【斎藤聡】私はこうしてバルサで働くことができた

2016/10/12
オリンピック、W杯を筆頭に、スポーツは巨大なビジネスへと成長。「スポーツビジネス」という仕事は、今や、世界中で憧れの「ドリームジョブ」となっている。では、世界最先端のスポーツビジネスはどのようなものなのか。どのような仕事内容なのか。NewsPicksは、岡部恭英氏、斎藤聡氏、塚本拓也氏という国際的にスポーツビジネスの分野で活躍している3人を招いたトークセッションを大手町で実施した。セッションの内容を全5回でリポートする。

自分が好きなことを仕事にしたい

斎藤聡です。実は私は岡部さんとは大学時代からの知り合いであり、彼の変化を最もよく知る人間の一人ではないでしょうか。
私は大学卒業と同時に伊藤忠商事に入社し、その後FCバルセロナ(以下、バルサ)に行き、AFC(アジアサッカー連盟)を経て、現在は日本サッカー協会に在籍しています。
特に、皆さんが興味があるのはバルサのところだと思いますので、そのあたりを中心にお話ししたいと思います。
ここにお集まりいただいた皆さんに私が一番伝えたいのは、「自分が好きなことを仕事にしたい」ということを、どれだけ真剣に考えられるかです。
自分が好きなことを仕事にすれば、人生を楽しむことができます。
伊藤忠に勤めていたときは、なかなかその実感を得るのが難しい状況でした。
その時「自分には何ができるのか?」と考え続け、やっぱり「自分の好きなサッカーの仕事がしたい」と改めて思いました。
それまでバルセロナには行ったことはありませんでしたが、とにかく私は、ロマーリオという選手が好きでした。
サッカー好きな方ならご存じかもしれませんが、ロマーリオは天才的なプレーヤーと知られながらも同時にトラブルメーカーとしても有名でした。ただ、そんなロマーリオをバルサは迎え入れました。
そして「ロマーリオのような変わり者がバルサに入れるなら、自分も受け入れてもらえるのではないか」と思い、サッカー業界で働くのであればバルサで働きたいと考えが固まりました。
ただ、思ってるだけではどうにもならないですよね。そこで、スペインのバルセロナでMBAを取ったらなんとかなるのではないかと考えました。

どうすればバルサに入れるか

ESADE(エサデ)というビジネススクールがバルセロナにあります。調べてみたところ、ここの出身者に、サンドロ・ロッセル、フェラン・ソリアーノというバルサの役員が2人いることがわかり、この学校に行けばバルサに入る道が拓けるのではないかと考えました。
ただ、ESADEはかなりレベルの高いビジネススクールです。私はそれまでの人生で受験勉強などほぼしたことがなったのでESADEの基準に及ぶことができず、まずは「不合格」と言われました。
しかし、諦めずに何回もESADEへアプローチし「とにかく私はバルサで働きたいんだ、そのためにはESADEに入る必要がある」ということを伝え続けたところ、最終的には、その熱意を評価していただくことができ入学がかないました。本当に熱意があるとなんとかなるのかもしれません。
こうしてESADEでのバルセロナの生活が始まりました。ただ当時、バルサは全然勝てないチームで出口の見えない不調に陥っている状態でした。
一方、ライバルのレアル・マドリードはジダン、ロナウドなど世界的なスター選手が多数所属しており、とても強いチームとして定着していました。そういった背景から、バルサへの就職という私自身の希望をかなえる糸口も全く見えませんでした。
クラスメートのみんなに「どうすれば私はバルサに入れるのか」と相談しても、ほとんどの人から「スペイン語も話せないし、カタルーニャ語も話せない外国人がバルサのような歴史のあるクラブで働けるわけない」と言われてしまいました。
ただ、サポートしてくれる人はどこかにいるものです。このような時はネットワークと行動が大事だと考えました。
「一人に会ったら次を紹介してくれ。その人に会ったらまた次に紹介してくれ」ということを繰り返し、さらに履歴書もバルサへとにかく送り続けました。
ちょうどその時、バルサにはラポルタ会長が就任しました。彼はプロの経営者として、バルサの国際化やビジネスを推進していました。
当時のバルサの戦略は「世界中にファンを増やそう」ということでした。世界中でファンを増やすことでメディア露出も集客も増える。その結果、収入も増える。
その収入で優秀なプレーヤーと契約し、リーガ・エスパニョーラ、そしてチャンピオンズリーグで勝つこと。それによってまた世界中にファンが増えるはずですし、このPDCAを回し続ければバルサは必ず復活するはずです。
以上のようなことを、バルサ役員のフェラン・ソリアーノ率いる戦略チームは推進しようと考えていました。
また、彼らは世界中の国を非常に細かくリサーチをおこなっており、「日本にはポテンシャルがあるのでぜひターゲットにしよう」「そして日本人をまず1人採用しよう」という方針が立ち、結果、私が採用されたわけです。
斎藤聡(さいとう・さとし)
アメリカ・ミシガン州で育ち、慶應義塾ニューヨーク学院から慶應義塾大学に進学。卒業後に伊藤忠商事に入社し、食料関連事業を担当。退職後の2003年からスペインに留学。ESADEでMBAを取得し、FCバルセロナの国際マーケティング部でクラブの国際化に尽力。その後、史上最年少でアジアサッカー連盟のマーケティングダイレクターに就任。現在は日本サッカー協会のマーケティング部の部長代理を務める

