【大室正志】電通は“脱げるエリート”養成法を改めるべきだ

2016/10/14
昨年12月25日、大手広告会社・電通に勤務していた高橋まつりさん(当時24歳)が、自ら命を絶った。それから9カ月後経った9月30日、遺族が申請していた労災認定が下りた。彼女の自殺は防げなかったのか? 産業医でありNewsPicksプロピッカーの大室正志氏が問題の本質について緊急寄稿する。
防げた自殺
痛ましい自殺が起きてしまいました。産業医にとって「過労自殺」は非常に重いテーマで、1000字では言葉足らずになってしまうかもしれないとの思いから、今まであえてコメントをせずにいました。
この仕事をしていると、「自殺」に直面する機会はそれなりにあります。正直1度や2度ではありませんし、「未遂」も含めるとかなりの数になってしまいます。
その「内訳」に触れると、「会社として」や「産業医として」のサポートには限界があると感じるのも事実です。
うつ病の方には、環境要因より遺伝的要因などが強く影響している方も一定数いらっしゃいます。
また、難病による病苦や家庭トラブル、ギャンブルの借金苦など様々な要因を抱えている方もいるなかで、「会社ができるサポート」は限定的です。
しかし限定的であるがゆえに、「防げる自殺」は防ぎたい――。そんな思いを抱いています。
今回、私が非常に残念でならないのが、この自殺が「防げた自殺」であると考えるからです。
会社は社員に対し、安全や健康に配慮する安全配慮義務を負っています。
もともとは物理的な「けがや事故」を防ぐ概念だったこの義務の適応範囲が、「心身の健康」にまで拡大されたきっかけとなったが、ほかならぬ「電通事件」です。
1991年に、慢性的な長時間労働のなか、うつ病に罹患し自殺した24歳の電通社員に対し、会社側の責任を認め多額の賠償金を命じる判決が下されました。
皮肉にもこの判例が日本の会社の健康管理の要求レベルを上げるきっかけにもなるのですが、その「同じ会社」で、「同じ事件」が起きてしまったのは重ね重ね残念でなりません。
また、この「防げた自殺」が2人とも若手社員であることも私には単なる偶然とは思えませんでした。
本稿では今回の過労自殺について、個人と組織両面から論じていきたいと思います。
大室正志(おおむろ・まさし)
産業医
2005年産業医科大学医学部医学科卒業。専門は産業医学実務。ジョンソン・エンド・ジョンソン統括産業医を経て現在は同友会春日クリニック 産業保健部門 産業医。メンタルヘルス対策、インフルエンザ対策、放射線管理など企業における健康リスク低減に従事
睡眠不足は判断力を奪う
「死ぬくらいなら辞めたら良かったのに……」
よく聞かれる意見です。しかし、これは「正常な判断能力を有している」ことが前提です。
報道を見る限り彼女はうつ病に罹患していた可能性が高いと思われます。うつ病罹患時には正常な判断能力が失われますので「辞めればいいのに」の助言は無力です。
また、うつ病に罹患しなくとも、人の冷静な判断力を奪うのは「意外に簡単」です。
簡単に人の判断能力を奪う方法、それは「寝かさないこと」。
一部の新興宗教や自己啓発セミナーで、「寝かさない」が使われることは有名です。まず睡眠を奪い、判断能力を奪わせた状態で「教義をインストール」する。これが一連の洗脳プロセスです。
今回認定された残業は100時間超とのことですが、残されたTwitterを読む限りそれ以上の残業があったことは予想され、極度に睡眠時間が奪われていた可能性があります。
人間は睡眠が奪われると数十秒から数分程度の“細切れ(こまぎれ)寝”を始めます。この”細切れ寝”にもそれなりの効果はあり、これで「急場」はしのげます。
ショートスリーパーな方も実際はこの”細切れ寝”を活用している場合も少なくありません(芸能人だとみのもんたさんが収録中の”細切れ寝”を行うことが有名です)。
また「理不尽な要求慣れ」している体育会系の社員などは、「従いつつも上司の目を盗んで適度に休む」のが上手い。
上司側もそのような「緩急」を部下がつけることを前提で無茶な要求をする。このようなコミュニケーション・スタイルです。
これは文脈を共有する同質性の高いサークル内では有効ですが、「文脈を要求しない方」の中には文字通り受け取ってしまう方もいます。それが真面目な方ならなおさらです。
東大出身女性である彼女が、無茶な要求を真に受け、また極度の緊張の中“細切れ寝”もままならずに正常な判断力を失っていったのではないか。
私にはそのように思えます。
“脱げるエリート”養成
「電通は人が資産」
これは歴代の電通社長が共通して話す言葉です。
この資産たる「電通マン」の特徴を一言で表すなら「脱げるエリート」(注:ここでの「脱げる」とは、物理的な面だけでなく象徴的な意味合いとしての「脱げる」)。
一般的にエリートはプライドゆえに「恥を恐れる人」と思われがちです。
しかし電通マンは「脱げる」。これは「男芸者」と揶揄されることがある一方で、ある種の「畏敬」の対象になります。
これにはまずエリートを採用し、「恥ブロック」を外し、「脱げる人」にしていくプロセスが必要になります。
その時、手っ取り早いのは徹底的に自尊心を打ち砕くこと。
好意的に解釈すれば、「君の残業はムダ」というような言葉は、その上司も過去に浴びてきた言葉かもしれません。そしてそれは「恥ブロック外しプロセス」の一貫だったのかもしれません。
昭和の家族主義を今に伝える電通の社風は、現在において果たして健全なのだろうか?
