【徐友漁】中国の改革派学者は言う。「希望は消えた。何を言ってもムダ」

2016/11/16

文革から50年

2016年は中国にとって大きな節目の年だった。広大な中国の大地で、未曽有の破壊をもたらした「文化大革命」からちょうど半世紀経つ。
しかし、中国はその文革を総括しないどころか、毛沢東への崇拝が復活する動きを見せるなど、大衆社会では文革の礼賛、政治的には文革的手法への逆行という動きが広がっている。
歴史問題で日本を常に批判する中国もまた、歴史に対する清算をおろそかにしていると受けとめられても仕方がない有り様だ。
そんな中国の文革認識をかねてから厳しく批判し、国内で拘束された経験もある中国きっての改革派学者・徐友漁氏のインタビューを3回にわたってお届けする。
文革に「紅衛兵」として若き日に参加したこともある徐氏は、先日、日本でのシンポジウムに参加するために東京に立ち寄った。
雨の降る神田で筆者と2時間にわたって語り合い、その後、神田の老舗のうなぎ屋に場所を移してからも続いた取材で、その熱い思いがあふれ続けた。
中国の言論空間は、改革開放が始まった1980年代よりも90年代が悪くなり、2000年以降はさらに悪くなり、2012年に習近平氏が最高指導者になってからはネット規制や知識人への弾圧が深刻化し、状況は加速度的に悪化している。
その中で数少ない仲間たちとともに民主化や言論の自由、文革の再評価のために奮闘してきたのが徐氏だった。
徐友漁氏
1947年成都生まれ。中国の最高研究機関である中国社会科学院で研究員を務め、1990年代から活発に政治問題について発言してきた中国を代表する「公共知識人」の一人でもある。昨年、北京を離れて米ニュースクール大学の客員研究院になった。2014年度のオロフ・パルメ人権賞受賞。著書多数。邦訳は『文化大革命の遺制と闘う』(共著)などがある。

経済改革という一本の脚に

──中国の言論状況は、はっきり言えば、この30年間、年を追うごとに、どんどん悪くなっているのではないでしょうか。
 私は自らの身をもって、そのことを体験してきました。私自身の対外的な言論からもそのことが言えます。
1990年代は私がさまざまな場で最も活発に発言した時代でした。そして、社会に多くの反響を呼びました。
しかし次第に発言の機会が少なくなりました。言論空間は、急速に縮小していると実感しています。
──私たち日本人は、1980年代に動き出した中国の改革開放、そして、中国経済の発展に共感を覚えて、中国社会がますます開放的になり、ますます言論も自由になる、民主化していくと希望を抱きました。そのスピードは遅いかもしれない。しかし、きっとそれは起きる。そう信じていたのです。しかし、ここ10年の変化をみれば、それは違っていたようです。
1980年代、90年代の言論空間はいまよりは広かったでしょう。
ただ、問題の本質は変わっていません。野嶋さんの指摘する「希望」には1つの仮定があります。
以前は、中国共産党指導部のなかにも、鄧小平のように「経済が自由化していけば、政治も段階的に自由化する」と考える人がいました。
中国の公式な表現を借りれば「経済体制の改革には、政治体制の改革を伴わなくてはならない」です。鄧小平は一時期、本気でそう考えていたと私は思います。中国は政治と経済、両方の改革という2本の脚で歩いていくはずでした。
しかし、結果的には経済改革という1本の脚だけになりました。

発言の機会はほとんどゼロ

──1989年6月4日に起きた、学生たちを軍隊が鎮圧して多数の死者を出したとされる天安門事件が分水嶺だったのでしょうか。政治改革が、共産党統治の否定につながるという認識が広がり、それ以後、中国政治は基本的に保守派の天下になっていきます。
そう考えても間違いはないでしょう。
天安門事件の前は、我々はかなり楽観的に将来のことを考えていましたし、それにはそれなりに合理性がありました。1980年代から私は政治文化の舞台で発言を始めましたが、かなり社会に影響を与えました。
80年代ですらこれだけできたのだから、90年代はきっとさらに自由になると期待して当たり前です。
当時は、言論も、完全とは言えないまでも、かなり開放された状況で自由な部分がありました。改革開放に伴って政治も次第に緩やかに開放されていったのです。
天安門事件から27年が経過。この事件が中国民主化の大きな分かれ目となった
しかし、天安門事件によってこの状況は中断されてしまった。
政権内の改革派もいなくなりました。政治改革は「じっくり時間をかけて」となり、後は誰もそのことに手をつけなくなったのです。天安門事件の弾圧がなければ、もしかすると、経済改革から政治改革へのプロセスは続いた可能性があります。
──いま徐さんが中国で言論を発表するチャンスはあるのでしょうか。
ほとんどゼロです。
1990年代、あるいは2000年以降も私の発言のチャンスは常にありました。メディアの取材でも講演でも対応できないぐらい大変忙しかった。
しかし、後になって政治情勢が厳しくなり、発言の機会はどんどん減っていきました。いまはほぼゼロです。
そして、自分もあまり発言に興味を持てなくなった。何を言ってもムダという気持ちです。なぜなら、政治体制の改革が、経済体制の改革に伴うべきだという考え方には、もはや何の希望もないからです。
人によっては私を「異見分子(体制と異なる意見を持った人物)」と分類していますが、私は自分が体制外の人物だとは思いません。
体制内での発言としては、経済改革のあとに政治改革が必要だと訴えることですが、これが完全に希望がなくなった後では、語る気力もなくなりました。加えて、語る場がなくなったことも大きい。

