視力の低いイチローと山田哲人が示す、「眼がいい」の正体

2016/11/24
かつてイチロー(マーリンズ)だけが「特例」とされていた概念が、山田哲人(ヤクルト)の登場でいま、ひそかに注目され始めている。
イチローは2016年、メジャーリーグで通算3000本安打をマーク。一方の山田は今年、プロ野球史上初めてとなる2年連続トリプルスリーを達成した。舞台は違うにせよ、いずれも、いまの日本の野球界を代表するバットマンといえるだろう。
そんなイチローと山田の共通点。
それは、彼らの視力が1.0を下回っていることである。
これの意味するところはどういうことなのだろうか。
「野球選手は(矯正を含めて)1.5以上の視力が必要とされ、視力が0.9以下のイチローだけが“特例”だといわれてきました。ところが山田という選手まで出てきた。2人も“特例”ということはないでしょう。“眼(め)がいい”とはどういうことなのか。2人の活躍は、“見る”という世界に一石を投じたのではないでしょうか」
そう語るのは、大阪府の吹田市で「視覚情報センター」を営んでいる田村知則氏である。

イチローの突出した感覚

プロ野球のオリックス・バファローズの定期検査をはじめ、数々のプロ野球選手の眼を検査し、眼の使い方・見方を指導してきた人物だ。
いまでは、調子を落とした選手たちや成長のきっかけをつかもうとする多くのトップアスリートが通う。プロ野球選手はもとより、他競技では幼いころの錦織圭もその1人だ。
田村氏はオリックス時代のイチローの眼を7年間検査してきた。やはり、イチローの眼の使い方には突出した感覚があったと語る。
「イチロー選手はどういう眼の使い方、見方をすれば、身体の反応につながっていくのかを意識していました。たとえば、ボテボテのゴロを打ってしまったときに、ボールの見え方の感覚が身体とマッチしていたのかどうかに重きを置いて振り返っていたのです」
「『眼と身体、そして、心のつなぎ方が重要だ』と探求心を持っていました。その感覚をずっと持っているから、眼の使い方、ボールの見方が磨かれた。だから、視力が少々低くても反応できました」
野球界の数々の常識を覆したイチローは43歳となったいまも活躍している
野球選手における眼の使い方とパフォーマンスとの相関関係。そして、現代人がおろそかにしがちな眼の働きが身体に及ぼす影響について、今回は取り上げたいと思う。
この連載「高校球児プロデューサー」からは内容的に少し離れてしまうかもしれないが、スマートフォーンの普及などで、眼を使う機会が多くなっている現代人への警鐘も込めて、異なる視点からお送りすることをご容赦願いたい。

いい眼=視力ではない

田村氏はもともとコンタクトレンズや眼鏡の屈折検査に従事していた。
しかし、患者の訴えを耳にするうちに、1つの疑問が頭に浮かんだ。
「眼鏡やコンタクトを着けて視力が出ているにもかかわらず、不快感を訴える人が出てきたのです。それで、“いい眼”とはどういう眼なのかという疑問が出てきました」
「視力表を基準にしたら見えているけれども、『疲れる』『見えにくい』という人がいる。遠くの小さなものが見えて、視力が4.0あることが“いい眼”というのが当たり前になっていたのですが、それは本当なのかを調べようと思ったのです」
その調査に訪れた先が、オリックスの前身・阪急ブレーブスだった。
「野球をしている、それもプロ野球選手の豪速球を打っているような人間は“いい眼”をしているのだろう」という発想から田村氏の研究は始まったのである。
 田村知則(たむら・とものり)
1947年 岡山県生まれ。1984年日本で最初にスポーツビジョンを職業とし、眼鏡店「視覚情報センター」を開設。スポーツビジョンの分野では日本の先駆者的存在といわれ、オリックス時代のイチローを7年間検査した。最近ではDeNAの筒香嘉智など、多くの選手が同センターを訪れている(撮影:氏原英明)
結論を先にいうと、「いい眼=視力ではない」と田村氏は続ける。
「眼にとって大事なのは視力ではなく、その人の健康を守って、その人の持っている能力が発揮しやすくなるのが理想だという考えに行きつきました。視力は0.1でも構わないのです。視力4.0の人に近くのものを見るデスクワークをさせるより、0.1の近視の人がデスクワークをやるほうが身体的には楽なのです」
「ある実験に参加しました。脳波を調べる先生が集まってきて、視力4.0のコンゴのサッカー選手に能力テストを受けさせる。すると、たちまち彼の血圧が高くなり、脈拍が上がるなどの異常が身体に出ました。その状況になり、私がその子の視力を『0.4にさせましょう』と、0.4しか見えないレンズをかけさせた。すると、激変するんです。身体に異常が出てこないんです。眼にかかるストレスがなくなったからです」
「つまり大事なのは、いかに身体が楽で、脳が働きやすい眼であるか。スポーツなら、早く反応できるかが大事なんです。“いい眼”とは、視力表などで数値化できるものではないのです」