そもそも私はある程度の「節度のある恥ブロック外し」には必ずしも反対ではありません。
実際、30歳前後になり、ある程度の仕事を任されるようになっても「恥ブロック」が外せずに、人に相談できず、抱え込み、体調を崩してしまった方もたくさん見てきました。
ただし、「愛のムチと体罰の境界線」は極めて曖昧なため、現在では「たとえ愛のムチでもアウト」とされているように、「恥ブロック外し」のためとはいえ、「心の体罰」ともとられるような言葉を平気で使うのはさすがに現代では「アウト」です。
ましてや、管理職に課せられた安全配慮義務の基本、①予見と②結果回避を怠った組織であればなおのことです〔具体的には「部下の不調に気づき(予見)、産業医などの専門家につなぐこと(結果回避)〕。
以前、ひきこもりの専門家である精神科医の斎藤環先生の講演会で聞いた話です。
会場から「ひきこもりは親が家に置いておくからいけない。そんな悠長な治療などしなくとも、さっさと家から出せば治るのではないですか?」という内容の質問が出ました。
その時、斎藤先生は「確かにそのようなやり方でほとんどのひきこもりの若者は、『治る』と思います。でも一定数はホームレス化したり、自殺をすることもあるでしょう。そのようなリスクのある方法を私は勧められない」、このような内容を話していたと記憶しています。
「体罰」にせよ「ひきこもりを締め出す」にせよ、「乱暴なプロセス」は時として効果的です。
しかし、「自殺リスク」のある行為はどんなに効果的であってもやはりやめるべき。私はそう考えています。
大抵の場合、それなりに「うまくいっている組織」は、自社の方法論を疑わない傾向があります。
しかし、新卒間もない若者が2人自殺しているのですから、やはり電通にはこの「乱暴な自尊心破壊」(良く言えば「恥ブロック外し」)の方法には、再考の余地があるのではないでしょうか。
「社員は家族」はフィクション
電通は「家族主義の伝統」を今に伝える会社です。
昨今、薄れつつある「年功序列」と「終身雇用」がある程度残されています。また部局の名前が第1第2といった数字ではなく、○○班、○○班など部長の名前を冠することなどは、この家族主義を端的に表していると言えます。
もちろん家族主義には良い面もたくさんあります。この「制度」が日本人の愛社精神を育んできたことは否定できない事実です。私自身の知人の電通マンも非常に部下思いの方が多い。しかし、この家族主義が、時として弊害ももたらします。
例えば、他人の女性に「女子力がない」などとは言わない人でも、姉や妹には言えるという場合はあるでしょう。正直、私にも姉や妹がいたら言ってそうなセリフです……。
このように家族主義の名のもとに、「他者への配慮」がおざなりになってしまう。そんな弊害があります。
「社員は家族」
これは昭和の多くの日本企業が採用した「非常に良くできたフィクション」です。
しかし90年代以降、多くの企業で家族主義にもほころびが目立ち、「フィクション」が露呈するようになってきました。
私はこのようなフィクションにいつまでもしがみつくことは、現在では弊害の方が多いと考えています。
「社員は家族ではなく他人」
他人であるからこそ敬意を持って接する。配慮ができる。
もはやこのような認識で部下と接した方がかえって「健康的」なのではないか。そう思います。
さあ他人からはじめよう。
この言葉を「前向きなメッセージ」にして、この先このような不幸な自殺が起きないことを願うばかりです。
(撮影:遠藤素子)