビクトル・オルバン首相の支持率が上昇しつづけている。
ポイント4:ヨーロッパの難民政策に与える影響は限定的
ただし、ブレグジットが難民問題に与える影響は、極めて限定的だ。イギリスは昔からヨーロッパとは一線を画した難民政策を取ってきたからだ。
イギリスは大多数の難民が目指す国ではないし、第三国定住の枠も大きくない。ブレグジットによってヨーロッパ全体でナショナリズムに拍車がかかる可能性はあるが、短期的にはヨーロッパの難民政策に与える影響は限定的だろう。

日本の読者に伝えたいこと

日本の読者のほとんどにとって、シリア難民危機、いや難民危機そのものが、日常生活から遠く離れたことのように思えるだろう。
ひょっとすると年配の読者のなかには、日常的に残酷な破壊行為を目にしているシリア人に共感する方がいるかもしれない。ただ、多くの方には、それは何千キロも離れたところで起きている出来事だと見えていることと思う。
しかし、日本も何らかの形でこの危機の影響を受けるはずだ。
中東やヨーロッパに何百万人もの難民がいるということは、これらの地域がこれから何年もの間、不安定化する可能性があるということにほかならない。それは日本のパートナー諸国の政治経済に長期的な影響を与え、結果的には日本にも影響を与えるだろう。
シリア人が安全かつ合法的に移動できるようになれば、ヨーロッパと中東の負担を軽減できる。それは現在の日本には無関係のように思えるかもしれない。しかしパートナー諸国の負担を減らせば、日本はそこから長期的な恩恵を受けるはずだ。
さらに、長い目で見れば、移民は直接的なプラス効果をもたらす可能性がある。
日本は独特の文化を持っているが、経済的・人口動態的には多くの先進国と同じ問題に直面している。すなわち少子高齢化によって年金生活者が増える一方で、彼らを支える納税者が減るという問題だ。移民はこの問題を乗り越える答えの一つになるはずだ。
世界がこの問題に対処するのをサポートすることは、日本の長期的な利益になる――私はそう考えている。
(写真:ロイター/アフロ)