スポーツに必要な眼の使い方

ストレスを知らず知らずのうちに抱え、パフォーマンスに影響を与えている選手が少なくない。
田村氏のもとを訪れて不調を訴える選手のほとんどが、視力は良いけれども、身体的に問題を抱えている症例ばかりだという。
「先日、イップス(投球障害)になったアマチュアの野球選手が来られました。眼を動かす筋肉に問題があって、2年間イップスで苦しんで短い距離を投げられなかった。それがうちのレンズを使って眼の中の筋肉の使い方を変えてあげると、一度に肩の凝りがとれて、キャッチボールをさせたら短い距離を投げることができた。イップスが治ったんです」
キツネにつままれたような話だが、このような症例はアマチュア選手だけでなく、プロにも多くいて、田村氏は救ってきたのだ。
(撮影:氏原英明)
何が問題かというと、選手の眼の使い方にあるのだという。
「一生懸命に集中しようと思って、文字を読むときのような見方をしてしまっているのです。ほとんどの選手がその傾向にあります。つまり、捉える対象を見すぎてしまっているのです。視力の良い・悪いはハードの問題で、眼をいかに使うかが重要です」
「日常的に文字を読んだり、書いたり、仕事をしているときの眼の使い方をしていては、スポーツをする際の眼としては高いレベルに到達できません。動物が獲物を狙うような見方でないといけない」
「たとえば新聞を広げて、紙面に書かれているものが模様だと考える場合と、文字の意味を読みとろうとする場合では見方が変わりますよね。文字を読みとろうとすれば、集中力を高めて、頭が働く見方になる。ところがスポーツをするときにそういう見方をすると、反応が遅れてしまうのです」

眼と意識と身体のつなぎ方

野球の練習の中に、ボールに文字を書いて、それを読みとってバッティング練習をするという方法がある。
これはスポーツビジョントレーニングの一つとして取り入れられているものだが、田村氏からいわせれば、これでは眼の本質を理解できていないのと同じだという。
なぜならプレーする際、文字を処理するときの眼の使い方をしてしまえば、その時点で身体の動きが止まってしまうからである。
田村氏はいう。
「文字を読もうという見方は、脳の“意識”まで上っているわけです。意識を通過した見方では、身体の反応が遅くなる。バッターはどれだけ視力が良くても、身体が動かなかったら意味がないでしょう? 文字を読もうという見方をして、バッターボックスでじっとボールを見るだけならできますが、その見方で振りにいくとボールが見えなくなる。つまり、眼と身体のつなぎ方が大事なのです」
「ミスをしたり、調子が悪くなったりすればするほど、『もっとしっかり見なくては』という見方になります。つまり、間違った集中を始めてしまうんです。そうではなく、身体に対して情報を入れるという眼の使い方、見方にならないといけない。多くの選手は、眼の使い方が身体の動きを変えるとは思っていないのです」
イチローや山田の視力がそう良くないのに、高いパフォーマンスを発揮できるのは、眼の使い方、見方、「眼と意識と身体のつなぎ方」を熟知しているからだ。
視力を基にした「眼」の価値判断が、少し間違った方向に進んでいるといえるのかもしれない。それについては、もう少し詳細な眼の働きが関係している。次回で触れたい。
(写真:Chip Litherland/MLB Photos via Getty images)
*続きは明日掲載します。