【電通・奈木れい】日本では、「社会の若者離れ」が起きている

2016/9/29

「若者の○○離れ」に対する疑問

NewsPicksのプロピッカーを務めていた奈木れいです。
この度、私が所属している電通若者研究部(ワカモン)が 『若者離れ――電通が考える未来のためのコミュニケーション術』を出版しました。
本書は、インターネットとSNSが今の若者と大人との関係を分析する上で重要なファクターであり、それが当たり前の時代になってきた背景を前提とした研究成果をまとめたものです。
書籍のタイトルともつながりますが、最近はみなさんも「若者の○○離れ」という言葉をメディアで見かける機会が多いのではないかと思います。
この状況に対して、「本当にそうなんだっけ?」「一度整理した方が良いのではないか」という思いも、きっかけの一つとしてありました。
そもそも「○○離れ」といっても、その定義が吟味されないまま使われてしまっています。実際に、若者の数が減っていることや、一人ひとりが使えるお金が低下していることから見れば、必然的にそう見えてしまうのは自然というか、当たり前です。
また、時代の変化の中で不要になっているものは、「○○離れ」して当然なものもあります。「若者のレコード離れ」というように、もはやネタになってしまっている例も見られます。

若者と大人が手を取り合うために

今回、いわゆる「若者論」の本との差別化も意識しました。これまで様々な「若者論」が世の中に出ていますが、私たちはその土俵で議論をするのではなく、「若者を通して見えてくる新しい価値観」と、そこにおける「コミュニケーション」の議論をしたいと思いました。
これまでの若者論には大きく2パターンあったと思います。それは、「大人が大人の視点から一方的に若者を見て、大人にとって分かりやすい形で解析されたもの」と「若者が、大人に向けて若者自らの主張をしているもの」のいずれかです。
ここでは、「今の若者ってわからないよね」という大人の視点と、「俺たちはまだまだこんなことができる」という若者の視点に分かれていて、両者の間に断絶があると感じていました。
ワカモンとしては、若者の新しい価値観を見つめると同時に、若者と大人がもっと手を取り合えたらいいなという想いを持っています。そこで、今回執筆をするに当たり、お互いを一方的に指摘し合う形、つまりどちらか一方の視点から展開する形はとらないと決めました。
ここには、私個人の思いも反映されています。私は平成元年生まれで、いわゆる「ゆとり世代」であったことから、大学入学時や社会人になったとき、「ゆとりだ」「平成生まれが来た」と言われていました。そこには、どうしてもネガティブな意味合いが含まれていて、「何でこんな風に線を引かれるのかな」という純粋な疑問があったのです。
奈木れい(なぎ・れい)
1989年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒。電通入社後、電通若者研究部(通称:電通ワカモン)研究員として、若者のインサイト研究に従事。若者と同じ目線に立って社会と未来を考えることを軸に、商品開発やブランディング、新規事業開発、大学での授業開発など多様な作業に携わる。
「私たちだって捨てたものじゃない」と思っていたのですが、その中で一つ気づいたことがあります。それは、彼らは私たちをバカにしているんじゃなくて「平成生まれとのコミュニケーションの仕方が分からない」と感じていたんです。そして、そんな私たちもまた、上の世代とコミュニケーションをする努力をしていなかったと思い至りました。
そうした経験から、「大人ともっと分かり合えた方がお互いにとってもっと良いな」「誰かにレッテルを張るようなことはしたくないな」と思うようになりました。
そのため、私がワカモンに所属した時も、いかに分析した結果が若者に共感してもらえるかを大切にしました。私たちが勝手につくりあげた若者イメージで何かを語り、当事者から「そうじゃない」と思われてしまうことが、一番お粗末だと考えていました。

