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【猪瀬×伊東】「江戸時代=暗い身分社会」は本当か

NewsPicks編集部
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  • 暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    身分社会云々は最近は教科書にも書いてあることなので、もう1つのテーマである水運について。
    実は、水運に注目すると俄然江戸という街と江戸時代の凄さが見えて来るのです。

    スプリングが発明されるまで、荷駄は凹凸や勾配に弱く、大量の物資を陸路で運ぶのは、多くの困難が伴いました。
    その為水運は、陸路より大量輸送の面で圧倒的な優位性があったわけです。

    その意味で水運を「ハイウェイ」と呼んでいるのはまさにその通りなのですが、江戸がすごいのは、それだけではなく、諸国の生活物資を調達して行き渡らせる「一般道」にあたる水路が、市街地を縦横無尽に走っていたことです。

    遠国からの菱垣廻船、樽廻船などの大型帆船はまず江戸川、隅田川、利根川などのハイウェイを通じて日本橋などの艀に到着します。
    そこで今度は道三堀、日本橋川、京橋川、神田川、八丁堀川の一般道に小型船で乗り換えて、更に川筋と呼ばれる市中の水路を通じて、江戸の隅々まで物資を行き渡らせる仕組みになっていたのです。

    江戸はそれ自体が1つの湊(港)だったのですね。(古い資料には江戸湊の地名が見られます)

    又これらの水路は、同時に大河川の氾濫や火災などの防災対策の役割も果たしていましたし、実は水道の役目も負っていたのです。
    江戸時代末期の江戸下町の水道普及率はほぼ100%で、これは世界ダントツNO1の数字だったと言われています。

    この流通の仕組みが、当時江戸が140万人と言われる世界最大の都市に成長できた理由だったわけです。

    江戸の水運が衰えたのは、明治になって物流が鉄道網に置き換えられたということもありますが、河川の堤防化で、荷下ろしに必要な河岸がなくなってしまったことが要因です。

    もう1つ、日本で水路が発達したのは陸路に比べ地震などの災害に強いということもあります。実際関東大震災の時は陸路がほとんど使用不能になり、物資の供給は海路に頼らざるを得なかったそうです。

    大地震などの災害が多い日本だからこそ、忘れられた水運にもう一度光を当てても面白かなと思いますね。


  • ビジネスコンサルタント

    ふつう、私たちのイメージでは江戸時代は身分が固定化された時代だったと想起されますが、猪瀬氏はこの捉え方に異議を呈します。伊東氏が著作で取り上げられた河村瑞軒がそうであったように、江戸時代とは、能力のある人物が活躍しやすい時代であったのだ、と。
    私たちの知らなかった、江戸時代の一側面に迫ります。
    どうぞ、ご一読ください。


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    作家、日本維新の会・参院幹事長

    皇居に天守閣をつくろうというおかしな運動が一部で盛り上がっていますが、ほんとうにやめていただきたい。江戸の歴史を否定することになります。


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