母の願いから生まれた。NY公立小学校、日英2カ国語同時教育

2016/10/16

昭恵夫人が視察

今年9月の国連総会は、17日夜に発生したマンハッタンでの爆破事件が大きな話題になりましたが、この事件の容疑者が拘束される数時間前の19日朝、安倍首相の夫人、昭恵さんが向かったのは、ブルックリン地区にある日英2カ国語同時教育を行う公立小学校でした。
P.S.147 Isaac Remsen(※P.S.はPublic Schoolの略))という名前のその小学校は、昨年9月に、ニューヨーク市内で初めて日本語と英語の2カ国語同時教育(デュアルランゲージプログラム、以下DLP)を導入しました。
幼稚園にあたるキンダーガーデン(5歳児)と小学1年生に、両言語の習得を目指し、教科によって日本語と英語とを分けて授業を行っています。
現地新聞の報道によると、昭恵夫人は、幼稚園と小学1年生の授業を参観し、児童たちが「きらきら星」を英語と日本語で歌うのを鑑賞されたそうです。
また、国際交流基金からの補助金3万ドル(約310万円)の小切手と日本語の教材を贈ったと報じられています。
ニューヨークだけではなく、海外で暮らす日本人にとって、子育てにおける大きな悩みの1つは日本語教育です。子どもを現地校に通わせた場合、授業も友達との会話も英語になるため、日本語は家族としか使わない状況になります。
英語が上手になるのに反して、日本語の語彙力は落ちていき、発音が上手にできなくなることもあります。たとえ両親が日本人でも、家で英語を使うという子どもも少なくありません。
そのため、土曜日に日本語の補習校に通い、しっかりダブルスクールするのが当たり前。現地校と補習校の宿題をするために、毎日3時間かけているという子どももいます。このような環境の中で、日本語を公立校で教えてくれるというのは、時間的にも経済的にもありがたいことです。
しかしながら、アメリカ人にとって日本語を幼稚園や小学校から学ぶメリットはあるのでしょうか?
そんな疑問から、この日英DLPを調べてみると、プログラム発足のきっかけを作ったのは、日本人ではなく、中国人ママのある“不満”でした。
また、現在NYの公立小学校では、様々な言語のDLPが増えているといいます。
そんなNYのDLP事情について、2回にわたってリポートします。

NYで増えるバイリンガル教育

まずは、NYでのDLP教育事情についてです。
様々な人種が集まり暮らすNYでは、家庭では英語以外を話す子どもが、半数に上ります。以前、ニューヨーク公共図書館が教育支援として、英語を母国語としない子どもたちに、読み書きなどを教えていることをご紹介しました。(詳しくは、「教育格差を埋められるか? 進化するNY公共図書館」をご参照ください)
NY市内の小中高では、こうした英語を母国語としない児童・生徒(English Language Learner、以下ELL)を支援するため、多くの学校でバイリンガルプログラムを提供し、この内容は大きく2つに分かれます。
1つ目は、ELLの子どもに対して、まず彼らの第1言語で授業を行い、その後、段階的に英語のみの授業に移行していく「トランスレーショナル・バイリンガル教育」。
そして2つ目が、英語が母国語の子どもも含めて、2カ国語で授業を行う「デュアルランゲージ教育(DLP)」です。
NY市内の小中高の合計約1600校のうち、約350校でバイリンガルプログラムを行っており、その内半数以上の約180校でDLPを導入しています(2015年9月9日時点)。
ニューヨーク市教育局から発表された資料によると、今年9月の新学期から、バイリンガルプログラムを、新たに38校(小学校27校の他、中学校7校、高校4校)約1200人の児童・生徒に対して提供しますが、この内29校がDLPを取り入れるそうです。
言語は、スペイン語や中国語の他、フランス語、ハイチ・クレオール語、アラビア語、ポーランド語と多岐にわたり、同プログラム拡大にかかる教材費や教師のトレーニング資金などのために、市は98万ドル(約1億円)の助成金を充てる予定です。
DLPの重要性に関して、ビル・デブラシオ市長は「ニューヨークの強さは、私たちの驚異的なダイバーシティからきています。バイリンガルプログラムによって新しい言語や文化を学ぶことは、児童や家族だけではなく、市全体の繁栄にもつながるのです」と述べています。
一昨年には、教育局にバイリンガルプログラム促進のための部門を新設するほど力を入れていますが、英語を母国語とする児童に、小学生から第2言語を学ぶことのメリットはあるのでしょうか? 実際にDLPを実施している学校の先生に話を聞いてみました。