「通訳マインド」で世代をつなぐ

そこで辿り着いたのが「通訳マインド」です。私たちは本を書く前から、若者に関心がある人たちが集まる講演会などで「今の若者って変な生き物だ」と語ったことはありません。その一方で、単に「若者はこうなんだ」と語ることもしませんでした。
なぜなら、若者の価値観を大人にも分かるロジックで話さないと、私たちが若者の主張を代弁するだけになってしまうからです。大人に対してもちゃんと理解してもらえなければ意味がありません。そこで、お互いのズレを埋める=通訳マインドを重視しています。
若者と大人では、同じ言葉でも内包されている意味が違うケースも多くみられます。言葉一つこそ丁寧に伝えたいと考えてきました
例えば、大人世代が「今、恋愛している?」と聞くときの恋愛の定義は「彼氏・彼女がいる」「恋愛が目に見えやすく重視されていること」を暗黙の前提としています。でも、若者と向き合ってわかるのは、明確な存在としてはいなくても、「LINEでやりとりをしている」「グループで交際している」など、パッと見ただけでは恋愛に思えないようなケースを含んでいる場合が多分にあるので、齟齬が生まれやすくなるのです。
「通訳マインド」を持って大人と話すと、「今の子って、そんなに面倒なの?」と言われることが多いのですが、それは「自分たちの視点で見られないから面倒」ということです。
私たちの経験からも、今の若者はきちんと会話の入口さえ作ればよく話してくれますし、意見も積極的に言ってくれます。「私たちをちゃんと見てくれる」と思ってくれるとコミュニケーションが180度変わるんです。
このお互いの違いを認めて話し合うことに関して言えば、若者対大人を超えて、「コミュニケーションの基本」でもあるとも言えます。

「社会の若者離れ」が起きている

本書では、若者少数社会である日本では「社会の若者離れ」が起きていると指摘しています。メディア上やマーケティングの文脈では「若者にモノを売りたい」「なぜ買ってくれないんだ」という議論がされる一方で、実際には「マーケティングとしてボリュームが少ない」「若い世代は可処分所得が少ないから、今は高齢者だよね」と、以前に比べて関心が低下しており、熱心に取り組んではいません。
若者に割いてきた予算やエネルギーも少なくなり諦めてしまっているところも大きく、その中で「若者の○○離れ」という言い方は傲慢でもあると思います。社会の側こそが若者から離れてしまっているんです。
若者には、「量の影響力」と「質の影響力」があります。現在、若者の量の影響力が下がる中で、質の影響力までもが見過ごされてしまっています。若者には今も昔も新しい価値観や行動による「前提突破力」があります。しかし、全体の人数が減ったことで彼らの新しい価値観に基づく行動が「異常行動」のように捉えられることもあり、もったいないなと感じます。
『若者離れ――電通が考える未来のためのコミュニケーション術』(エムディエヌコーポレーション)14p
質に関して言えば、「新しい価値観だから、すべてが素晴らしい」わけではありませんが、大人にとっては「若者の視点を知ることが、自分にとってもプラスになる」ことであり、そのなかで自分たちの考え方を伝えることで若い世代も学べる機会になればいいなと思います。
若者側も、上の世代に対して「古い考えだ」「老害だ」と切り捨てるのではなくコミュニケーションできる土壌を作ることで発見があります。お礼の手紙を書いたり、直接人と話す時間を作ったりすることをとっても、効率を追求する世代にはない勉強になります。
若者が放つ新たな兆しを評価できるか、すくい上げられるかは、大人自身の寛容さや度量が問われることでもあります。その中でお互いが刺激し合い、引き上げられる関係になることが、理想だと思います。
若者について研究をして感じるのは、「『今の若者は○○だ』と言い切れないのが答えかもしれない」ということです。
私たちにできることは、「若者はこうだ」と論じるのではなく、こういう要素がある、こういう特徴がある、そのためのコミュニケーションのヒントはこうだ、というガイドラインを作ることなのではないかと思います。
それを前提としたうえで、時代の変化を読み解くことがポイントになるのではないでしょうか。

