「親中」「親日」でドゥテルテを論じる意味はない
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この記事の著者野嶋さんとは10年以上のつきあいですが、この課題については以前からなんどか議論をしており、ベースは共感しています。私は「親日・親中二元論」と名付けています。
「親日・親中二元論」はとても危険で生産性のない議論です。このような見方は外国メディアはほとんどしていません。たまに日本に帰り、国際ニュースをテレビや新聞でみると、ほとんどがこの「親日・親中二元論」。大手メディアですらそうです。
私も下記の記事に自分の考えを書きました。
・【改訂版】ざっくりASEAN
第1回「日・ASEAN関係、企業進出から外交まで緊密化」
https://newspicks.com/news/1850165
また、無料でお読みいただける下記の記事にはそのさわりだけ書いてあります。
「【改訂版】日本がASEANに注目すべき理由」
https://newspicks.com/news/1850031
厳しいことを言えば、親日・親中で論じるメディアは、日本の国際認識のレベルを貶めると断じてしまいたいぐらいです。
ざっくりASEANのオリジナルは昨年8月の配信。その時点でも下記を配信しました。
「親日にあぐらをかくことなかれ。ASEANを理解するための2つの視点」
https://newspicks.com/news/1132516
ただ、むしろ、この1年間で「親日・親中二元論」は強まっています。中国は巨大な現実であり、中国といかに付き合うか、否が応でも何らかのアプローチをする必要がある、抗いがたい国際政治の現実。それを、日本国内では好き嫌いでメディアが論じがち。とくに、カギ括弧つき「有識者」「文化人」は、自分たちが如何に害悪をまき散らしているのかが分かっていない。このような感情的な見方で国際政治をみれば、百害あって一利無し。
国際政治の基本は中学校ぐらいから学ぶ必要がありますが、残念ながら現代史は学校では教えてくれません。大学でも自分で科目をとらない限りは教わらない(とってもイデオロギー偏向のある教員も)。
私は、国際政治の素養が学校教育のなかでまともに教えられていない現状に強い危惧を感じています。穿った見方かもしれませんが、習近平氏と会う時はガムを噛みながらで態度も悪く、一方で日本の要人と会う時はとても真摯な態度。何となく「経済援助が欲しいので、中国には仕方ないから行った」という風に見て取れました。ある意味、分かりやすい方ですね。
ドゥテルテ大統領は、ある意味政治家として持つべき資質と言うか戦術能力がかなり高い人物と見る。これだけ親日家を演じられると、資金援助も気持ちよく出してしまう。自分の感情よりも自国に最も有利な行動が自然に出ている様だ。米国、中国、日本といった世界の大国を相手にしてもまったく引けを取らない。