トップアスリートも活用する「心」のトレーニング術

2016/10/26
スポーツで成功を収めるうえで、不可欠なのは「心技体」といわれる。
アスリートが練習を重ねて「技」と「体」を磨いていく一方、「心」のトレーニングはおろそかにされがちだ。
極限状態の本番でモノをいうのは経験や根性、修羅場をくぐり抜けてきた数などと考えられ、「心」を意図的に磨こうとする時間は、「技」や「体」を鍛えるより圧倒的に少ない。
だが、意識的に「心」を磨いたことで、大きくステップアップしたトップアスリートがテニス界にいる。2016年のウィンブルドン選手権でベスト16入りし、日本女子選手のトップを行く土居美咲だ。
「フィジカルを鍛えるのと同様、メンタルを強くする方法があります」
土居が師事する、国際メンタルコーチング協会の安宮仁美理事はそう語る。
精神面に弱点のあった土居は2014年から安宮理事とともにメンタルをコントロールする方法を学び、本番で持てる実力を発揮できる「心」を手に入れた。その成果が今年、ウィンブルドン・ベスト16という結果になって表れた。
土居美咲は10月10日付の世界ランキングで30位につけている

未来へのイメージが重要

メンタルが重要なのはアスリートに限った話ではない。ビジネスパーソンにとっても商談やプレゼンという重要な勝負の場はもちろん、普段のモチベーションコントロールでも必要になる。
実際、フェンシングの日本代表やプロゴルファーを指導してきた国際メンタルコーチング協会の安宮理事や太田祐也代表は、企業研修でメンタル術を教えている(参考記事はこちら)。
オリンピックやワールドカップという大舞台で戦うアスリートのメンタルコントロール方法は、一般人にも応用可能なのだ。
「重要なのは、未来へのイメージを持つことです。未来へのイメージがないと、過去、現在、経験だけで意思決定しがちなので、同じ相手に負け続けることになります」
10月某日、国際メンタルコーチング協会による「トップアスリートのメンタルコーチに学ぶ メンタルコーチング特別セミナー」が行われた。そこで実践された方法について、いくつか紹介したい。

脳が体の動きに与える影響

冒頭で行われたのは、イメージがいかに体の動きに影響を及ぼすかについてだった。
まず、立った状態で足を肩幅に開き、腕を前に伸ばして人差し指で前方を指し、体を気持ちのいい程度に時計の3時方向へ回転させてほしい。ポイントは、無理をせず、気持ちのいい程度を超えないことだ。
次に、架空の「指回し選手権」に出場しているとイメージして同じように回転する。成績を伸ばしたいと、強く願いながら行うのがポイントだ。
その際、心がけたい点が3つある。
(1) 知覚的想像
先ほどより20センチ多く回転することができたら、そこには何が見えるだろうか。事前にその場所を見て、何があるかを把握しておく。単に指を動かそうと考えるより、具体的な目標物を見ておくことで、脳の回路が働き出すからだ。
(2)音をつけて想像
先ほどより20センチ多く回転することができたら、会場からどんな音や声が聞こえるだろうか。「すごい」という自分の独り言か。あるいは、観客の歓声がイメージされるかもしれない。音をつけることで、イメージがリアルなものになっていく。
(3)体の感覚を想像
先ほどより20センチ多く回転することができたら、体にはどんな感覚があるだろうか。「痛い」などマイナスのイメージではなく、柔軟性や気持ちいいなど、プラスの感情を持つことがポイントだ。
参加者がこの3つをふまえて再び行うと、実際に記録が伸び、「おおっ」と声を上げる者が数多くいた。
「意思や努力だけでなく、脳の構造に基づいたイメージを浮かべると、成績が伸びることがあります」と太田代表はいう。

問題志向と解決志向

大きな失敗や小さなマイナスの連続、あるいは体調不良などがきっかけとなり、トップアスリートもビジネスパーソンも急に自信を失う場合がある。
そんな自分自身、あるいは同僚や部下を救うために効果的なのが、「問題志向と解決志向」の使い分けだ。
まず、以下の写真の円を見てほしい。どこに目が行くだろうか。
おそらく、輪の欠けている部分に目が行くだろう。
「脳の仕組みとして、欠けているところに目が行くものです」
そうした脳の傾向に加え、日本人としてのDNAもあると安宮理事はいう。
「日本人は『どこが悪いか』を見つけて、それを改良することで成長してきた文化を持っています」
たとえば、海外の製品を国内向けにカスタマイズして発展させることを、日本人は得意としている。
「うまくいかない原因として、何が悪いのか」「この原因をどうすればなくすことができるか」
こうした思考法は、物事を改良する際に有効だ。
ただ、他者に対して「もっとこうすればいいのに」と考えるのは、コミュニケーションの中でマイナスの方向に働く場合もある。
そうした「問題志向」の対にあるのが、「解決志向」だ。
問題を深く分析するのではなく、「(自分や組織は)どうなりたいのか」「何を手に入れたいのか」と未来のイメージをつくり、そこから目の前の具体的な行動を変化させるように導いていく。
自信を回復するうえでポイントになるのは、「他者に認められること」と「自分が結果を出すこと」の2つを結びつけて考えることだ。
他者をコーチングする立場にある人は、状況に応じ、問題志向と解決志向のどちらが適切か、見極めて使い分けることが重要だ。

OKメッセージで目標達成へ

最後に、目標を達成するための方法だ。
まず、人は目標を持たないと、モチベーションが上がらないことが前提にある。一方、遠すぎる目標の場合、やる気を持続させるのが難しい。
そこで大きな目標を達成するためには、いま自分はどの地点にいるかを把握し、一つずつ目の前の目標を設定して乗り越えていくことがポイントになる。
実際には、2人1組で行うのが効果的だ。実践した感想からいうと、他者の前で目標を口にすると、行動への責任感が生まれるからだ。
一方、聞く側のポイントは、ダメ出しをするのではなく、できていることを聞きながら「OK」を出していく。他者に肯定されると、目標に近づこうというやる気が湧いてくる。
ここではコーチングする側が出す質問と、効果をわかりやすくするために筆者の実例を紹介する。
コーチングの相手から繰り返されたのが、「1日1歩でも前に進みましょう」という点だ。1日1歩なら、誰にでも実行できる。
もともと、本を出すことはポジティブな目標だった。それが日々の業務に忙殺され、企画書づくりを後回しするうちに、いつしかネガティブなイメージになっていた。
ところが他者に話しながら数値化し、「1日1歩」と考えたことで、目標がポジティブなものであることを改めて認識できた。
そこで翌日から企画書をつくり、1週間で営業開始。いい編集者との出会いもあり、現在、会議にかけてもらっている段階だ。

毎日少しだけでも上達する

「昨日の自分より、少しだけでも上達するという気持ちで毎日やってほしい」
NHKの番組「奇跡のレッスン」で千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン元監督が、なかなか試合に勝てない小学5、6年生にかけていた言葉だ。
少しだけでも上達するという気持ちは、アスリートだけでなく、一般人にも重要だ。
「少しだけでも」という気持ちがハードルを下げ、なおかつ少しだけでも前に進み続けていると、気づけば大きな歩みになっている。
このように簡単な意識づけ次第で、メンタルはコントロールできるようになるものだ。
そう考えると、「心」のトレーニングはアスリートだけでなく、一般人にとっても非常に効果的である。
(バナー写真:アフロ、文中写真:中島大輔)