3つの大きな時代の変化

本書では大きな時代の変化として「継続する不況と将来の不安」「人口減少と教育の変化」「情報環境の変化」の3点を挙げています。
はじめに、「継続する不況と将来の不安」について。
平成元年生まれは、バブル景気に沸いており、日経平均株価が史上最高の3万8,915円を付けた年です。しかし、2年後にはバブルが崩壊して「失われた20年」が始まります。今の若者は人生のほぼすべてを不況とデフレの中で生きていることになります。この「不況生まれ、“デフレ育ち”」がキーワードです。
「国民生活に関する世論調査」(2015)では、「現在の生活に対する満足度」を聞いた項目では、「満足+まあ満足」と答えている割合が、全世代平均は70.2%。そのなかで20代が79.2%と最も高い数値となっています。
また、ワカモンの「若者まるわかり調査2015」では、「自分の将来」が不安であると答えたのは全体の64.4%、さらに「日本の将来」については77.3%が不安と答えました。
このデータをかけ合わせると、「不満はないけれど、将来に対して漠然とした不安を持っている」ことがデータからも読み取れ、自分の周りでの手ごたえを重視するような「身の丈志向」が読み取れます。
次に、「人口減少と教育の変化」です。
少子高齢化と言われて久しいですが、それは10~20代の人口においても同じ傾向になっています。たとえば、ここ数十年で最も20代人口が多かったのは1996年の1913万人ですが、2014年には1288万人。20年も経たない間に、3割以上も減少していることになります。
冒頭でお話しした、若者の○○離れや消費の低迷の原因の一端は、この量の影響力の低下にあります。ここでは詳細に論じませんが、教育制度も詰め込み教育から個性化教育、ゆとり教育へと移行していく中で、競い合うことよりも協調することに対して価値を見出す「競争よりも“協調”」傾向が強くなってきています。
最後に、「情報環境の変化」について。
インターネットやSNSの登場は、すべての世代に影響を与えました。とりわけ若者においてはSNSがインフラ化したことで、「つながりが常時接続」になりました。そのなかで、コミュニケーションを円滑に進めるため、場面に応じてキャラクターを使い分けるようになりました。高校生では5.7キャラ、大学生で5.0キャラ、20代社会人で4.0キャラを使い分けています(若者まるわかり調査2015)。ツイッターでも複数のアカウントを使用するなど、自分の主張よりも周囲に合わせた“正解”を探す「正解志向」が読み取れます。
以上の「身の丈志向」「競争よりも“協調”」「正解志向」になってきたことから、若者においてはリスクテイクからリスクヘッジが重視されるようになり、“いかに共感できるか”“自分ではなく私たちがどう思うか”を価値基準にする“WEの時代”に生きていると考えています。
『若者離れ――電通が考える未来のためのコミュニケーション術』(エムディエヌコーポレーション)131p

お互いの価値観を認め合える社会に

今後も、ワカモンとしては若者が希望を見出しにくく、また大人と互いを上手く活かし合うことがされにくい状況にある中で、大人に対しては「若者に対する接し方」を提案し、若者に対しても「あなたたちの考え方は上の世代からはこう見えている」「大人とは、こう接した方が良い」と、ガイドできればと考えています。
これらの成果をもとに、現在ワカモンでは様々なプロジェクトを推進していますが、NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』とコラボした「18歳、プロに弟子入りSP」という企画も進めています。各界で活躍するプロフェッショナルと、将来に対して不安を持っている若者を結び付け、学ぶきっかけを作ることがコンセプトです。
日本は超高齢社会となり、必要なモノはすべてそろっています。そのなかで、どうしても残されたパイを攻めることや、余白の部分を精緻化することに意識が向かいがちで、手詰まり感を覚えていると思います。そこで、若者の価値である前提突破力を生かすことは、今後の日本にとって大切なことです。
本書に対して、「若者本かと思ったらコミュニケーションの本だった」「もっと自己啓発の棚におけばいいのに」といった声をいくつも頂きました。
これまでにお話ししたことは、突き詰めると、若者と大人がいかに良いコミュニケーションをとれるか。もっといえば、一人ひとりがいかにお互いの価値観の違いを認めてより良い関係を築けるかの話につながると思います。
若者本としてだけでなく、そうしたコミュニケーションのあり方を考える一助になると嬉しいです。
【イベント情報】
10月4日(火)19時から、プロピッカーの落合陽一さんと奈木れいさんの対談イベント 「落合陽一×奈木れい『“若者離れ”を考える』――若者を取り巻く社会の課題とこれから」が開催されます。本稿に対する質問・疑問などを直接聞ける交流の時間も設けていますので、ぜひご参加ください。