未来の指導者、他文化の理解必要

10月1日、PTAの保護者や教員に対し、教育プログラムや製品、募金集めのノウハウなどの情報交換を目的に、NY市の約170校が参加する「NYC PTA Expo 2016」に参加しました。
今年で3回目となるこの万博には、前出の日英DLPを提供するP.S.147の他、フランス語やスペイン語のDLPを導入している小学校もブースを出展しています。15ドル程度の入場料を払えば誰でも参加でき、PTAの保護者や教員に加え、来年以降の入学に備えた保護者が各学校の説明や過去のPTA指導者による講演に、熱心に耳を傾けていました。
今年で3回目となる「NYC PTA Expo 2016」。教育プログラムや製品、募金集めのノウハウなど、PTA保護者や教員の情報交換の場となっている。
DLPについてまずお話を聞いたのは、今年から小学1年生に対して、中国語と英語のDLPを提供するP.S.250の先生方です。
このブルックリン・ウィリアムズバーグ周辺では初めての中国語DLPとあって、英語が母国語の親御さんからの関心も高いそうです。その理由を聞いてみました。
「今は世界経済で競争していかなければならない時代です。だから、児童たちは、少なくとも2カ国語は話せないといけないでしょう。たとえ、英語がネイティブの子どもだとしても必要だと思います。幼いころから違う言語を学べば、吸収も早い。
未来のリーダーを目指す上でも、他の言語や文化を知ることが不可欠です。
大統領だって、政治家だって、世界をみて、そして自国のことを考えています。あらゆることが世界と繋がっていますよね? もはや一国だけのことを考えて、孤立することはできません」
今年から中国語のデュアルランゲージプログラムを開始したP.S.250の先生方。中国語、スペイン語のバイリンガルの先生がいる国際色豊かな小学校。
英語は世界共通言語。英語を話せれば、他の国の人ともコミュニケーションが取れると考えていましたが、言葉と同じくらい“文化”の違いを理解することも、コミュニケーションでは重要なこと。それを、幼稚園や小学校から学べるのが、DLPの魅力の1つなのでしょう。

日本語になったきっかけは偶然

次に日英DLPを提供するP.S.147のブースにお伺いしました。
この小学校が日本語のDLPを導入したのは、母親グループが働きかけたことが大きな要因だといいます。
最初にDLPのアイデアを出したのは、NYで学校の先生をしていた中国人のラニー・チュークさん。ラニーさんは、当時2歳の子どもに、2カ国語教育を受けさせたいと考えましたが、住んでいる学区内にありませんでした。そこで、日本人のママ友に一緒に作らないかと話を持ち掛けたそうです。
初期のメンバーは、2人の他に、韓国人、台湾人、スイス人のお母さんの5人。2014年1月ごろから、日本語DLPを公立小学校に導入しようと活動を始めたそうです。
現在は、1人を残して新しいメンバーになっていますが、運営の中心になっているのはやはりお母さんたち。このグループの中心メンバーである、横堀美香さんに、どうして日本語が選ばれたのか聞いてみました。
「初期メンバーの1人、日本人のお母さんは、日本語でなくても良かったと言っています。どの言葉でも、どの文化でもいいので、自分たちの住むコミュニティーに何か違った文化を伝えたいという気持ちがあったそうです。
ブルックリンであっても、低所得者が多いエリアもあり、親は2つ仕事を掛け持ち、子どもに関わる時間が少ない家庭もあります。今のP.S.147の小学校周辺にもそういう家庭が多い。そういう子どもたちは、他文化に触れあう機会が少ないのが現状です。
自分の子どもに日本語を学ばせるということではなく、コミュニティーに日本文化を伝えたい、これが最初のきっかけだったそうです」
他にも、2000年代からウィリアムズバーグ周辺に日本人が多く住み始め、コミュニティーができていたので、日本語のDLPへの要望が大きかったのも理由の1つと言います。
NY市で唯一日本語と英語のDLPを提供するP.S.147小学校。WDLP(ウィリアムズバーグ・デュアルランゲージプログラム)のメンバー、横堀美香さん(左から2番目)。学校でのプログラムサポートや、日本人コミュニティーへの情報提供などを行っている。

課題は日英バイリンガル教員採用

日本語のDLP推進活動を始めてから約1年半で公立小学校に導入され、順風満帆なスタートを切りましたが、課題も多いようです。
1つは、児童の半数以上が日本人の子どもではないことから、授業についていけない英語ネイティブの子どものサポートです。
他のDLPの学校でも同様の課題があり、それを解決するのは学校の授業だけでは不十分だといいます。たとえば、フランス語のDLPを行っている学校では、有志のフランス人のお母さんが、自分の子ども以外にも、同じクラスの子どもたちを家に集めて、フランス語を教えているそうです。横堀さんも、P.S.147の児童たちに、学校以外で日本語を学べる機会を与えたいと考えているそうです。
そしてもう1つ、大きな課題は日英バイリンガルの教師採用です。NY市民権やグリーンカード保持者で、教員免許を持っているという条件に加え、さらに日本語を知らない子どもに授業を行う難しさもあります。今後、クラスを増やす上でも、教師不足が課題となっているそうです。
最後に、今後どのように日本語のDLPを広げていきたいか聞いてみました。
「近隣のDLPを提供する学校との共同プログラムなども考えていますが、まだまだ立ち上げたばかり。保護者のお母さんの理解を得ながら、ゆっくりと着実に進んでいく必要があると思います。
また、このプログラムを継続させるよう、周囲からの高い評価も得て、定着していきたいです。そして、将来的には、子どもたちが、日本とアメリカを行き来するような、交換留学ができるといいですね」(横堀さん)
この日本語DLPを推進するお母さん方は、普段は会社勤めのワーキングママ。仕事の忙しい合間をぬって、この日本語DLPプログラムを継続させようと活動しています。NYのコミュニティーに根付き、そこに住む未来を担う子どもたちのために、日本語と日本の文化を伝えたい、そんな母の熱い思いが伝わってきました。
次回は、実際にP.S.147小学校を訪問し、どのような日本語の授業が行われているかリポートしたいと思います。
※P.S.147では、日本語DLPの教員、教員補佐、ボランティアを募集しています。ご興味のある方は、下記のホームページをご覧ください。