恐怖の感情

──アメリカに渡ったことも、それが原因でしょうか。
私は西洋の哲学を研究していた関係で、常に海外に出かけて、外部との接触を重ねてきました。
外部との接触は外部世界の理解のためにとても重要です。この点が中国のほかの研究者とは違うところです。機会があれば、海外からの招きには常に応じるようにしてきました。
今回、米国の大学が私を招いてくれる。だから行くことにしました。
ただ国内で発言のチャンスが少ないことも関係しています。何も語れないなら、国内でぼうっとすごしていても仕方ない。そんな複合した理由で米国に渡りました。
──2014年の天安門事件25周年に、事件の犠牲者を追悼する小さな集会に参加した徐さんは仲間たちと共に当局に連行され、徐さんご自身も1カ月にわたって身柄を拘束されました。あの経験はご自身にどんな影響を及ぼしましたか。
そのことについては、政治的にみれば、私にとって大きな衝撃とは言えません。
なぜなら、私は子供のころから「天下為公」という考え方があり、私個人の境遇を深くは意識しないからです。
自分自身も文化大革命で大変な経験もしました。しかし、個人の幸不幸で全体の情勢を判断するのは誤りです。
2014年に起きたことは、私の中国社会への判断に決定的な影響を及ぼしてはいません。しかしながら、私の個人的な経験からすれば、これは1つの大きな出来事です。誰もがこのような経験をすることはないからです。
実際のところ、拘束には何の意義もないもので、私の罪名は「寻衅滋事(騒動挑発)罪でしたが、一教授にすぎない私が騒動挑発? あり得ません。まったく下らないもので、何の実質的な中身もないものです。
──このように中国政府が知識分子に圧力をかけて黙らせようとするのは、一つの明確な政治路線なのでしょうか。
それは言うまでもありません。当局がそんな考えを持っているだけではなく、圧力は極めて大きいものになっています。
私の感覚でいえば、一種の恐怖です。いつでも、あなたが何を語ったのが違法なのかが分からないまま、人間的な常識や法律的な基準に照らせば何の問題もないにもかかわらず、重大な事件になってしまうのです。いつでも捕まって牢屋に入れられてしまいます。完全に法律に違反することはしていないのに、です。
ですから、私はこの恐怖の感情は最も重要だと思います。私は何も間違ったことも語っておらず、間違ったこともしていないのに、自分の安全が保障されない。これは本当に大変な問題です。

いつ捕まるかわからない

──以前は「ここを越えたらまずい」というラインがあったような気がしますが、いまはそういうラインがはっきりしないし、状況に応じてがらりと変わりますね。
そんなラインはもはや存在しません。私は公共知識分子(社会的に影響を及ぼす知識人)として、何かを語り、何かをすることで、社会の進歩につなげる役割を負っています。
しかし、私には、温和で平静な方法でそれを行うという原則があります。ある規定や法律が理屈に合わないものだとしても、私はしばらくはそのルールに従うのもやむを得ないと考えます。
私の言論や行動については、常に牢屋に入れられないようセルフコントロールを行ってきたつもりでした。
いまはこうしたラインが存在しないのです。死人でもない限り、いつ何によって捕まるかわからない。これは、あなたがスーパーマーケットで牛乳を購入したところ、「それは買ってはいけない牛乳だ」と言われ、牛乳を買ったことで警察に捕まってしまうようなものです。
そして、あなたは、あなたがまったく思いもつかないような罪名を与えられるのです。私を含めて多くの人の境遇はこのようなものです。
この状況下で、「安全」とそうではないことの境界線がすでに存在しません。これが最大の問題です。
ですから、すべての人は安全や未来について予想ができない状況に置かれている。これは本当に恐ろしいことです。
──習近平指導部の言論封殺の背後には、政権の脅威になる見方を排除し、共産党による一党独裁を永遠に維持したい、という狙いがあるのでしょうか。
実際のところ、分からないことばかりです。
共産党が一党独裁を継続する決意であることは確かですが、たとえ一党独裁を続けたいとしても、彼らがやっている多くのことは無関係です。
目的を達成するためといいながら、必要とは思えないことをやっている。捕まえなくてもいい人を大勢、捕まえています。彼らを捕まえなくても一党独裁には何の影響も与えません。
人によっては公開の場で共産党への批判の声すら上げていないのです。人によってはまったく共産党の統治に反対していないのです。単に他人の問題に巻き込まれた形で捕まってしまう。いまの中国の問題はまさにこの点にあります。
つまり、誰が正しいかどうかではなく、現在の共産党は、やらなくてもいい悪事までやってしまっているのです。
あなたが自分の利益を守ろうとするとき、あなたの利益を損なおうとする存在が普通はあります。何をするにしても、理由は必要なのです。
しかし、いまはその理由すらなく多くの人を捕まえています。理性的ではありません。非理知的で、不健全な状況に我々はぶちあたっているのです。
*中編に続く
(写真:大隅智洋)