どうやってファンを獲得するか

バルサに入ってからは何でもやりましたが、本当に楽しかったです。
まずやったこととして、スペイン以外で初めて「ソシオ」という会員制度を日本で作りました。
この「ソシオ」というシステムは、バルサのクラブ会員のことですが、他のクラブ会員と一番大きく違うのは、会長を選ぶ投票権を持っていることです。つまり非常に政治的な意味合いがあります。
最初は私も「こんなの日本で入会する人なんてなかなかいないよ」と言っていたのですが、フェラン・ソリアーノは「いや、違う、バルセロナとはステータスなんだ」「カードを持っていることによって、今まで以上に、みんな強く憧れと愛着を持ってバルサを応援してくれる」と考えました。結果、約1300人の方が登録をしてくれました。
他にもアジアツアーをプランニングしました。とにかく「日本という国で、どうすればバルサファンを獲得できるのか?」と常に考えて行動していました。
ただ、バルサのターゲットがあるときから日本から中国に変わってしまいました。
そして「もう日本人はいらない。次は中国人を雇う」と言われ、私は契約を更新してもらうことができませんでした。
それはすごく悔しかった。ただ、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。

アジアにバルサのようなチームを

私はバルサでの経験を活かして「アジアにバルサのようなチームを作りたい」と考えました。そして、次はAFCに行きました。
どうすればアジアチャンピオンズリーグ(ACL)は世界一の大会であるUEFAチャンピオンズリーグに追いつくことができるのか。そして、どうすればアジアからヨーロッパに流れているお金をアジアの中で再投資するというような(できる?)仕組みが作れるのか。私はAFC在籍時は、このような課題意識をもって仕事をしていました。
最初はACL部門でのマーケティングを担当していましたが、改革の実績が認められて34歳のときにマーケティング部門のダイレクターに任命されました。
AFCとは2009年1月から2012年12月の契約でしたので、満了後からはJFA(日本サッカー協会)に在籍しており、いまはそのマーケティング部で部長代理を務めています。
現在、私のJFAにおける仕事内容としては、1月から立ち上がった「JFA Youth & Development Programme」(JYD)があります。
これは日本サッカーの継続的な発展のために、普及や次世代選手の育成促進を目的とし、実施される施策や各大会・事業の総称になります。このプロジェクトの全体統括、マーケティング戦略策定、そしてスポンサーセールスを担当しています。
また、今は2020年の東京五輪に向けて、JFAにおけるオリンピック・プロジェクトのリーダーも担当しています。
五輪競技におけるサッカーは観客動員数も多いですし、JFAとしても力を入れています。競技団体としての規模も大きく、責任を持って他団体と協力して盛り上げていかなければいけません。
「スポーツマネジメントの世界に入るにはどうすればいいか見当がつかない」という方も多いと思います。私がバルサでの経験から学び、大事だと思うことは、周囲を巻き込んでいく力です。そのためにはとにかく自分の意思をしっかり示すこと、そして行動することです。
とはいえ、私は「とにかく海外に出ればいい」と思っているわけでもありません。実際に現地で思い通りの仕事ができるかは、自分の興味や得意分野、また時代の見極めやタイミングに大きく左右されるからです。
このあたりは、後の質疑応答でしっかりお話ししようと思います。
(構成:上田裕)